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大南海⑥

1533年(天文2年)9月初旬 薩摩国 伊作城。


綾小路 興俊 16歳


伊作城の主、日新斎殿は何というか大河ドラマで見た西郷さんでした。

うん鹿児島のおっちゃんって感じです。

ただし全く歓迎して貰えません。

まぁ~話を聞けば理解はできるんだけど、、、

2月に私の生存の報をあちこちに送り出したんだけど、いち早く反応したのは陶興房殿と内藤興盛殿でした。

全力で大内館に駆けつけお屋形さまから九州勢討伐の裁可を得ると方々へ伝令を飛ばし九州勢の謀反と私の災難を喧伝したそうです。

綾小路殿をお助けせよ!と。

そして問題はその檄の直後、私を襲った九州勢に治罰の論旨が下った事です。

お屋形さまや陶殿、内藤殿はギリギリセーフ。

だけど、それ以外でお屋形さまに呼応した方々は一転して朝敵になったのです。

未だお屋形さまが朝敵だったら問題が少なかったかもしれない。

だって大内家って強いから昔にも幕府から討伐令を出されて単独で九州勢や中国勢に攻められた事が有ったらしいけどそれらを悉く破って逆に領土が増えたので慌てて幕府が講和を持ちかけたって言う前歴があるからね。

だから朝敵の論旨を受けてもそうそう負けはしないんですよ。

でもその旗頭が掛けた梯子を降ろした直後に大火事が発生するんだから堪ったモノじゃありません。

中立だった弘中殿は何とかこちら側への表明が間に合ったけど塩冶興房殿や彼に従っていた西雲の国人衆などは袋叩きですよ。

毛利元就殿が火を噴く勢いで城を次々と攻め落としているそうです。

そして呼応したのは大内方の国人だけじゃ無いんです。

九州を虎視眈々と狙っていた大友氏や少弐氏も豊前や筑前に侵入してそれを食い止める為に周防や安芸の水軍衆と豊後の水軍衆が激突すると言う。

もう敵味方が良く判らない状態になっているとか。

おまけに私を襲った宗像氏続殿と兄の黒川隆尚殿が関門海峡で互いに水軍を率いて戦ったらしいです。

宗像氏続殿が率いるのも宗像水軍だし、黒川隆尚殿が率いるのも宗像水軍。

元々兄弟仲が良くなかったので手加減抜きの戦は大変派手だったとか。

水軍と言うのは貴重な専門職です。

失ったからと言ってすぐさま補充は利かないんですけどね。

戦後勝利した方はどうする気なんでしょうか?

同じように同族で戦っている所は松浦氏だそうです。

こちらは我々が移動中の時もそれらしい噂を聞きましたから解りますけど。

ただ少弐殿が私の方に参戦しているのに甥の松浦親殿がはっきり私寄りと判る松浦興信殿を攻めるのはどうかと思うのです。

お陰で大友氏と少弐氏の協調が崩れてグダグダになっているんだとか。

それだけなら島津氏にとっては対岸の火事だったんでしょうが火の粉は島津氏にも降りかかったそうです。

私たちが沖縄でバカンス?を楽しんでいた丁度その頃、島津氏の元にある問い合わせが来たそうです。

「綾小路殿の行方を知りませんか?」

ってね。

それに対応したのが島津本家の勝久殿。

今までの島津家の対応を踏襲して

「今頃、琉球王国で襲われてるんじゃ無いですか?

だってあの国って危険だし~。」

と答えたとか^^;

問い合わせたのは能島村上氏の重臣である今岡通詮いまおかみちあき殿。

私が大内勢を畿内に持ち込んだりして瀬戸内海の海上交通を良く使う事で沢山のお金が落ちて瀬戸内の水軍って随分力を付けてるんですよね。

芸予諸島が勢力範囲だった村上氏も薩摩の坊津まで警固業務が出来るくらい威勢が良くなっているんです。

その恩恵が私のお陰だと村上武吉殿は考えておられて畿内での戦では随分親身になって助けて下さったんです。

その村上氏にこの回答。

後はご想像の通りです。

三宅国秀殿の殺害の事もあります。

村上水軍を中心に東は播磨国、讃岐国から西は伊予国、安芸国まで千隻に達しようかと言う戦船が先ほど山川、指宿の湊を焼き払って鹿児島湾に殴り込みをかけて来たそうです。

丁度、屋久島から坊津を経て伊作へ向かう所ですれ違ったんですね。

そんなところで騒動の原因となってる私がのほほんと現れたらそりゃ~誰も良い顔はしないよね。

日新斎殿は私の来訪を聞いてすぐさま殴り込んでいる船団に使者を遣わしたらしいです。

ただ島津勝久殿が籠る清水城の城下町鹿児島は既に焼けたとの話もありお城が落ちたかも知れないと仰っていました。

それぞれの距離で情報の鮮度が違うので、水軍衆の方々とお話しできたら北九州や畿内の情報ももっと詳細が判るかもしれませんね。

日新斎殿には面倒事を持ち込んだお詫びとして雲屯ばんどん産の茶器を差し上げました。

雲屯産の茶器は明が半分鎖国状態の為に琉球や東南アジアに広く流通してるんですが、最近雲屯の国で内戦が起きてるとかで輸出が滞ってるらしいです。

話の内容によっては私は水軍衆に同行してうちの船団は松浦興信殿の救援に廻した方が良いでしょう。

一旦お屋形さまとお話ししたり、京のお主上さまへ経緯のご説明を伺うべきでしょうし。


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