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桃太郎異聞抄。

勝手に桃太郎伝説を捏造するのは不味いかな?と思ったり。

白拍子さんの件は、表現的に不味いかな?と思ったり。

ここの話は後日差し替えの可能性があります。

1524年(大永4年) 播磨国 高砂泊 ~ 播磨国 室津。(13日目)


綾小路 有興 7歳。


今日も天気は良く、絶好の船旅日和だと思うのだけど、あまり進まず、早々に室津と言う湊に船を泊めました。

室津むろづ、又の名を室の泊と呼ばれる播磨屈指の良港であ、奈良時代の名僧、行基が開いた摂播五泊の中の湊の一つに挙げられ、姫路、室津、明石、兵庫、尼崎と並ぶ中で、最も景観が優れていると評判です。

僕達のような連歌師さん等は、景勝地などを訪れると、一生懸命、歌を創ります。

連歌師は、地方を飛び回る文化の伝道師なので、優れた景勝地などを歌に詠み、それらを旅の土産として、在地の有力者さん達に差し上げたりして、飯のタネにしているのです。

まぁ~それだけでなくて、僕みたいに日記などを付けたり、紀行文として出版したり、歌や文章に関わるものは、何でも飯の種にしてますね。

お師匠さまや、兄弟子さんから、古今集の歌の解説やら、源氏物語の解説やらを、丹念に聞き取って、書き写して、その解釈を絡ませたお師匠さんが出すお題に、即興で歌を返すのが、今のところ、僕の日々の修行です。

前世の知識や精神も、たまに役に立ちまして、お師匠さまの解釈を発展させた僕の和歌かいしゃくが、お師匠さまを唸らせる時も、極たまにあります。

ほんとに極ですが・・・

そんな時は、僕が書き写している解説書に、その解釈を継ぎ足して、書き加えるよう勧められる時もあります。

そんな時は、えらくお師匠さまや兄弟子さん達の機嫌が良いので、僕も嬉しくなりますね。

今日も、船中で、お師匠さま達からご指導を受け、その甲斐もあり、お師匠さま方も大変、機嫌が宜しい。

しかし、ニコニコされながらも、湊に近づくにつれ、なぜか?

そわそわ~

そわそわ~

何故か皆さん挙動不審!!

湊に着いたら、加茂神社へ行くと言うので、ついて行こうとすると、今回は居残りなさいと言われる。

何故に?

加茂神社は、室津の明神山にあり、室明神社とも言う。

参籠所からの播磨灘の眺めが素晴らしいと聞くので、人さまに披露するほどの歌は、未だ、創れないけれど、後学の為には、是非、行きたいところ。

兄弟子さん達が、未だ室君は早いとか何とか言ってるけど、納得が出来ないので、皆に着いて行きました。

お師匠さま、、兄弟子さん、天王寺屋の若旦那は、まだ判る。

しかし、何でぞろぞろと、船頭や梶取、おまけに水主まで揃って着いてくるのか?

僕が視線を向けると、揃って目を逸らすのも怪しい。

しかし、小高い丘の上の神社に行ってすべてが判りました。

出迎えてくれたのは、銭婆ぜにーばならぬ室君(むろぎみと言うおばあさん。

そして沢山の若くて綺麗な白拍子。

精神年齢は大人なので、そりゃ~察します。

それでも、お師匠さまをジト目で見てしまいましたが、、、

だって、お師さま、来年、還暦ですよ。

元気すぎでしょ?

神社の境内に来ると、白拍子達は、各々に小鼓、羯鼓、篠笛などの楽器を手に取り、神楽なのか?民謡なのか?良く判らない里神楽を奉納する。


裁ち縫わん

裁ち縫わん

衣きし人もなきものを

なに山姫の

布さらすらん


棹のあらし

棹のあらし

長閑にて

日かげも匂ふ

天地ひらけしも

さしおろす

棹のしたたりなるとかや


さる程に

さる程に

春過ぎて夏たけて

秋すでに暮れゆくや

時雨の雲の重なりて

峰しろたへに降りつもる

越路の雪の深さをも


知るやしるしの

知るやしるしの

棹立てて

豊とし月の行くすえを

はかるも棹の

歌うたひて

いざや遊ばん


こことてや

こことてや

室山かげの神かぐらの

賀茂の宮居は幾久し


幼い僕が居るのは、大変場違いなので、せめてものと、神人さんより竜笛を借り、途中からですが僕も、皆さんに合わせて、音色を奉納しました。

もうね、男装した白拍子が、船を遊女に見立てて、竿を立てて突っ込むとか。

歌詞の内容もですけど、お下品過ぎます。

里神楽が終われば、皆さんのお愉しみタイムのようで、それぞれ、お目当ての白拍子さんに声を掛けています。

せめて後5年か6年後なら兎も角、今の僕には用が無いので、山を下り、宿に戻ってふて寝しました。


1524年(大永4年) 播磨国 室津 ~ 備前国 福岡。(14日目)


綾小路 有興 7歳。


あくる朝、お約束としては、


「昨晩は、お愉しみでしたね。」


と、お師匠さまや兄弟子さんに、声を掛けるところですが、言い負かされそうなので、ジト目だけでスルーします。

次はいよいよ備前国に入ります。

駆け足の船旅なので、今までスイスイと瀬戸内を来てしまいましたが、吉井川と言う大きな川を少し上った西大寺の門前町の川湊に船を泊め、更に歩いて5km程川沿いを進み、福岡と言う町に来ました。

何でも、備前で最も栄えている町だそうで、備前長船とか、福岡一文字とか、武士が一度は持ってみたい日本刀のブランドショップがあるんだそうです。

羽林の家に生まれた以上使う事はなくとも、一応名刀って奴を見てみたいじゃないですか?

