東征②浮気。
1534年(天文3年)8月19日 美濃国 明智長山城。
綾小路 興俊 17歳
意識がはっきり覚醒してくると色々思い出して来ました。
昨日、明智光綱殿の歓待で結構お酒を飲んでいたんです。
で、お酌をしてくださったのがこの方、光綱殿の妹さんで那那姫と言う女性。
歳は22歳だそうで、決して美人と言う訳じゃないけれど、、、
前世の嫁さんの結婚前の付き合っていた当時にそっくりだったんです。
でまぁ~お酒が入った勢いで根掘り葉掘り彼女とお話ししてしまい、私が彼女を夜伽に望んでいると勘違いさせてしまった訳です。
嫁ぎ先が決まってもうすぐ嫁に行く彼女をです。
勘違いをしたのは明智光綱殿や那那姫だけではありません。
私の側近も勘違いして彼女を私の寝室へ疑問も持たずに通したのですから完全にアウトです。
夜、完全に酔っぱらって寝てしまっている私を目にして途方に暮れ、それでも下がらずに私が目を覚ますまで隣で正座して待ち続けた彼女に思わず土下座したくなりましたよ。
最早手を出してないなんて言い訳は利かないし、彼女に失礼すぎて勘違いですとは口が裂けても言えません。
そんな訳で起床すると先ず明智光綱殿に那那姫を側室に貰い受ける事と彼女の嫁ぎ先の情報を聞き出します。
因みにそれはそれ、これはこれと言う訳で側室宣言後に那那姫と致しましたよ。
だって酔っぱらって寝てしまって何もしないとか、失礼すぎるじゃ無いですか。
お相手の名前は土岐光忠殿。
明智光綱殿が養子に迎えている明智彦太郎殿の兄君だそうです。
そしてここからが難しい話となります。
土岐光忠殿、明智彦太郎殿の実父殿の名は土岐頼連殿。
土岐頼連殿の父君は美濃国守護を務める土岐頼芸殿の父、土岐政房殿と後継争いをして敗れて自害した方です。
つまり土岐頼連殿は土岐頼芸殿の従兄弟殿ですね。
で、父君が自害された土岐頼連殿は美濃国武儀郡の豪族の中洞源左衛門と言う御仁に匿われその娘と結ばれ生まれたのが土岐光忠殿、明智彦太郎殿のご兄弟と言う事らしいです。
土岐頼連殿が既に亡くなられているとはいえ、凄い爆弾です。
明智光綱殿がご自分のお子が何人も居るにもかかわらず彦太郎殿を嫡子に据えていると言う事は土岐頼芸殿に叛意があると言ってるようなものです。
可児郡の明智氏や武儀郡の中洞氏のように東濃、中濃の水面下でこのような動きがあり、その明智氏から私が側室を貰うと言う事は那那姫の件を公にした時点で私が土岐頼芸殿を守護職から追い落とすと宣言するようなものです。
頭を抱えて良いですか?
自分から墓穴を掘ったのでなければ、明智光綱殿に嵌められたと責任転嫁する所です。
正直、土岐頼芸殿を謀殺するのは容易いです。
稲葉良通が美濃勢の陣代として上野国へ飯富殿と一緒に侵攻しています。
当の土岐頼芸殿は一応美濃勢の大将ではあるものの公方さまの最初の本陣が福光守護所だった事もあり、軍勢にはついて行かず公方さまの世話係を任じて居られ今もこの明智長山城に滞在中なのです。
美濃勢を拘束する事も土岐頼芸殿を殺す事もまるでお膳立てされたように簡単に出来ますが、それで失う信用は計り知れないですよね。
なので土岐頼芸殿をお呼びして正直に話す事にしました。
もちろん義兄の公方さまにも臨席して頂きましたよ。
公方さまも土岐頼芸殿も私が明智光綱殿の妹御を夜伽に召した噂を聞き知っていたらしく何とも嫌な笑顔でにやけて居られたのですが、私の話を聞くにしたがって土岐頼芸殿は真っ青な顔でブルブル震えて居られます。
公方さまも能面のような顔で、
「この者(土岐頼芸殿)を殺すのか?」
とゴクリと生唾を飲み込んだ後に聞かれます。
そこには「昨夜はお愉しみでしたね^^」みたいな生暖かい空気は一片もありません。
だからね、、、殺す気だったらわざわざ本人にお話ししないですよ。
私の希望をお伝えするだけです。
1つ 綾小路興俊は詫びとして土岐光忠を保護する。
1つ 土岐頼芸は土岐光忠に土岐、恵那の二郡を与える。
又土岐頼芸は東濃、中濃で土岐光忠に組したい者を咎めない。
1つ 土岐光忠は土岐光忠土岐郡小里川南岸の居城を築き本貫とする。
1つ 詫び料として土岐光忠に綾小路興俊は1万貫を支払う。
1つ 土岐家を土岐頼芸の西濃家と土岐光忠の東濃家の二家に分割する。
その為それぞれを美濃国半守護家とする。
1つ 土岐頼芸への補償として尾張国の織田一族より削った所領を与える。
1つ 斯波家が尾張国守護職より退いた時は土岐頼芸又はその子孫に与える。
これを公方さまと綾小路興俊は保証する。
1つ 明智家先代当主明智光継の女を綾小路興俊は側室とする。
これに土岐光忠は異議を挟まない。
1つ 明智光綱と彦太郎の養子縁組は解消する。
彦太郎はこの後も明智光綱が養育するも元服後は綾小路興俊が所領を与え別家を立てる事。
こんな感じで私以外誰も損しない希望をお伝えした所、土岐頼芸殿は頭がもげるのではと思うくらいブンブン頭を振って同意してくださいました。
なんか涙を流されて「ありがとう。ありがとう。」と感謝されました。
やはり世の中誠意と正直が一番だと思ったんですが、、、
公方さまが、
「後は本女中殿と奥方への釈明だな。」
とボソリと呟かれたので気分は一気に奈落の底に落ちました><
はぁ~どうしよう。
緘口令を敷いて戦が終わって機嫌を伺いながら知らせると言う事も考えました。
しかし「好事門を出でず悪事千里を行く」と言います。
誠意と正直が一番と言うのを信じます。
好事が門を出ないならば自ら届けねばいけません。
それも早く、疾く早く悪事が千里を走る前に。
と言う訳で公方さまにお暇を願いました。
お暇を願った時の、
「そうか、そうか、そんなに本女中殿が怖いか?」
と言う公方さまの嬉しそうな笑顔はムカつきますが身から出た錆です。
陣代は宍戸隆忠殿。
幕僚に下間頼清殿、下間頼次殿、山村正次殿を付けて任せます。
そしてその日のうちに供回りの者を連れて一路摂津国の大坂を目指しました。