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本願寺大戦④

1532年(享禄5年)年初~5月 山城国 大山崎 ~ 摂津国 石山本願寺。


綾小路 興俊 15歳


年が明け1月14日延暦寺全山の門徒が集合して都周辺にあった法華宗の洛中法華二十一ヶ寺に対して延暦寺の末寺となってみかじめ料を延暦寺へ支払うように迫ったそうです。

怖いですね~まるでヤクザですね。

当然突っぱねた訳ですが延暦寺は僧兵や門徒そして近江国守護の六角定頼殿を援軍に加えて、約6万人で都に押し寄せ洛中法華二十一ヶ寺を全て焼き払ったそうです。

法華衆門徒が1万人も殺害されたとの事。

この時三好冬長殿の軍勢も襲われ討ち死にしたと聞いています。

更に寺を焼いた火が大火事となって下京の全てと上京の三分の一が燃えたそうです。

もちろん私の屋敷も燃えました。

公方さまは何とか大山崎まで落ち延びて来られましたがやり過ぎです。

何を考えているのでしょうか?

法華衆門徒はすべて洛外に追放され禁教をとなったそうですが、禁教は貴方がたです。

三好殿戦死や公方さままで焼け出されたとの報告を聞いて血管がブチ切れました。

憤死しなかったのは奇跡ですね。

若干15歳で血管切れて死んだら平成の御代で元祖「切れる若者」として歴史の教科書に載ってしまうじゃありませんか?

取りあえず公方さまと一緒に石山本願寺へ。

あぁ~もちろん追放された法華宗門徒はこちらで引き取っていますよ。

一向宗門徒の方々で法華宗門徒が受け入れられないと言われる方もいましたが石山本願寺の証如さまにお願して門徒の方々にお触れを出して頂きました。

揉め事を起こしたら破門の上大内勢が皆さんを根切にしますと。

やはりお話は大切ですね。

皆さん必死に助け合って過ごされているようです。

ところでうちの屋敷火災保険に入って無いので保険が降りないんですよね。

普通は貰い火の場合火元の責任は問わないのがルールですけど、これって付け火ですからね。

キチンと損害賠償請求はすべきですよね?

でも延暦寺の方々とお話しするには準備が足りないようです。

残念です。

なので準備の為に西の大内本国に3つの手紙を送りました。


1つはお屋形さまに。

力が及ばず兵が足りません。

陶殿や内藤殿を援軍に欲しいです。

と言う手紙を。


もう一つは神屋家に。

可及的速やかに西国中の米を買い漁って摂津国に届けて欲しいです。

ついでにお金も。

と言う手紙を。


最後はうちの家宰を務める宍戸弥四郎隆忠殿に訓練中の銃兵や砲兵とあるだけの火縄銃、大砲、火薬、銃弾を摂津国に届けて欲しいです。

と言う手紙を。


西から人や物資が来るのを待ってるだけでは手持ち無沙汰なのでやれる事を取りあえずやる事にしました。

堺からも米などの物資を調達します。

しかし堺と石山本願寺のラインにお邪魔な方が居ます。

その為大内、本願寺の別動隊を編成して上和泉国守護の細川五郎晴宣殿、下和泉国守護の細川九郎勝基殿を大軍で押しつぶし一月ほどで制圧しました。

この時飯富虎昌殿がやってくれました。

流石に来たばっかりで大将なんて任命できないので組頭で参加していたんですがしっかり一番首の手柄取ってくれました。

流石です。

もう満面の笑みで褒め称えて直臣に取り立てましたよ。

山県殿も素直に義弟の出世を喜んでおられたので気の良い人なんだね。

ところで近頃、私の名声が鰻登りに高まっています。

武名でなく名声です。

最近は昔のような朱塗りの輿に乗って移動なんてことは無くちゃんと馬に乗って移動してるんですが(戦の時は相変わらず輿に乗ってます。)道々で出会う下々の方々に拝まれてしまうんです。

貴人が通るとき横に寄って道を譲るとか、それが行列だったら土下座して通り過ぎるのを待つと言うのは普通なんですが、ありがたや~ありがたや~と拝まれるのは今まで無かった事です。

田代先生が言うには私が皆さんを喰わしているからだと仰るんです。

焼け出され追い立てられて飲まず喰わずで必死に逃げてきた一向宗門徒や法華宗門徒の皆さん。

そんな皆さんも私の所に辿り着けば食べ物が与えられ着る服が与えられ住むところも与えられる。

私と戦った門徒さんもいらっしゃるそうですが、そんな事すら関係なく窮した者を分け隔てなく救う所が評価されているんだとか?

