本願寺大戦⑤ 魔王降臨。
本日は僕(作者)の誕生日。
なので魔王君の誕生日も今日に合わせたかったのです。
その為に活躍の場を奪われてあっさり死んでしまった三好冬長殿に深く哀悼を意を表します。
南無。
1532年(享禄5年)6月~1532年(天文元年)7月末日 摂津国 石山本願寺 ~ 京の都 内裏。
綾小路 興俊 15歳
準備を始めて半年。
延暦寺とお話しする準備が整いました。
延暦寺の元へ使者を派遣しました。
1つ 延暦寺は都を焼いた賠償として銭500万貫を支払う。
ただし分割払いは認める。
1つ 延暦寺は比叡山を法華宗に引き渡し法華宗の末寺となる。
1つ 恫喝を持って末寺に組み入れた関係はすべて解消する。
1つ 延暦寺において全ての僧兵は破門する。
又全ての武器を引き渡す。
1つ 今回の騒乱の責を取って近江国守護の六角定頼は切腹。
全ての所領を召し上げ一族は綾小路預かりとする。
1つ 近江国内の四本商人(保内商人など)が裁決などに持ち出している証拠の院宣や綸旨を改める。
万が一偽書であったならば村民は言うに及ばず監督者の後藤氏と布施氏を族滅する。
この6か条の要求が認められない場合は全山を焼き討ち致します。
とまぁ~こんな感じでお話に行ってもらったんだけど残念な事に使者は首になって帰ってきました。
もっとも役目の内容が内容だけにキチンとお話の内容を伝えた上で使者を募ったんだけど我も我もと立候補者がいて困ったくらいなんだけどね。
特に法華宗の人熱い人が多いです。
そんな感じでお話合いは決裂したので軍を編成して6月11日大山崎へ向けて前進しました。
因みに編成は大山崎到着時点で
先鋒(先手)衆
本願寺門徒 2万 大将 下間頼清殿 副将 下間頼次殿
法華宗門徒 1万2千 大将 山村正次殿
大内勢 1万5千 大将 陶興房殿 副将 内藤興盛
(綾小路勢) 3千 大将 宍戸隆忠殿
旗本(中陣)衆
本願寺門徒 2万 大将 証如上人さま
大内勢 5千 大将 飯富虎昌殿
併せて7万5千となっています。
6月12日に大山崎から京へ進もうとした所、延暦寺と六角定頼殿の連合軍6万が西国街道(山陽道)を南下して6月11日に下鳥羽を通過、翌12日に大山崎のすぐ近く、円明寺川手前で布陣したとの報が入りました。
互いに12日中は陣を張る事に終始しました。
敵は右翼を六角勢で左翼を延暦寺門徒が分担しているとの事で、こちらは左翼が本願寺門徒で真ん中を法華宗門徒、右翼に大内勢を配しました。
そして本願寺勢の最前衛に綾小路勢を持っていきました。
明けて13日、西国街道沿いに突出していた綾小路勢に六角勢が川を渡って襲い掛かる事で戦いが始まりました。
いや襲い掛からんとしたその時、鳴り響いたダッダーンと言う轟音で戦が始まったと言い換えた方が正しいですね。
日本史上初めて使用された火縄銃は三千丁。
備えの兵全てが銃兵と言う特異な部隊でした。
撃ち手が一人に二人が弾込めを分担する三人一組で射撃間隔を短くしています。
六角勢は初撃に多くの馬上衆や組頭を討たれ未知の音に怯え惑うています。
六角勢が混乱している様を横目に本願寺勢は前衛の綾小路勢の左より出でて天王山山麓から廻り込み六角勢の右後背に達し横槍を入れます。
又敵方左翼の延暦寺門徒を仇討ちに燃える真ん中の法華宗門徒が拘束し、右翼の大内勢が円明寺川河口付近の葦原を突破川を渡河して延暦寺門徒に横槍を入れる事に成功しました。
両側から挟まれるように横槍を入れられた延暦寺と六角定頼殿の連合軍は一刻と持たずに壊乱しました。
