都落ち。
1529年(享禄2年)8月中旬~12月 京の都 綾小路邸 ~ 周防国 大内館。
綾小路 興俊 12歳
どうやら冬長殿の我慢の緒が切れたらしい。
書状には公方さまや管領さままで柳本殿達の言い分を聞き始めたので京に居場所無しとまで書かれていました。
三好冬長殿が引き上げられると言う事は京に居る兵の4割は居なくなると言う事です。
気に入らないからっていじめに走る前に自分たちの立ち位置と言うか周りを一度しっかり確認しようよと言いたいのだけど今更ですね。
冬長殿が引き上げた日、柳本殿達は酒宴を開いたとか、、、
始末に負えません。
その翌々日、私の元に京の町衆の代表がやってきました。
何でも近江の保内と言う所の商人が後白河天皇の綸旨を盾に京での専売と麻苧、紙、陶磁器、塩、曲物、油草、若布、鳥、海苔、荒布、魚、伊勢布などの専売を訴えたらしいです。
それと伊勢から京の都までの東海道の交通優先権ですね。
保内の商人は領主の六角氏や叡山の保護を受けて最近急成長している商人集団らしいですけど、そんなに多くの座を独り占めしようとか、、、頭おかしいんですかね?
前世なら独占禁止法違反でバラバラに解体ですよ。
それに綸旨と言うのもおかしな話です。
綸旨があるなら何でもっと早くから独占して無かったんでしょう?
後白河さまって平家物語ですよ。
400年前の綸旨って普通に考えてもおかしいでしょ?
ところが幕府と言うか問注所も代行しておられる伊勢殿がその綸旨を本物と認めたらしい。
はぁ?って感じです。
それで義弟の私は公方さまにもお話が出来て近いうちに本願寺とも縁を結ぶ、つまり延暦寺の味方をしないと言う事で後の無い町衆が泣きついて来た訳です。
まぁ~公方さまが京の都に来られる前は六角氏とも戦っていますしね。
そんな訳でどうすべきか悩んでいたら、田代三喜先生がお主上さまにお聞きしてみれば良いと助言をくださいました。
先生は日頃から京の町民と接しておられるので商人のもめごとも良く知ってらっしゃるようです。
早速参内しお主上さまに訴えをお耳に入れさせて頂きました。
それに対しお主上さまもそれは理屈からしておかしいと仰られ、左大史の大宮伊治さまを召し出し真偽をお尋ねになられました。
左大史と言うのは朝廷の公文書を扱う太政官府の事務方の最高責任者ですね。
他の職はほとんど名ばかりで朝議すらほとんどしてませんし、お主上さまの事務所として現在も機能している数少ないお役所かも知れませんね。
因みに大宮伊治さまのご息女は私の義兄上つまりお屋形さまのご正室、万里小路貞子さまに仕える上臈(身分の高い女中)さまなんですよね。
なので私も良く宮中で世間話をする方です。
左大史と言うお役目を果たすにも職自体は無給なので綾小路家から少しばかり援助もさせて頂いています。
義姉君の上臈の親が生活苦でお役目を果たせないとか大内家の面目に関わるので当然ですね。
そんな訳で呼び出された大宮左大史さまが仰るには調べるまでもなく全くの偽物でしょう断言されました。
何でも保内と言う商人は元々貧しい農民で平家物語どころか鎌倉に遡らずとも室町の初めの頃はただの農民で商業なんてしてなかったとか。
後発組の商人なので既得権益から専売などの権利を乗っ取る為に偽綸旨を作って近江周辺の商人から座の権利を奪ってるんだとか。
この時代の裁判は証拠を提出した者が勝ちで証拠の真偽は吟味しないのが普通だと言う話。
初めて聞きましたよ、そんな話。
詐欺天国ではないですか?
証拠の真偽に発展したら賄賂の多い方が勝つらしいです。
正義はどこ行った?
大宮左大史さまがお主上さまにぶっちゃけた為お主上さまのご尊顔が優れません。
と言うか怒りに震えておられます。
そりゃ~献金で売官より悪辣な話を聞いたら正義感強いお方なので怒るよね~。
楽市楽座を真逆で行くこの話には私も呆れるもん。
それから幕府に偽綸旨を追求し吟味するようお主上さまの論旨が出される運びとなりまして宮中を辞したのですが、、、
何日経っても綸旨が出たと言う話が聞こえて来ません。
不思議に思ってると叡山や六角氏から幕府に対して保内商人を擁護する書状が届いたとか、かなりの人数の公卿が論旨発行の反対に回ったとか、伊勢殿が一度出した裁決を覆せばどうこうと寝言を言ってるとか、、、ちょっと待って!!おまえら、お主上の綸旨を何だと思てるの?
と憤慨してる所に不穏なうわさが流れてきました。
何でも三好冬長殿を擁護していた私を幕府の皆さまが不快に思っているらしい。
私も不快だ!!と言い返そうかと思ってたところに公方さまから急使が届きました。
柳本冬治殿や三好冬政殿が本当に綾小路邸の襲撃を計画してるんだって。
これは不味いとすぐさま家人と共に京から脱出し一旦山科の本願寺へ身を寄せました。
そこで委細の事情を説明して即日妙殿と婚儀を交わし門徒の先導で一目散に堺へ逃げていきました。
その後、身を護る為には畿内は難しいと考え周防の大内館を目指しました。
う~~やっと京の都に戻って来たのに三か月居られなかったよ。
命あっての物種だけど京の近くに兵を養える根拠地を持たないと公家生活もままならない感じです。
大内館へ向かう途中、阿波の冬長殿にお会いしようかとも思ったんだけどそうすると確実に戦になるよね?
内輪もめで一番損をするのは公方さまと管領さまだし、公方さまには命の御恩もあります。
私が邪魔ならほとぼり冷めるまで大内家に身を寄せていれば良いかと阿波国には寄らぬことにしました。
京の都から落ちていくと考えると気が滅入るけど、少し長めの新婚旅行だと思えば気分も晴れやかになります。
ですから新妻の妙とお師匠さん達と旅をした時のようにあちこちの名所などを巡りながら西へと西へと向かいました。
その途中、各地のお祭りに参加したり藻塩を作ってる所や海苔を採取してる所を訪れました。
もちろん伊予国の温泉宿では二か月近く滞在しましたよ。
新婚ですから、、、
前世では塩は塩田から作るものだとばかり思っていたけど、塩水を煮詰めて藻塩草と一緒にさらに煮詰める、そんな作り方があったなんて知らなかった。
私の知っている真っ白な塩では無いけれど、これはこれで趣があって良い。
ワカメやアラメなどの食べられる海藻類にはメが末尾に付き、食用ではない海藻には藻が付くと言うのもトリビアだよね。
因みに藻塩草は海藻でなくて海草らしい。
海苔は今の時期11月が初摘みと言って一番美味しいらしい。
生の海苔を食べたのも初めてなら、こんなに美味しい海苔を食べたのも初めてです。
ただ凄く寒い岩場で黙々と海苔を摘むさまは厳しい仕事だとも感じました。
ワカメや海苔の養殖の知識が有れば良かったんだけど全く専門外だから、、、転生モノだと真珠の養殖とか鉄板だけどそもそも養殖に適した貝の区別すら付かないよ。
そんな感じでゆっくり進んだ旅も師走には目的地の大内館に到着しました。