お師さま。
1533年(天文2年)12月 山城国 綾小路邸。
綾小路 興俊 16歳
連歌のお師匠さま。
名を宗碩先生と言います。
号は月村斎。
師の宗祇さまが亡くなってからは京の都を拠点に主に西国で連歌の活動を行っていました。
近衛尚通さまや三条西実隆さま、大内家の先々代、先代の当主さまとご親交がありました。
私を初めて洛外へ連れ出してくださった方でもあります。
私の兄弟子である宗牧さま(号は孤竹斎)がお師匠さまの庵を受け継ぎ、都で活動しているとの事なのでお師匠さまの事を伺いました。
私が博多で襲われた事を知り朝廷の意を受けて長門国まで来たんだけどそこで客死したんだそうです。
つまり東征とは全く逆向きな上、東征までに行って帰って来れる距離でもない事が確定です。
全く以て間が悪い。
周防国へ戻って来た時にこの話が耳に入っていれば良かったのに。
最近私の廻りに雅な趣味を持ってる人が少ないからでしょうか?
諦めて東国を治めてから改めて西に向かいましょう。
お師匠さまは亡くなる前に私の生存を知っておられたようで私に相伝書を残してくださいました。
兄弟子の宗牧さまが預かっておられたそうです。
改めてお師匠さまの情の深さに涙が流れました。
ただ書に添えた添え書きに、
「新しい土地に行った時は水に気を付けなさい。」とか、
「夜更かしをしてはいけません。」とか、
「義兄弟(公方さま、大内義隆殿、一条房冬殿、大友義鑑殿、吉見隆頼殿)を大切になさい。」とか、
なんだかお父さんの小言みたいです。
そういう事は生きているうちに仰って欲しかったです。
お師匠さまが残してくださった相伝書と言うのは、古今集などの古典和歌についてのお師匠さまの覚書や解説、連歌の技法指南などを取りまとめた教科書です。
三条西さまからも源氏物語や古今の講義を受けているのですが、受けた講義の歌や解釈の内容を自前の草紙に書き込んでいきます。
そして自分の意見、解釈なども日付や理由などを書き添えて加えていきます。
こうして残るのが相伝書です。
特に古今集の由緒ある相伝書、又はその相伝を古今伝授と言ったりしますね。
お師匠さまのが詠まれた句集や旅の紀行文、源氏物語時代の装束解説書などお師匠さまが携わった文化・文芸の事績を全て私に譲ってくださったと言う事です。
お師さま。
今は些事が立て込んでいて難しいですが、天下静謐が成りましたら必ず後世にお師さまの業績を伝えられるよう頑張りますのでもう少しお待ちください。
兄弟子の宗牧さまは近衛さまや三条西さまと親交があるそうです。
他にも今年、尾張の織田信秀殿の元へ下向し歌や蹴鞠を教授して多額の献金を朝廷にもたらした楽奉行の山科言継さまとも知り合いだそうです。
山科殿は戦国時代に知識が少しでもあれば知る人ぞ知る有名人で、特に戦国モノの仮想小説なら有名大名の元には必ず献金をせびりに来るイメージの方なんですが、、、私の所へ献金の催促に来た事は一度も無いんですよね。
まぁ~判らない事は無いです。
献金=売官と言う風潮が当たり前のこの世の中で、公家に多額の献金を強請る人は居ませんね。
それでは宮中のバランスが崩れちゃいます。
特に私は山科さまと同じ羽林家。
極官も同じ権中納言。
いったい何を売るのか?って話ですよね。
あの方は地方の大名さんの勤皇精神掘り起こしとそこに少し献金を付けて頂いてご褒美に受領名を差し上げるみたいな感じのセールスをしてるので、後腐れがありそうな私には寄って来ないのです。
もし私に献金を強請ってくるとすれば中川さまか庭田さまですよね。
親族が強請るなら凄く自然です。
私も嫌とは言えないしね。
大内の義兄上さまは北九州の叛徒の征伐に成功したようです。
年末も押し迫った頃に征伐完遂と春に上洛する旨の早馬が到着しました。
他にも美濃の土岐氏、尾張の斯波氏、越前の朝倉氏、三河の松平氏、伊勢の北畠氏など近場の有力大名からは上洛の意思を伝えてきています。
なるべく多くの大名が従ってくれると嬉しいですね。
そう言えば塩冶殿は尼子氏、つまりお父さんに降伏したそうです。
毛利元就殿に滅ぼされるくらいなら尼子氏に降った方がマシだと言う理由だそうです。
反旗を翻したのは逆の理由で無かったかな?と思うのですが親子の絆とは不可思議らしいです。
尼子経久殿から寛大な処分をと本人が参られて嘆願されましたが、こちらでの処分がグダグダなので強くは言えません。
戦功目覚ましい毛利殿には申し訳ないですが、今回も銭で我慢して貰いましょう。
それだけでは可哀そうなので官位と職を申請しましょうか。
お屋形さまに安芸国守護を譲ってもらい、元就殿を従五位下右馬頭並びに安芸守護職に任官とならば、そこまで酷い待遇でも無いでしょう。
でも随分城落としたと言ってたね。
それを銭換算で補償するとトンデモないことになるし、、、
そうだ!
元就殿の嫡男、少輔太郎君。
彼に元服して貰おう。
東征が終わったらと言う話で。
その頃なら嫡男君に一国くらい上げても良いでしょう。
元就殿はダメだけど。
烏帽子親は公方さまで、最初からお供衆に就任して貰おう。
兼任で私との申次役をして貰おう。
嫡男をそこまで厚遇すれば文句は言わないでしょう。
例え望んでいる恩賞とは方向性が違ってもね。
で、彼に1国預けてみて内政の才能が有ったら、改めてスカウトして4~5ヶ国預けて内政担当をして貰おう。
あ、元服するなら嫁取もしなきゃいけないのかな?
まぁ~そんな先より取り敢えず元就殿に武勲激賞のお手紙書いてその恩賞に御曹司の元服を取り持つと書かねば、、、
ついでに元服前だけど東征に連れて行こうか。
幕僚に下間一族の人付ければ備え大将の一つや二つ出来るでしょう。
元就殿の息子だし。
でも乱戦は無理だろうから任せるのは鉄砲備えでガチガチに固めた精鋭集団だよね。
他にも質に預けられたご子息で初陣待ちの子らも同じところに預けようか。
私では戦機なんて判らないけど、飯富殿が総大将なら上手く使ってくれるでしょう。
初陣が大戦で所属が天下の猛将の旗の本なら親御さんは大喜びしてくれるはず。
その中の何人かが武将として大成してくれると嬉しい。
まぁ~大成より安全第一だけど。
さて来年はどのくらいの大名が上洛を表明してくれるだろうか?