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大南海⑦

1533年(天文2年)9月初旬~下旬 薩摩国 伊作城 ~ 周防国 大内館。


綾小路 興俊 16歳


暫くしてもたらされた報告では本家の島津勝久殿は清水館を護り切れず裏山に築かれた後詰の城に籠って籠城していたとの事。

私の無事が伝えられた事で水軍衆も一旦は船に戻ったのだけど予断は許さない感じです。

水軍衆の蜂起に繋がった三宅国秀殿殺害事件そのものが島津家本家の先代、島津忠隆殿が引き起こした事件であり勝久殿はそのご舎弟で性格も跡目の悔返を見れば判るように朝令暮改を地で行ってるので信用が全くない事が問題だそうです。

因みに勝久殿を担いでいた実久殿は本拠の薩摩国出水へ逃げたそうです。

その為、手打ちは勝久殿、日新斎殿、私、瀬戸内水軍の今岡通詮殿で話し合われる事なりました。


1つ 島津勝久殿は隠居し家督を島津忠良殿の嫡男、貴久殿に譲る。

1つ 島津勝久殿には隠居料として5千貫が毎年綾小路家より支払われ今後は和泉国堺で過ごされる。

1つ 瀬戸内水軍にはこの度の義挙の費えとして綾小路家より2万貫が支払われる。

   各水軍衆への支払いは因島村上家にお任せする。

1つ 今回の義挙で瀬戸内水軍が占拠した指宿又は揖宿いぶすき頴娃えいの両郡は綾小路家に譲渡される。

   ただし旧主の頴娃兼洪えいかねひろを綾小路家所属とし揖宿地方の地頭に据え置く。

1つ 島津実久殿の坊津を召し上げ綾小路領とする。

   ただし頴娃兼洪殿の兄である肝付兼親殿を綾小路家所属とし頴娃地方の地頭に置く。

【肝付本家の内訌は叔父の肝付兼親方の不利となっており肝付本家の跡目を島津貴久寄りの肝付兼続殿が継ぐ代わりに叔父二人(頴娃兼洪殿も肝付本家からの養子)を綾小路家が引き取ると言う内部取引です。因みに島津勝久殿も島津本家を継いだ兄二人が相次いで死去するまでは子がいない頴娃家に養子に入っていました。その為勝久殿と兼洪殿は義兄弟の間柄です。】

1つ 因島村上家に芸予諸島から薩摩、大隅両国の湊における警固の権利を与える。

   ただし警固料は積み荷の3%を上限とする。

   別途に綾小路家より警固料として年間5千貫の歳費を与える。

1つ 種子島氏は綾小路家に所属する。

   

話し合いから完全に除外された実久殿以外には何かしらメリットがあります。


島津日新斎殿は悔返によって失った嫡男の本家家督相続が正式に認められると言う事です。

この継承戦争で得ていた頴娃郡、揖宿郡の影響力を手放し、替わりに勝久殿の旧領を引き継ぐことになりました。

薩摩国の守護所を得た意味は大きいですが実収入の増減は微妙。


勝久殿は取りあえず命が助かったと言う事が一番大きなメリット。

更に近年、一番の勝久派だった頴娃氏が日新斎殿の伊作家に押し込まれ滅亡回避の条件として傘下に組み入れられていたのが綾小路家参加とは言え伊作家から独立したと言うのは吉報。

その鹿児島湾対岸の肝付氏が勝久派から伊作派に転向するも綾小路家傘下に勝久派の肝付兼親殿が引き取られ勢力が維持できるのは先の頴娃氏の件と併せて伊作家と綾小路家に何かあれば勝久殿の本家復帰の目が未だあると言う事。

5千貫と言う隠居料は意外に大きい。

旧臣を養える上に生活が出来る金額。


瀬戸内水軍又は因島村上家。

取りあえず一時金が貰え更に薩摩国までの勢力圏拡大を既成事実化出来ました。

海港を制しているのが綾小路家と言うのは島津家が制しているより安心感があります。

突然襲われて船団全滅などと言う不幸が無いと断言できるくらいは信頼感が有ります。

(どちらかと言えば綾小路家はお人好しと言う評価。)