六角定頼殿は戦場の後方に有った勝竜寺城に籠ろうとしましたが引き上げる過程で大半の兵が逃亡しました。
城に辿り着いたものの籠城が不可能と見た定頼殿は少数の供回りと共に城を脱出し東へと落ち延びましたが小栗栖と言う所で落ち武者狩りに遭い命を落としました。
戦の後始末が終わると軍勢を北へと進め6月17日に京へ入りました。
翌18日に日吉大社を占領し比叡山東麓を占拠。
同じく18日、天台座主の覚胤入道親王さまをお住いの青蓮院にて保護し更に兵を進めて比叡山西麓、南麓も占拠しました。
僧侶や僧兵たちは山麓から押し上げられ延暦寺を中心に守りを固めていましたが18日夜半、ドンと腹に響くような爆音が山中に響きました。
ドン!ドン!と短くも音の重さを感じる爆音が次々襲い掛かります。
その音が静まった瞬間。
囲んでいた本願寺門徒や法華宗門徒、そして大内勢が赤々とした篝火を焚いて鬨の声を上げます。
更に又ドン!ドン!と爆音が響きます。
夜中じゅう爆音と喚声が響き渡った後、朝から比叡山を大内勢が攻めあがりました。
しかし比叡山の僧兵の大半が怯えて抵抗しなかった為順調に占領していきました。
幾つかの坊は戦意を喪わなかったので止む得ず銃兵の一斉射撃で鎮圧しその坊を焼きました。
そして6月19日の夕方には比叡山全ての寺院を制圧しました。
捕獲した僧兵は二千余りとの事で6月21日五条堀川にて全ての僧兵の首を落としました。
因みに轟音を鳴り響かせたのは音玉と言って音を出す花火です。
ただし花火と言っても火薬を一切使用しない超チート品ですけど。
材料は日本ならどこでも手に入る苦灰石と豊後産の明礬と古代の建築塗料である鉛丹です。
こんなもので花火を作ろうなんて考えだされたのは前世の1980年代なのでちょっとやそっとのチートじゃ無いのは自信があります。
前世の地元でのお祭りは花火師の資格が必要でした。
そんあ俄か花火師のド素人でも扱える安全な花火です。
材料の配分もかなり融通が利く為目分量でも作れると言うふざけた奴です。
閑話休題。
こうして都の静謐が戻ってきました。
しかし一向宗の暴走から始まって大変な数の人々が亡くなりました。
その方々の慰霊と心機一転を願って公方さまと共に参内しお主上に比叡山並びに延暦寺の禁教と改元を願い出ました。
比叡山の僧侶の6年間の山城国への立ち入り禁止がまず認められました。
そして7月29日。
享禄から天文へと改元しました。
天文とは四書五経の中の五経の筆頭に挙げられる易経に出てくる一文の
易與天地準。
故能彌綸天地之道。
仰以觀於【天文】。
俯以察於地理。
是故知幽明之故。
原始反終。
故知死生之説。
精氣爲物。
遊魂爲變。
是故知鬼神之情状。
から採ったとされています。
何かこうやって聞くとありがたい元号に思えてくるけど、、、
易経って一言で言えば占いの本だよね?
で、天文の単語が含まれてる文章を良く見てみると、、、
鬼人って出てくるよね?
これって鬼や人の事じゃなくて魂と魄の有り様を説明してるんだよね。
信じていた仏教がこんなグダグダな有様で頼れるのは陰陽道だけと言うのも判らない訳では無いけれど、、、魂や魄なんて怪しげな東洋ファンタジーにまで手を出すなんて><;
お主上の心の内を少し覗いてしまった気がして心苦しいです。
お主上にこれからも国の静謐の為に力を尽くしますと申し上げると第六天魔王波旬と名乗る事を許可する勅許を頂きました。
ううう、要らないって言えればどんなに良い事か。
それとも都で暴れすぎたから嫌われた?
天文元年7月末日。
この日、日の本の国に魔王が降臨いたしました。