大南海⑤
1533年(天文2年)7月~8月 大隅国 屋久島 ~ 薩摩国 伊作城。
綾小路 興俊 16歳
奄美大島を過ぎトカラ列島を過ぎると屋久島に至り北東にある宮之浦に入りました。
屋久島は屋久杉で有名な木材の名産地です。
現在は種子島恵時殿が治めていますが長年縁戚であった禰寝清年殿と争うようになりこの辺りも不穏になっているとの事。
その理由が薩摩の島津氏にあるようで中々難しいようです。
現在、島津家は内訌中です。
島津勝久殿が薩摩、大隅、日向3ヶ国の太守を務めておられるのですが、勝久殿の妻が姉である事を理由に薩州家の島津実久殿が自分に家督を譲るよう迫ったそうです。
それに激怒した勝久殿が妻と離縁し分家の一つである伊作家の島津貴久殿を養子に迎えて家督を譲り伊作の地で隠居したそうです。
これに怒った実久殿は貴久殿の居城を攻めて追い出し勝久殿を連れ戻して当主に復帰させたんだとか。
これが6年前です。
貴久殿と言えば鬼島津四兄弟のお父さんですよ。
それが13歳の話。
今は20歳だそうですが、、、因みに嫡男で後に義久さんと名乗られる方は今年お生まれになったとか。
そんな訳で貴久殿の父である島津忠良殿と実久殿が本家の後継を巡って激しく争って居るんだとか。
島津忠良殿と言えばゲームでは日新斎の号で有名ですよね。
この人も凄い苦労人で生まれて3歳で父親を下人の馬丁に撲殺され???
ちょっと待て!
何が有ったんです?
10歳の時に伊作家は薩州家の内訌に巻き込まれて、先に母方の祖父が、次いで父方の祖父も実久殿の父君に討ち取られてます。
どうしようもなくなった母親の常盤御前は島津氏の分家の一つである相州家の島津運久殿に嫁ぎます。
そして相州家の庇護の下に育った日新斎殿は伊作、相州の両家を継いで戦国の世に名乗りを上げるんですね。
何か龍造寺隆信殿の物語みたいだよ。
戦国の女性って強いね。
そんな訳で死んでも薩州家の下に付きたくない伊作家としては周りを巻き込んで島津家継承戦争を戦っている最中なんです。
ところが本家の勝久殿、一旦は貴久殿に家督を譲られたのに連れ戻された直後から、
「アレは伊作家に唆された家臣に乗せられたんだ。」
とか寝言を言って、
「やっぱり僕がしっかり島津家を差配するよ!!」
みたいな幸せな事を宣っていらっしゃるそうで、豊州家の島津忠朝殿、新納忠勝殿、禰寝清年殿、肝付兼演殿、本田薫親殿、樺山善久殿、島津運久殿、島津秀久殿、阿多忠雄殿ら島津氏のご一族がどちらかにハッキリと家督を譲るよう苦言を申したんですが拒否られたそうです。
それが原因で勝久殿の求心力は地に落ちて島津家家中は伊作派と薩州派に別れて相争ってるんでとか。
そんな訳で種子島家は伊作家に肩入れをし、禰寝家は肝付家と共に仲裁に努力していたんです。
何と言っても仲裁に最も熱心だった豊州家の島津忠朝殿の息女が肝付兼興殿の妻なのでね。
しかし勝久殿は聞く耳を持たず、とは言え本家の当主が養子の貴久殿に守護職の悔返を宣言している以上伊作家に道理はないですからね。
島津豊州家や肝付家共々、禰寝家も薩州家に付いて種子島家と敵対した訳です。
悔返と言うのは家督者が嫡男などに家督や領地を与えても何時でも取り返せると言うルールですね。
公家や武家では諸法度などでルールが少し違ったんですけど、この時代では寺社に寄付した土地以外は全て悔返が有効と言う感じらしいです。
寺社に寄付したモノは既に神や仏のモノで寺社のモノじゃ無いから取り返せると思う方がおかしいと言う理屈だそうで、、、塵が積もって山となって寺社が強いんですね。
信者が儲かるってそう言う事なんです。
閑話休題。
ところが禰寝家が服属していた肝付家で今年の4月5日に当主の肝付兼興殿が亡くなる訳ですよ。
そしてお決まりの跡目争いが起きまして現在息子の肝付兼続殿と叔父に当たる肝付兼親殿が絶賛内訌中です。
兼親殿が薩州家とパイプが太いからでしょうか?
兼続殿が伊作家の忠良殿の娘御を嫁に貰うと言う話も聞こえて来ますし、自分の妹を貴久殿の嫁に出すと言う話も聞こえます。
そんな感じで日新斎殿の薩州派切り崩しの音も聞こえて来ました。
しかし主要な島津諸氏が敵に廻り日新斎殿も苦しそうです。
チート武将ですからその困難もいずれ乗り越えるでしょうが、ここでお手伝いしておけば交易面で優遇してくれるかもしれません。
硫黄島や屋久島を切り取るなら日新斎殿と敵対せねばなりませんが勝ち目が見えないし、時間が経てば四兄弟が無双を始めるので怖すぎます。
そんな訳で件の坊津を経由して伊作荘の伊作城へ向かいます。
約1万貫の領主である日新斎殿の城はそれはもう立派な城です。
と言うかデカい!
南北750m東西1050mに6つの廓とか、、、、
うちの大坂城以外でそんな巨大な城見た事無かったよ。
さすが戦民族薩摩隼人と言われるだけあります。
戦争の心構えと言うか備えが違います。
国人領主の頃からこんなもん築くような家とガチで戦争した秀吉さんて凄いよ。
尊敬しますわ。
これから日新斎殿とお会いするんですが曲がれ右して帰りたくなりました。