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大南海②今帰仁(なきじん)。

1533年(天文2年)2月~3月 対馬国 府中 ~ 琉球王国 今帰仁。


綾小路 興俊 16歳


対馬国にある主要な湊の佐賀、船越、府中の防衛を冷泉興豊殿に任せ私達は対馬を出発し松浦党の支配する肥前国平戸、次いで五島列島の宇久へ2月7日には奈留に到達しました。

宇久盛定殿が領す五島列島の中で一番の商都がここ、奈留です。

まぁ~商都は大袈裟かな。

見た目はただの村です。

遣唐使以来の日本側最後の寄港地と言えば理解できるでしょうか?

日明貿易で畿内から船を出そうと赤間関から船を出そうと必ずここへ最後に立ち寄って大海原へ繰り出していくのです。

その為九州から集まる物資の集積場にもなっています。

まぁ~倭寇の基地でもありますので、カリブの海賊なら差し詰めここはナッソーに当たる感じでしょうか?

具体的には島津氏や大友氏が領内から送ってくる硫黄をここで神屋が買い上げて火薬の原材料として安芸国に送ったり明への輸出品として集積してます。

大友氏と大内氏は表面上は戦争してますが裏ではこうしてワンクッション置いて確り貿易してる仲なのです。

奈留の代官である奈留氏に挨拶をし今後南海周りに硫黄を送り出す事になるが買い取り量は保証するなどの取り決めを行い更に先へと船を進めます。

奈留から福江、玉之浦と進め遂には大海原へ九州の島影を左手に見ながら南へ南へと進み甑島列島こしきじまれっとうの西端、下甑島しもこしきじまを左手に過ぎ大隅諸島の屋久島を通過し進路を南南西に取りトカラ列島を島伝いに進みます。

その先に見えるのが奄美大島で次いで徳之島や与論島を過ぎると沖縄本島が見えてきます。

そして奈留を出発して約一月で琉球王国北部の要衝、今帰仁なきじんに到着しました。

今帰仁は琉球が三国鼎立していた時代の北山王国の首都であった場所です。

三国鼎立が終わり首里を首都とする中山王国が三国を統一したのがほんの一世紀程前の話です。

しかし統一から半世紀程経って奄美大島の先の喜界島を10年以上毎年のように攻撃した為軍役の重さに人心を失いクーデターによって王朝が後退したそうです。

それが今の王朝だそうで、、、それほど地盤は固まっていないかも知れませんね。

因みに沖縄の希少動物と言えばヤンバルクイナとイリオモテヤマネコ。

どちらも地名が上に来ており、山原やんばるとは北山王国の領域を指す地名だそうです。

西表いりもて島は日本の秘境の一つとして有名ですよね?

1500年(明応9年)に琉球王国が八重山(石垣島)を制圧した時に琉球王国に協力した八重山の国人が遠征前に逼塞していたのが古見(西表島)だそうです。

1522年(大永2年)にその先の与那国島を占領したとの事で前世で言う八重山諸島をコンプリートしたのが今から11年前と言う事ですね。

本当に若い国なんです。

明応9年の遠征で集めた軍勢が3千との事ですが遠征としては精一杯の規模でしょうね。

先に述べた琉球王国の石高は11万2千石。

私のように日当を払うだけの不正規雇用なら五公五民と見て1万6千8百程の兵士を雇えますが、家臣に知行地を与えて御恩と奉公で軍役を科すと1万石辺り250人と言う相場で見て2千8百となります。

交易や朝貢貿易で石高以上の収入があるので現在は問題ないでしょうが治めたばかりの石垣島や奄美大島に水軍に兵を乗せて東西から交互に突けばあっと言う間に破綻するかもしれませんね。

今は私も明に睨まれる訳にはいけないので放置ですが心の片隅に覚えて置きましょう。

今帰仁の城下町である親泊いぇーどぅめーと言う湊に船を付けると北山監守の今帰仁朝典なきじんちょうてん殿と言う方が私に会いたいと先触れを送ってきました。

あぁ~船団の規模が大きすぎたか。

安宅船や関船、小早は全て対馬に置いて来たけど、逆に言えばそれ以外はすべて持ってきたからね。

琉球王国は馬の産地でもあるから空の馬船も付いて来ている。

1千石級の和船が5隻、唐船が2隻。

5百石級の和船が12隻、唐船が10隻。

1千石級の唐船(馬船)も2隻。

併せて31隻、1,500人弱の人間が乗ってるからね。

今帰仁の兵なんて良い所300程に見えるし。

今頃首里に急使が送られてるかも。

この場合嘘ついてもしょうがないから正直に話そう。

と言う訳で、


私が大内家のお屋形さまの舎弟の興俊と言う人間である事。

とある誤解から兄のお屋形さまと不仲になって国を追われてしまったが自分の領国が堺の近くにあるのでそこに戻ろうと思った事。

しかし風に恵まれず西へ西へと流されてしまった事。

引き連れている郎党が沢山いるので小島で風待ちをする訳にもいかず首里で風待ちしようと考えている事。


うん、どこから見ても悲劇の王子さまだ。

そこ!話してる傍からぷっとか吹くのは失礼だよ。

と思ったら吹いてるのは奥さんでした。

風待ちともなれば早くて2か月くらいは掛かります。

即断出来る話では無いので王都に早馬を出したそうで上陸はお待ちくださいだって。

いやいや目の前でお預け喰らったワンちゃんじゃ無いんだからさ~

馬より船の方が早いから船で直接首里に行って聞くよって言ったら、

「それだけは待ってください。」

と懇願されてしまいました。

結局向こうが折れてくれて上陸許可を頂きました。

首里からの返答次第ではここで風待ち?かな。

ところで皆さんご厚意で上陸許可頂いたんだから行儀良くね。

羽目さえ外さなければ銭は私が持ってあげるから。

少しは散財させて水主だけでなく町の人にも潤いを差し上げなきゃね。

今帰仁さんとお話しさせて頂いたんだけど、北山監守と言うのは王族が任命されるかなり偉い地位らしくて今帰仁さんも現王様のお兄さんなんだって。

先代の王さまの時代に今の王さまやその兄で長男に当たる方と激しい後継者争いがあったらしいです。

長男さんは王妃の息子であったにも関わらず二度も廃嫡されて王位を継げなかったらしいです。

で、先代の王さまが溺愛していた側室の子供である五男さんが王位を継いだんだとか。

(・_・D フムフム。

私の目が爛々と輝いていたんでしょうね。

突然話題を変えられてしまいました。

日本と言えば京の都に縁の有るご仁が首里に居るそうで。

その方の名前を阿波根実基あはごんじっきと仰るそうです。

何でも王室の宝剣を京の都に研ぎに出されたそうなんですが、その時偽物にすり替えられたそうなんです。

普通琉球に戻って来たならそれで諦めてしまう所なんですが彼は諦めずに又京へ行って本物を取り戻してきたんだとか。

凄いよ!!

偽物にすり替えた研ぎ師は京に戻ったら八つ裂きだね。

国の恥だ。

琉球王の宝物を日本が掠め取ったなんて話は最低最悪です。

日本と琉球の名誉を護ってくれたその方に是非お会いしたいと今帰仁さんに強くお願いしました。

阿波根さん今は首里に居るそうでお呼びするのは数日で済むらしいです。

どんな方なんでしょうか?

お会いするのが楽しみです。

阿波根実基さん領地じゃ無く首里に住んでる事に気が付きまして訂正してます。

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