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困惑。

今回のタイトルは簡単に決まりました。

ハッキリ言って人間関係が凄く複雑です。

困惑してるのは綾小路君でなく作者です。

小説を書いている僕自身何度も読み直して間違ってないか?確認してます。

こんな表現の方が判りやすいとかご意見有りましたら是非教えてください。

細川氏も複雑ですが領地が絡んでいるだけに表現はし易いです。

しかし公家と本願寺はとにかく絡みが複雑で、、、

8世の蓮如上人とその子供たちってアホなの馬鹿なのと問いたいです。

姪っ子と結婚して更に生まれた子供を兄弟の息子に嫁がせるとか?

ローマ帝国初期の帝室並みにおかしいです。

本願寺さんはエジプト古代王朝の末裔なんでしょうか?


1531年(享禄4年)2月~5月下旬 安芸国 佐東銀山城 ~ 備前国 砥石城。


綾小路 興俊 14歳


1月下旬に安芸国の佐東銀山城から船で出発した我々は2月初旬に備後国の鞆の浦に至り讃岐国の多度津を経て2月中旬に播磨国の室津へ入りました。

そして摂津国の兵庫津を経て2月下旬に大坂に上陸しました。

讃岐や播磨など敵方の湊にも立ち寄ったのですがほとんど妨害は受けませんでした。

やはり戦争は数だよ、兄貴!!

いえ、私には兄上は居ませんが我々の数を見て戦意喪失したのは事実です。

幸先良いですね。

大坂御坊で富田教行寺の実誓さま、名塩教行寺の賢勝さま兄弟とお会いしました。

お二方は富田道場で線香を上げさせて頂いた故蓮芸上人さまのお子さまです。

蓮芸さまは母君が姉小路の方で奥方が中川家の方と言う綾小路家にかなり近い家の方です。

又お二方の補佐としてあの時出迎えて下さった下間駿河殿のご子息頼次殿と頼清殿の兄弟もいらっしゃいました。

お二方が言うには今回の戦に本願寺門徒を参加させても良いと仰るのです。

何でも本願寺の実力者蓮淳さまが私や妻の妙に気を使ってるのだとか?

ずいぶん昔ですが河内国錯乱と呼ばれる本願寺家の内訌で蓮淳さまの命で妙の父君実順殿を捕らえたのが頼次殿達の従兄弟の頼慶殿であるとか。

この内訌で妙の祖母を始め叔父に当たる方々をかなり酷く扱ったとかで後悔されているんでしょうか?

戦争は数だよ、兄貴!!

うん、変なフレーズが又頭の中で響きます。

どのくらい門徒さんを集められるのでしょうか?

と聞いてみたら食料を用意して貰えるなら和泉、河内、摂津、大和、山城から6万は集められますと言われました。

6千の間違いでは?

はい6万ですか?

何でも田代先生は畿内では医聖と呼ばれてるそうです。

で、その田代先生にあれこれと援助してる私も聖人の仲間入りし掛けてるとか。

施薬院や悲田院が効率よく治療を施す為に寺院勢力を利用した面もありますが死の病と言われていた疱瘡をぴたりと治めた手腕で人気が絶大なんだとか。

日頃の善行のおかげですね。

気分は黄巾の乱ですね。


蒼天すでに死す

黄天まさに立つべし

歳は辛卯しんぼう

天下大吉。


朝廷を滅ぼしてどうするんですか?

危ない危ない。

私の右手(厨二)が暴走するところでした。

ところで大吉と言えば、宍戸隆家君が元服した時に備後山内家の紋見たんだけど「大一大吉大文字」紋だったんだよね。

未だこの時代石田三成のいの字も存在しないから山内家からのパクリ疑惑が発生って感じ?