一向宗や法華宗、比叡山のお坊様たちは私の事を第六天魔王波旬だいろくてんまおうはじゅんだと言ってるとか。

波旬と言うのは仏教用語で悪魔と言う意味ですね。

酷い言われようですが、一向宗や法華宗と比叡山のお坊さまでは魔王の扱いは違うようです。

比叡山の僧侶が言う天魔とは『大智度論』と言う経典で「此の天は他の所化を奪いて自ら娯楽す。故に他化自在と言う。」と、一向宗や法華宗、叡山等の教化(門徒)を奪い取る天(他化自在天、即ち第六天魔王波旬の事)として私を仏敵としているそうです。

対して私が保護している一向宗や法華宗のお坊さま達は、『大般涅槃経」と言う経典で「波旬は、仏の神力によって地獄の門を開いて清浄水を施して、諸々の地獄の者の苦しみを除き武器を捨てさせて、悪者は悪を捨てることで一切天人の持つ良きものに勝ると仏の真理を諭し、自ら仏のみ許に参じて仏足を頂礼して大乗とその信奉者を守護することを誓った。」と言う記事を以て私を仏法の守護者と位置付けているようです。

法華宗の皆さんがこのように私を持ち上げる理由は、日蓮上人さまは第六天の魔王を仏道修行者を法華経から遠ざけようとして現れる魔であると説いているんですけど、、、

しかし一方で法華経の信者の祈りの前では魔王も法華宗の味方すると上人さまが自筆の御書で説いているんですよね。

だから上人さまがあらわした法華経の曼陀羅にも第六天の魔王が含まれているんです。

そんな訳で敵対する叡山が私を天魔だ!天魔だ!と叫べば叫ぶほど一向宗や法華宗の皆さんが私に好意的になって行くと言う不思議現象が起きています。

しかし近習達まで私の事を魔王さまと呼ぶのはどうにかならんものですかね?

暖かくなり始めると続々と人や物資が届き始めました。

送られてきた米を気前よく振る舞い朝鮮半島産の布を衣服に仕立てさせて皆々に配ります。

送られてくる鉄を鍛冶が武器や農具に加工し農具は畿内の村々に無償で与えます。

戦火で潰れた農村は流民の皆さんに再建用の物資と共に送り出します。

私の元に来てくださった施薬院や典薬院の皆さんにお願して村々を巡回して医療を施してもらいます。

孤児となった子供たちも積極的に悲田院が預かり育てます。

手隙の流民の中で健康で体格の良い方々には武器の取り扱いと集団行動を訓練します。

全てを思い付きで始めるので私の側近の方々は大変です。

自然と業務をしっかりこなせる方が筆頭となり私の帷幕の中心に侍る事になります。

部下に土地を知行として与えればその土地の住民の面倒を見るのは部下の責任と言う土地の切り売りのような封建制度ならば、君主が得られる忠誠は土地を与えた部下だけで忠誠の深度は与えた土地の多寡と武功のつり合いですよね。

その分面倒が少ないですが。

替わりに部下に土地でなく金や食料を与えれば少額なだけにより多くの者の忠誠がつかめます。

広範囲に与えられるだけに広く忠誠を得られますが金の切れ目が縁の切れ目、追い込まれると容易く忠誠も霧散します。

信長の兵農分離も根幹はそこですよね?

喰わしてやるから従え。

そして一向宗門徒も根幹は同じだと思うんです。

農民たちにとって領主は農民から食料を強奪する存在でしたが、一向宗は農民たちとコミュニティを作って共同で食べていく事を指導する存在。

時には喰えない程農民から搾取する領主を退治しようと指導してくれる存在。

信長と本願寺の戦争の時期は兎も角、最初の布教時に農民が信奉したのは喰わしてくれる存在だったと思うのです。

そして巷で魔王さまと言う有り難くない2つ名を頂いた私も同じ事をしようとしています。

そんな叡山とのお話合いの準備を着々と進めていた5月4日、本願寺の証如上人さまよりこんなお申し出がありました。

曰く


「石山本願寺が所有する寺領並びに門徒を全て綾小路少将さまに献上したい。

護国鎮護の為にお使いください。」


と、そしてその日のうちに法華宗の方々からも同じ申し出がありました。

皆さん本気で私を魔王にしようとしてます。

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