小さなチート。
1532年(天文元年)10月 摂津国 石山本願寺。
綾小路 興俊 15歳
怒りって上限を超えると楽しくなるんですね。
知りませんでした。
今、私は鼻歌を歌いながら世界地図の作成に勤しんでいます。
とは言っても凄く簡単な世界地図ですけどね。
先ず紙の真ん中、真横に一本の赤道線を引きます。
赤道が決まったら上下を横線で3等分に分けます。
それぞれ緯度の15度、30度で一番端が45度線ですね。
そして今度は縦線で24等分しましょう。
東京の緯度経度なら知ってる人も居ると思いますが主要都市すべてを知ってる人が居るとは思えません。
そして当然私も知りません。
しかしそれが時差なら海外旅行を経験した人なら覚えているもんです。
当然行った事がある所くらいでしょうけど。
その為経度をタイムゾーンで代用するとあら不思議!割と正確な形の世界地図が完成しちゃう訳です。
シンガポールの時差は2時間で赤道付近とか、、、ハワイとかロサンゼルスとかNYとかロンドンとかの時差はこれだけ~とかね。
このやり方中学校で世界地図の簡単な書き方として先生に教えてもらったんですけどね。
世界地図を自分で作るとなるとしっかり作りたいじゃないですか?
そうすると地理の色々な所に興味を持てるんですよ。
地球儀で日本の反対側はブラジルだとか、北半球の反対側はスペイン、ポルトガルだとかね^^
そんな感じで作ったお手製の世界地図に海流を書き込んでいきます。
風は季節風とかあるから覚えにくいけど海流は大まかなら凄く簡単。
世界地図に書き込んだ陸地によって太平洋、インド洋、大西洋と言う隙間が生まれますよね?
この大洋を赤道で2等分して北は時計回り、南は反時計回りに円を書くんです。
その進行方向が大体の海流です。
そして太平洋と大西洋の赤道に他の海流と逆行する西から東への海流を1本つけて、紙の一番底辺にも西端からから東端への海流を付けて完成です。
船乗りはどこに流されるか判らない海流を怖がります。
しかしその先の陸地をあらかじめ知っていて海流の流れが判って居れば怖いものは無いのです。
と言う訳で早速鉄砲玉要員の白井膳胤殿を呼び出します。
綾小路探検隊の白井隊長にお願するのは以下の事です。
先ずは黒潮に乗って新大陸に向かって東へ向かって貰いたいですよね。
途中房総半島が日本での最後の寄港地になるので十分な物資を調達して欲しいですね。
あぁ~長旅には蜜柑などの柑橘類が特効薬と何処かの南蛮書に書いてありましたよ(ちょっと待て)
沢山持って行ってくださいね。
そして予想では一月以内でしょうか?
そのくらいに新大陸に到着するはずです。
到着したならば三角関数を学ばせた専門職の航海士に測量させて正確な地理情報を把握したいですね。
地理情報を蓄積しながら南下して有用な動植物等の食料情報や水場などを探索して貰いましょう。
最初の文明との遭遇はスペイン人に征服されたアステカですか?
現地人の皆さんとは友好的に接して貰いたいですね。
現地では天然痘が流行っているとの噂ですから専門職のご典医さんの出番かも知れません。
現地宗教がキリスト教に押されているなら本願寺や法華宗のお坊さんの出番でしょう。
あちらの人は疫病をもたらす神さまと疫病を癒す魔王さまのどちらを信じるでしょうか?
上手く行くようでしたら現地に鉄砲や大砲などを作れる鍛冶職人や造船が出来る船大工を派遣しても良いかもしれませんね。
ついでに信仰心が篤い侍さんも戦争のプロフェッショナルとして派遣しても良いでしょう。
パナマ地峡辺りまで浸透出来れば南アメリカ地方は切り離されたも同然です。
同じように苦労されているインカの皆さんに魔王への転向を進めていきましょう。
新大陸が魔王領に染まったら船を押し出してアフリカ西岸地域で通商破壊ですね。
まぁ~アメリカ大陸を支配したい訳じゃ無しアメリカインデアンさん方とは互助的な関係を結べれば充分です。
それで済まないのが我々を襲ってくれたもう片方の南蛮人であるポルトガルさんです。
取りあえずどんどん軍船を仕立てて喜望峰まで押し返しましょう。
所詮我ら大内家の何分の一に過ぎない小国です。
流した血の量が同じなら直ぐに脱落するでしょう。
スペインが参戦してくる場合もあるのでインド洋の制海権は重要ですね。
必要ならオスマントルコにドシドシ武器や火薬を援助する必要があります。
一旦博多に行って陣頭指揮を執る必要がありますね。
綾小路家の財政が傾くくらいのめり込んで初めて南蛮人に制海権争いで勝てるでしょうし、、、
畿内が私の勢力圏になったのでここで水主や大工など人材を大募集しましょうか?
海運で人や物を輸送する為に唐船も和船も沢山作る必要がありますね。
西国が比較的安定してるので好景気は歓迎させるでしょう。
世界史で日本の大航海時代は西洋より半世紀遅れて始まり西洋文明と激しくぶつかったと記されるかもしれないですね。
そんな訳で畿内地域全域の陣代に飯富虎昌殿を据え援軍として来てくれていた陶殿や内藤殿らを引き連れて大坂城から大内館へ向かいました。