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大南海③

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

1533年(天文2年) 3月 琉球王国 今帰仁。


綾小路 興俊 16歳


今帰仁さんは大変貴重なお話を幾つもしてくださいました。

その中の一つが琉球王国の主要な輸出品が日本刀である事です。

知りませんでしたよ。

琉球で日本刀を作ってるとは。

もちろん大嘘です。

琉球で日本刀は作れません。

だいたい研ぎ師すら居なくて京まで刀を持ってくるんだから刀鍛冶が居る訳ないですね。

ではどういう事か?

簡単です。

日本から安く刀を買い求めて明に転売してるんです。

うちの神屋さんも貿易船に随分刀を積むなって思ってたけど、現地では日本で1貫の刀が10貫で売れるそうです。

もう錬金術ですよね。

その刀がどこの日本刀かと言うと豊後刀だそうです。

豊後と言えば仇敵大友氏ですよね。

大友氏の飯の種見~つけた!!って感じですね。

大友~島津~琉球と言う経路なんでしょうね。

硫黄より利幅が大きいので大内家から隠しているドル箱路線でしょうね。

ここを断つと結構面白いかも知れません。

琉球は日本で仕入れた日本刀を明だけでなく東南アジアにもたくさん輸出しているとの事。

東南アジアでは日本刀の事をリキウとかレケオと呼んでいるそうで、まるでアフリカ人がバイクの事をホンダと呼んでるようなデジャブを感じましたよ。

琉球人の事をあちらの言葉で刀剣を意味するゴールに因んでゴーレスと呼んでいるとか、、、

ゴーレスってなんかカッコいい。

凄く悔しい気分です。

他の話題では、、、琉球王国はルソン島(フィリピン北部の島)とも交易をしているそうですが、あの島では金が出るそうなんです。

ルソン島に優良な砂金鉱山が有って現地人のイロコ族が精錬して輸出してるそうで、しかも金銀の交換比率が1対2なんだそうです。

日本では今まで1対6だったのが、石見銀山の発見で1対7になろうかと言う今日この頃。

それ聞いて神屋主計さんや加計さんの目が$って感じになってますよ。

彦八郎さんと相談して根こそぎ石見の銀と交換しかねない感じです。

そしてもう一つ重要なお話をしてくださいました。

事の初めは1516年(永正13年)備中国の水軍の頭領である三宅国秀殿が当時の公方さまの命を受け琉球王国へ渡航しようと12隻の商船で6月1日薩摩の坊津に訪れた所、琉球王国との交易独占を目論んだ島津氏に皆殺しにされた事件なんですが、、、

島津氏はなんと公方さまに琉球王国が三宅殿を殺したと報告してるんですよね。

随分楽しい事を島津殿もしておられます。

まぁ~そんな言い訳で瀬戸内の水軍が納得する訳もなく1521年(大永元年)4月に備中国の水軍に坊津の湊は焼き払われてるんですが追及するネタにはなりそうです。

大変有意義な情報を神屋さん達皆さんと吟味してる所に待ち人が来られたと今帰仁さんにお聞きました。

ところが待ち人さん刀で切られて重傷を負って居るとの事。

ビックリです。

すぐさま曲直瀬正盛殿に治療して頂きました。

その後一昼夜生死の境を彷徨ったようですが無事一命を取り留めたとの事。

本当に良かったです。

原因を聞くと何でも阿波根実基殿と言う方は馬鹿が付くほど愚直と言うか正直な人で曲がった事が大嫌いだそうです。

まぁ~愚直じゃ無ければ宝剣を取り戻しにもう一度京まで行こうとは考えないですよね。

そんな方なので市中の評判は良くても敵が多い。

今帰仁さんの使者が迎えに行き今帰仁へ出立した時、恨みを持つ貴族が刺客を放ったそうです。

今帰仁の近くで襲われた時彼は武器を持っていなかったので無手で立ち向かい相手の膝を叩き折るなどの奮闘をしたんですが武器を持つ相手にはやはり敵わず重傷を負ったんだとか。

まぁ~助かって良かった良かった。

それから曲直瀬正盛殿より「もう大丈夫。」と面会の許可を貰って件の阿波根実基殿とお会いしたのですが噂と風貌が全然あってません。

何て言うか、、、イケメン?

それも全然濃くない感じの醬油顔?

優しいと言うかそんな感じの人です。

琉球語は良く分からなくて通詞を間に置いての会話でしたが言葉も凄く落ち着いた感じで素手で悪党に立ち向かうとか愚直意固地なご仁と言うイメージより文官って感じです。

人は見た目によらないんですね。

名医を遣わした事を凄く感謝してるそうで怪我でまだ動いちゃ~いけないのに這い蹲らんばかりの感じです。

こちらの方こそ日本の名誉を護ってくれた事に感謝を捧げたいとお呼びしたのにそれじゃあおかしいじゃないですか。

そう伝えるとどこをどう解釈したのか?

「貴方に仕えたい。」と言われました。

融通が利かない為に居場所を無くして、更に讒言で命まで失う所だったがそうですが。

そんな自分の愚直さを私が評価して更に命を救ってくれたからと私に仕えたいと言われるんです。

もちろん私の答えはウェルカムですよ。

貴方みたいな素晴らしい人を天下に求めても簡単に得られるものではありませんから。

そう言えばこの騒ぎの直前に琉球王が訪問を歓迎したいので首里の湊である那覇へ船団を回されるようとの使者を頂きました。

吉報なんですが彼を貰い受けるには首里まで彼を連れて行かなきゃいけないでしょ?

それが問題です。

使者殿にはお互い準備もあるでしょうから一月後に伺いますと伝えました。

話に聞く琉球王国首都の首里城は先代の王さまが琉球中の領主を首都に住まわせたそうでそれから凄く大きくなったとか。

他にも大きな寺院を幾つも立てたそうで仏教が盛んらしいです。

そして那覇と呼ばれる湊、安護の浦にある唐船グムイは150年近く前に作られたらしいですが大型船が座礁しないように爆薬で水深を深くした船溜まりなんだそうです。

先進的な国際貿易港なんですね。

訪れるのが凄く楽しみです。




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