本願寺大戦①
年末の為これから更新速度、更新量が不安定になります。
申し訳ありません。
なるべく頑張りますのでご理解宜しくお願いします。
1531年(享禄4年)6月初旬~下旬 備前国 砥石城 ~ 摂津国 大坂御坊。
綾小路 興俊 14歳
本願寺の内訌に介入するとしても加賀国は非常に遠いです。
今から周防国のお屋形さまの指示を仰ぐにしても兵は畿内に進めるべきでしょう。
備前国の攻略は中断しますが少しは兵を置かないと寝返った浮田氏が辛いでしょう。
本城(高橋)常光殿を大将に2千の兵を残し後詰を周防の冷泉殿に依頼し陣払いをします。
一路畿内へ向けて東進し6月7日姫路に到着しました。
翌日更に東へ進もうとしたその時、英賀御堂の本願寺門徒二千余りから奇襲を受けました。
完全に油断していました。
門徒が集まっているのは加勢してくれるのかな?くらいにしか考えておらず、突然の攻撃を受け大きく崩れました。
この奇襲で旗本として詰めていた本城一族の本城弘厚殿、本城興光殿、他3百余りが討ち取られ、8百程の負傷者を出しました。
当然ですが本願寺門徒のほとんどを討ち取り英賀御堂も焼け落ちています。
良く判らないのですが第9代法主実如上人さまの子息である実円さまが私の殺害命令を出したらしいです。
実円さまは英賀と三河の寺で住持されているそうです。
介入と言っても戦う気無かったんですけどね。
どうも実円さまはやる気満々なので話し合いでは済まなさそうです。
実円さまは住持の寺でなく山科本願寺で蓮淳さまの補佐をしてるそうなので、蓮淳さまも敵と言う事なのでしょう。
こうも早く敵対されると加賀国へ行くのは絶望ですかね?
1万弱の兵で山科本願寺を押し渡り加賀まで辿り着く道が全く見えません。
とは言え、全く何もしないのでは周防国に帰った時に義姉上さまに縊り殺されます。
先ずできる事から始めましょう。
畿内で集めていると言う本願寺門徒はどのルートで加賀国に至るのでしょうか?
近江国や山城国は本願寺の庭みたいなモノですから問題なくとも越前国は通れませんよね。
越前の朝倉氏と本願寺は不倶戴天の敵です。
となると美濃国から飛騨国へ抜けて加賀国へ至るしかないですね。
姉小路の右田殿に金子を付けて書状を送るべきですね。
本願寺門徒の加賀国侵入を全力で阻止してくださいと。
しかし綾小路の兵が3千に姉小路家って精々2千が良い所ですよね。
余りにも少ない感じがします。
美濃国にも金子を付けて書状を送りましょう。
土岐のご舎弟殿をお返しする用意があります。
本願寺の門徒が美濃国を通過するようならば阻止してください。
もし協力頂けたらご舎弟殿が守護職となれるよう口添えいたします。
こんな感じかな?
あとは公方さまや三好冬長殿に協力を仰ぐしかないですね。
これから先は敵地と思って慎重に進みましょう。
更に東に進み摂津国に入ると色々な情報が飛び込んできました。
加賀国への出兵を求められた畿内の一向宗門徒の内、富田道場や大坂御坊など蓮如上人さまの8男亡き蓮芸上人さまや9男の亡き実賢上人さまと縁の深い門徒が派兵に反対したそうです。
蓮芸上人さまの縁と言うのは言うまでもなく私との縁ですね。
そして実賢上人さまと言うのは河内錯乱で旗頭にされた方で妙姫の伯父にあたります。
妙姫の祖母に当たる蓮能さまのお子さまの長男さまですね。
次男さまが今回加賀の騒乱に参加されている実悟上人さま。
三男さまが妙姫の父君である亡き実順上人さま。
四男さまの実孝上人さまは大和国本善寺住持で蓮芸上人さまのご息女南向殿を娶らています。
五男さまの実従上人さまは山城国山科本願寺で法主の証如上人さまの側付きとして仕えてますが、、、
次男の実悟上人さまの派閥と見られれば私が襲われる訳です。