本気ビックリです。

6万も要らないんで無理のない程度で兵をご馳走してくださいとお願いして、1万貫の証文を預けて食料は天王寺屋さんにと役割を振りました。

今回の遠征は私の廻船が立ち寄る湊に整備した商館に食料や水などをあらかじめ用意させたので凄くスムーズに移動できました。

備後までは神屋さん、以東は天王寺屋さんが担当してくださいましたがこれからもこんな感じで行きたいですね。

で、大坂に上陸して数日情報を集めたんですけど良い事より悪い事の方が多かったです。

数日前に伊丹城が落ちまして、更に3日前に池田城が落城。

それにビビったのか?

畠山冬堯殿の被官で治罰の御判御教書を美濃に送り届けて頂いた木沢左京亮長政殿が京都警固役を放り出して逐電したそうです。

お~~い?

それでも武士か?

それが2日前の事。

それを目の前でお話ししてくださったのが目の前にいる公方さまです。

止む得ず京の都を放棄し大坂へ来られたそうです。

私がここ大坂にどっしりと腰を据えているので目の前の中島城と対岸の大物(尼崎)城に細川、浦上連合軍は兵を集めていますね。

約2万だと皆さんが言ってらっしゃるのでそうなんでしょう。

対するこちらは1万2千。

しかし三好冬長殿が2月半ばに堺へ1万5千率いて上陸され3月10日、つまり本日、我々と合流されました。

これで2万7千対2万。

こちらの逆転ですね。

数に勝れば怖いものは有りません。

介さん格さんやってしまいなさい。

とばかりに総がかりで攻撃しました。

その日は戦況が互角だったのですが、翌日、日が昇ると細川、浦上連合軍2万は正面を大内、三好連合軍2万7千。

後方と側面を一向宗6万9千に囲まれていました。

2万の兵を9万6千の兵でフル凹です。

問題は一向宗って一度戦い始めたら止まらないんですね。

相手が武器を放り出しても命乞いしても止まらないのはどうかと思いますよ。

止まるのは上人さまの命令だけ。まさに狂信者です。

戦いはその日のうちに終わりました。

問題は首実検!

辛うじて細川高国さまの首は確認できました。

前公方さまがどこかへ落ちられたのも判りました。

で、浦上村宗殿は?

細川澄賢殿、松田元陸殿、薬師寺国盛殿、波々伯部兵庫助殿、瓦林日向殿。

皆さん討ち死にした事は判るんですけど首が有りません。

正確には一向宗の皆さんが取り合った挙句千切れたり潰れたり削いだり砕いたりで、、、

もうね何が何だか判らないんです。

まともに言い分を聞いたら耳が100個とか目が50個とか頭が12個とかとても人間でない首実検になりそうなんで途中でパスしました。

取りあえず真偽問わず討ち取ったよ言う勇者さんには褒美を頭割りで差し上げましたよ。

3月11日、備前・播磨の支配者だった浦上村宗殿や元管領さま、そして畿内の反公方派の大半が討ち取られた事により前公方さまは畿内での力をほとんど無くしました。

その後、戦後処理として各地の高国派などへ兵を差し向けました。

先ずは河内国と紀伊国に勢力を持つ畠山稙長殿。

管領の畠山冬堯殿の政敵ですね。

湯川衆・熊野衆・根来寺・高野山などの紀州勢力を率いて畠山冬堯殿と戦っていましたが泉南に船を用いて毛利元就殿ら安芸国勢を上陸させ紀伊国に侵入し根来寺、次いで高野山を攻略すると急速に力を失い4月下旬、河内国若江城にて城主の遊佐長教殿と共に討ち死にし河内の尾州家畠山氏は滅亡しました。

他には波多野稙通殿や柳本賢治殿が細川高国さまに謀反を起こす原因となった細川典厩家の細川尹賢殿や上和泉国守護で畠山稙長殿のご舎弟である細川五郎晴宣殿、下和泉国守護で細川尹賢殿の実家細川野州家の出の細川九郎勝基殿、備中一国と伊予二郡を領し細川高国さまの次弟である細川野州家の細川晴国殿、西讃岐守護代の香川元景殿を中心とする讃岐国や戦死した浦上村宗殿の領国、播磨国や備前国にも追討の兵が差し向けられました。

紀伊国と河内国方面を畠山冬堯殿、摂津国方面を三好冬長殿が、和泉国方面を管領さまが、播磨国と備前国を私が、讃岐国方面を管領さまの従兄弟で阿波国守護の細川持隆殿が、伊予国と瀬戸内交通を大内家水軍陣代の村上尚吉殿と役割分担しました。

と言う事で播磨国攻略に取り掛かったのですが先年に播磨を追われた小寺氏、別所氏、在田氏などが先導してくれたおかげでサクサク進みます。

浦上村宗殿が播磨国の国人を力で押さえつけていた影響でしょうか?