そんな訳で、ビジネスに忙しい若旦那とは別行動でお師匠さま達と市をぶらぶら見て廻りました。

そしたら面白い人に会いました。

薬屋の若旦那で、黒田屋次郎さんって方。

何でもお父さんが永正の船岡山合戦を、前将軍さま側で参戦したんだけど、抜け駆けを咎められて、近江国を処払ところばらいされて、仕方が無く親戚を頼って備前に来たそうなんです。

そして、武士は失敗したけど商売は成功したようで、主力商品の目薬で大儲けしたんだそうです。

凄いですね。

プチ立志伝ですね。

お父さんは残念ながら昨年お亡くなりになったそうですけど、後を継いだ若旦那が拳を握って、


「いつかおらも、武士になる!!」


って言っていたのが面白かったです。

何でも、お父さん、近江の宇多源氏の末裔すえだそうで、思わず、


「奇遇だね!僕も宇多源氏です!!」


って言ったら、大層驚かれました。

その後の世間話で、ここらを治める浮田八郎うきたはちろうさまは大層な御漬物うつけものと言う話が出て、、、

昨年、家督を譲られ隠居された平左衛門尉たいらのざえもんのじょうさまカムバ~ック!!って次郎さん叫んでましたよ。

そう言えば、この辺って、前世なら岡山県なんですよね?

残念ながら岡山って地名が無くて、うろ覚えなんだけど。

次郎さんに、桃太郎伝説をそれとなく振って聞いてみたんだけど、知らないって言うんですよね。

気を利かせて、お店の手代さんにも聞いてくださって、温羅伝承うらでんしょうの間違いじゃないか?って言われたんです。

でも、詳細を聞くとやっぱり違う。

それで次郎さんにどんな話か?って聞かれたので、うろ覚えの物語を語ったんです。


むかしむかし、吉備の国と言う大きな国に美味しい甘酒を造るおじいさんとおばあさんが住んで居ました。

おじいさんが山に柴刈しばかりに行くと、近くを流れる川から大きな桃が、どんぶらこ、どんぶらこと流れてきました。

おじいさんがその桃を家に持ち帰り、おばあさんがその桃を二つに切ると桃の中から赤ちゃんが出てきました。

子供の居なかったおじいさん夫婦は大変喜びました。

そして、赤ちゃんを桃太郎と名付けて大切に育てました。

桃太郎が生まれた頃、吉備の国に外から悪い鬼がやってきて3つの地方に分けて支配していました。

それが今で言う、備前、備中、備後。

備州を古い呼び方で吉備の国と言うのは此処から来てるんです。

そして、大きくなった桃太郎は、雉と猿と犬を家来にして鬼を退治しました。

この時、家来達に吉備の国を与えると約束したので、鬼退治の後も吉備の国は一つになりませんでした。

だから今でも備前、備中、備後なんですね。

誰にどの国を与えたかは伝わっていないけど、備前の国を貰った家来さんは、遠慮して桃太郎さんの家の場所を、桃太郎さんに返しました。

この甘酒うまさけの国が訛って、美作みまさかの国になったと言われています。

糸冬 了。


この話が受けたかどうかは知らないけど、僕たちが福岡を去った後、黒田屋の店先で黍団子きびだんごと甘酒を買って、物語を聞く子供たちで賑わったとか賑わっていないとか。。。


1524年(大永4年) 備前国 福岡 ~ 讃岐国 宇多津。(15日目)


綾小路 有興 7歳。


ビジネスが上手く行って船主の機嫌が良いと船も軽やかなのか、上手く風を捕まえ備前沖を離れ一路南へ、直島なおしまを抜けるとそこは備讃瀬戸びさんせとと言う海域に入る。

南には大きなおか四国が見え讃岐国に近付いていると判る。

今日の目的地は西讃せいさん最大の湊宇多津です。

宇多津には京兆細川家かんれいさまの円通寺守護館があり、西讃守護代の香川中務丞かがわなかつかさじょう殿が詰めている。

隣国の阿波国は、殺された三好筑前守殿の残党や、病没された前管領の阿波の細川さまのお子さまがおられると言う。

管領さまにとって最前線の領国なので、有能な方が詰めてると思ったのだけど、、、

東讃守護代の安富氏らと争ってるらしい。

足元がグラついていると言う事は、管領さまの先行きも危ういのかな?


讃岐国は、弘法大師さまの生まれ故郷。

その為、各地に大師さまの行跡が残っているのですが、その中に満濃池まんおういけと言う前世でも、今世でも、日本最大のため池があります。

何でも水不足で苦しむ讃岐国の住人の為に、既に唐から帰国し立派なお坊さまであった大師さまに朝廷が特にお願いされたとか。

快諾された大師さまは、坊主を1人と童を4人だけ連れて讃岐国入りされたとか。

その後、大師さまを尊敬する方がわれもわれもと集って、数か月で難工事を終えられたと言う話です。

凄いですね~。

第一の目的地、周防国大内館までの旅程も順調に半ばを過ぎました。

明日は讃岐国と伊予国にまたがる燧灘ひうちなだを抜けて、海賊で名高い村上水軍の領域に入るそうです。

少しドキドキしますね。

何も無いと良いのですが。










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