蓮能さまの子らと蓮芸さまの子らを結び付けてるのが私であり妙姫だと。
摂津国の門徒の大半は彼ら派遣反対派に賛同して大坂御坊や富田道場に集っているそうです。
その為私は軍勢を神戸、尼崎、中島と進め6月20日に大坂御坊に入りました。
ここで下間駿河光宗殿の子息である頼清殿、頼次殿のご兄弟より加賀国の騒乱の真相についてお聞きする事が出来ました。
山科本願寺の舵取りをしておられる蓮淳さまは前管領細川高国さまや浦上村宗殿を討ち果たすのに協力してくれたように公方さまや管領さまに急接近しておられました。
その一環として管領さまは高国派が持つ越中国の荘園群の横領を蓮淳さまに依頼されました。
そして蓮淳さまのの婿である加賀国、超勝寺住持の実顕殿の元へ側近の下間頼秀殿を派遣し越中国の高国派の荘園を切り取らせ始めたそうです。
しかし加賀国の采配は蓮淳さまと同じ蓮如上人さまのご子息である三男蓮綱さまの松岡寺、四男蓮誓さまの光教寺、七男蓮悟さまの本泉寺が執り行うと決まっていたので加賀三ヶ寺に対する明確な越権行為でした。
その為5月9日に加賀三ヶ寺が超勝寺討伐を宣言し、慌てた蓮淳さまが超勝寺救援の為畿内に動員令を出したのだそうです。
しかし、蓮能さまと蓮芸さまの子らが内訌に反対し畿内の一向宗門徒に動揺が広がった為、蓮淳さまは同盟者である実円さまに協力を依頼されました。
それによって畿内の戻りつつある私を英賀で襲った訳です。
そして拠点の三河国や動員権を持っている美濃国、尾張国、飛騨国に命を下し続々と加賀国へ門徒を向かわせているそうです。
しかも三河国の門徒は石川氏、本多氏、酒井氏、阿部氏などどこかで聞いたような一族が勢ぞろいとか。
当然旗頭には松平清康殿の名前が挙がっています。
既に北上する為に矢作川上流の三宅氏や鈴木氏と三河門徒衆が戦を始めてるそうです。
尾張国では下四郡を支配する織田大和守家の織田達勝殿が尾張国海部郡にある興善寺の一向宗門徒を送り出そうとしたところ奉行の一人である勝幡城の織田信秀殿が反対し合戦に発展したそうです。
織田達勝殿は先年、尾張国守護の斯波義統殿の代理として兵2千を率いて上洛したんですよね。
斯波義統殿は公方さまの従兄弟に当たるのですが父君が戦で大敗して徐々に守護代の達勝殿に押されていると聞いてます。
その関係から見ると織田信秀殿は私達の側なのかな?
そこの所詳しく調べないといけないですね。
美濃国では美濃三人衆と一向宗門徒の間で合戦が始まっていると報告が来ました。
又、飛騨国でも私の命を受けた右田興就殿が飛騨国白川郷の内ヶ島雅氏殿が率いる照蓮寺、内ヶ島連合軍と合戦を始めたそうです。
内ヶ島氏は飛騨国内で有名な本願寺門徒で、領内の照蓮寺は飛騨国における一向宗の拠点だそうです。
更に畿内でも不穏な話が飛び込んできました。
京都防衛を任されながら逐電し面目を失った木沢左京亮長政殿が本願寺の蓮淳さまの仲介で管領の畠山冬堯殿の被官から管領の細川冬元さまの被官へと乗り換えようと画策し露見したんだそうです。
これに畠山冬堯殿が大激怒、まぁ~当たり前ですね。
公方さまを支えるべき両管領が険悪な感じになったそうです。
両管領さまは義兄弟の間柄で決して仲が悪い訳じゃ無かったんですけどね。
そしてそれに火を注いだのが三好冬長殿。
彼は熱心な法華宗門徒であった事や木沢殿、三好冬政殿、亡き柳本冬治殿らとの対立で一時阿波国に逼塞した事などが原因で一向宗と木沢殿に良い感情を持ってなかったんですね。
もちろん私も木沢殿に良い感情は持ってませんけどね。
皆さんメキシコの花火市場みたいなところで喜々として火遊びをするのが好きなようで、三好冬政殿など反冬長派を凄い勢いで煽ってます。
先ずこれをどうにかしないと畿内から一歩も進めなさそうです。
こうして後に言う本願寺大戦が幕を開けました。