又、綾小路家は瀬戸内水軍にとって金払いの良いお客さんなのでお仕事が廻ってくる可能性も高いです。


綾小路家にとって琉球王国からの海上交通完成のメリットは凄く大きいです。

今まで大内家廻りが有りましたが瀬戸内の海賊衆が豊後水道の支配を確約した事は、もし大内家や北九州が敵に廻っても貿易収入の痛手とならないと言うメリットになります。

現在は海賊衆が主導権イニシアチブを持っているように見えますが那覇の大商館の運営が軌道に乗り

綾小路家が支配している拠点で同じような大商館が運営できれば急速に海賊衆は立ち枯れると想像できます。

(強面で上前をはねるだけでは総合商社の綾小路大商館には絶対太刀打ちできません。気が付いたら海賊の下部組織は大商館が育成する航海士を船頭にして、大商館が紹介する派遣社員を雇い入れて、大商館が売る武器や船具を購入し、大商館が提供する海上情報を利用して航海し、大商館が経営する宿や飯場で飲み食いし、大商館が依頼する仕事で報酬を貰い、大商館に敵対する海賊を滅ぼすようになるでしょう。)

ギルドに太刀打ちできる海賊はコ〇ラだけなのです。


薩州島津家の実久殿にとってはメリットは何もありません。

南薩の拠点を奪われ北の出水に追いやられて言いたい事は沢山あるでしょう。


神輿の勝久殿を遠く堺に奪われ取り戻す事も出来ず求心力を急速に失い島津家は伊作家の下で纏まりつつあります。

貴久側に立って大隅で孤立していた新納忠勝殿も勢力の復旧が叶い日向国で勢力伸長が目覚ましい伊東氏に島津家が纏まって対抗できるようです。


そんな感じで和議が纏まり周囲に目が向けられるようになった所で今岡通詮殿にお聞きした畿内と西国事情は兎に角グチャグチャでした。

今岡通詮殿があくまで噂ですがと前置きした大内家の噂は、、、

九州勢が私を襲ったと聞いてお屋形さまは大変動揺されたようです。

お屋形さまは直ぐに停戦の触れを出したのですが私の討ち死にの噂が出回って引き籠ってしまわれたとか。

ただし停戦の触れは確りと九州勢に届き、偽上意が発覚し九州勢は大混乱になったんだとか。

冷泉殿に任せた対馬国が未だに攻撃を受けて無いのはそのせいらしいです。

そして対馬国からの私の生存の知らせで陶殿と内藤殿が動いて大内家を廃して綾小路家を立てようとしたらしいです。

つまり謀反ですね。

ところが旦那たるお屋形さまの無気力にブチ切れたのか?奥方さまの本女中さまが覚醒!!

大内館に迫った陶殿と内藤殿を諭して(内容不明)、大内勢に組み入れて九州勢の討伐を宣言したんだとか。

そして本朝(朝廷)と幕府に事情説明の使者を本女中さまが出した所でお主上さまの治罰の論旨が発表されたんだとか。

現在もお屋形さまは引き籠り継続中で陶殿達を率いて九州方の討伐を行っているのは本女中さまと言う驚きの証言。

お屋形さまの態度は家中の動揺を誘うので大声では話されてないし、噂では陶殿達の主導でとなっているらしいです。

石見国守護代の吉見隆頼殿は旗幟を早くから私側へと表明されてますがご正室はお屋形さまの姉君に当たります。

その為九州勢に石見国の国人衆が加担しないよう取りまとめはしてきましたがお屋形さまに刃を向けるような真似はされませんでした。

それが原因で毛利元就殿の火の吹くような攻勢に繋がっているそうです。

お隣の陶興昌殿や宍戸隆忠殿は私の家臣なので目は私の動向に向いています。

態々結果が判っている袋叩きに参加する気は全くないようです。

私の命令待ちと言う所でしょうか?

私的には陶興昌殿には塩冶殿と戦って頂いて毛利殿の戦を手伝い戦に落としたかったんですが、、、差配もせず放置していた私が言うべき言葉では無いですね。

畿内の方は細川冬元さまが前将軍の足利義晴さまを奉じて観音寺城山麓桑実寺に入ったそうです。

私の経済封鎖が相当きつかったらしく、私の討ち死にの噂が出ただけで南近江の六角義実殿、北東近江の浅井亮政、北西近江の朽木稙綱くつきたねつな殿、若狭の武田元光殿が冬元さまに同心し近江国と山城国の国境でうちの飯富虎昌殿らと激戦を繰り広げているらしいです。

こういう時に出てくる朝倉氏は現在内訌中でそれどころでは無いらしいです。

まぁ~押し込まれてる訳では無いし飯富さんなら荒事には信頼が置けますので後回しで良いでしょう。

取りあえず豊後水道を通って海賊さんと一緒に大内館に戻りましょう。

もちろん嫁さんや神屋主計さん達も一緒です。

うちの船団は予定通り彦八郎殿に任せて松浦興信殿の救援へ廻しましょう。

そして9月末日には周防国の大内館に戻りました。



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