春に花が開くような感じで実にスムーズに大内軍に寝返ってくださいます。

又、播磨守護の赤松次郎政祐あかまつじろうまさすけ殿があっさり降った事も影響してるかもしれません。

既に戦前から密かに公方さまへ人質を差し出して内応の約束を取り付けていたと言う事でほとんどペナルティー無しで西播磨のほぼ半国を所領安堵されました。

その時の赤松殿からの使者として来られたのは周防国へお師匠さま達と旅をした時に備前国の福岡の町で出会った目薬売りの黒田屋の旦那次郎さんでした。

何でもあの後戦火で追い出され播磨に流れて来たんだとか。

それで播磨で薬売りで成功して念願の武士になった所で知り合いの私が播磨に来たので赤松殿から使者に抜擢されたのだとか。

交渉は交渉としてうちに来ませんか?とお誘いしたらハイ喜んで!と凄く気持ちの良い答えが返ってきました。

良いですね~播磨の黒田さんと言えば姫路でしょ?

播磨、備前、伊予を任された大内家としては領国に拠点が必要です。

姫路城を大規模に改築して黒田さんに任せましょう。

姫路の地は真っ直ぐ北に但馬(生野)街道が伸びてます。

又姫路城付近にある英賀御堂は播磨国の本願寺拠点でもあります。

昔からこの付近は塩の名産地でもあるし、湊も整備できそうです。

北に位置する山陽道を姫路を通るように街道を整備すればかなり優良な拠点でしょう。

頑張ってくださいね黒田の旦那さん。

その後いよいよ浦上氏の本拠備前国に入ります。

備前国に侵入すると砥石城の浮田平左衛門尉能家うきたへいざえもんのじょうよしいえ殿が降伏し息子の興家殿に跡を譲って隠居しました。

興家殿って黒田の旦那さんが言っていたお漬物さんですよね?

でも、前のお屋形さまが上洛した時にこの方に興の字を与えている以上無下にも扱えません。

西大寺や備前福岡の代官に任じ綾小路家に毎年上納金を収めさせる事で所領安堵します。

更に浦上村宗殿の遺児虎満丸殿を擁して抵抗する浦上国秀殿を討とうとした5月20日急報が届きました。

加賀国を治める本願寺の賀州三ヶ寺と山城国の山科本願寺が内訌を始めたと言うのです。

それに続き山科本願寺の蓮淳殿が畿内の本願寺門徒の動員を開始したと言う報告が入りました。

更に私の妻妙姫の伯父にあたる実悟さまが山科本願寺派の門徒に加賀国の清沢願得寺を焼かれて能登国に逃れたそうです。

報告はまだ続き、、、それに怒った妙姫の祖母蓮能さまの実兄に当たる畠山家俊殿が甥である実悟さま救援を理由に主君の能登国守護である畠山義総殿の許しを得て兵を集めているとか。

これだけでも複雑なのにこの畠山家俊殿ご息女が万里小路惟房までのこうじこれふささまのご正室なのです。

ピンと来た方は鋭いです。

うちのお屋形さまのご正室、本女中様ほんじょちゅうさまこと万里小路貞子までのこうじさだこさまです。

私の心の中での愛称はツンツン貞子さま。

大内家きってのタカ派です。

大内家の大船頭です。

もう報告しなくても大内家からの命令は能登畠山の支援と判ります。

でもホント、私どうすれば良いのでしょう?

皆さん教えてください。


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