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歴史の3歳児。

1529年(享禄2年)5月中旬~8月初旬 京の都 庭田邸 ~ 京の都 綾小路邸。


綾小路 興俊 12歳


目が覚めたら隣に知らない女の子が寝ていました。

凄いあり得ないよ。

何故こうなった?

私が慌てて起き上がったので、女の子も目を覚ましその流れで名前とどうしてこんな事になってるのか?を聞く。

名前は妙意みょういってあんまりな名前なので「たえ」と呼んでくださいと言われたがそれどころではない。

庭田家で法名って事は、、、

はい、本願寺の子でした。

八代法主蓮如上人の孫娘で蓮如上人の六男蓮淳殿の孫娘にもなる。

つまり母親から辿ると蓮如上人の曾孫と言う文字通りサラブレッドの血統の娘です。

父親はもう亡くなってるけど本願寺兼性と言う人で右衛門督と言う職まで持ってる。

現在の本願寺法主の証如さまが未だ14歳で蓮淳殿の補佐を受けてると言うけど、その証如さまと一緒に蓮淳殿の下で育ったらしい。

もうどこからどう見ても美人局じゃないですか?

多分もう少しすると庭田のおじさんがニヤニヤ顔で「昨日はお愉しみでしたね~。」等と訳知り顔でやって来るんだよ。

そんな美人局な妙ちゃんの年は13歳と私より一つ上だそうで、、、どのくらいの美人かと言うと


一顧傾城いっこけいせい  一笑一金いっしょういっきん  雲中白鶴うんちゅうはっかく


詠雪之才えいせつのさい  解語之花かいごのはな  花枝招展かししょうてん


佳人薄命かじんはくめい  蛾眉曼碌がびまんろく  錦上添花きんじょうてんか


傾城傾国けいせいけいこく  才色兼備さいしょくけんび  綽約多姿しゃくやくたし


春蘭秋菊しゅんらんしゅうぎく  朱唇皓歯しゅしんこうし  小家碧玉しょうかへきぎょく


人面桃花じんめんとうか  吹気勝蘭すいきしょうらん  絶世独立ぜっせいどくりつ


仙姿玉質せんしぎょくしつ  高嶺之花たかねのはな  沈魚落雁ちんぎょらくがん


天香国色てんこうこくしょく  天真爛漫てんしんらんまん  八面玲瓏はちめんれいろう


万緑一紅ばんりょくいっこう  媚眼秋波びがんしゅうは  氷肌玉骨ひょうきぎょっこつ


眉目秀麗びもくしゅうれい  美目肦兮びもくはんたり  粉白黛墨ふんぱくたいぼく


閉月羞花へいげつしゅうか  曼理皓歯まんりこうし  明眸皓歯めいぼうこうし


幼窕淑女ようちょうしゅくじょ  蘭摧玉折らんさいぎょくせつ  蓮歩楚楚れんぽそそ


美人を表す言葉がこんなにあるのに言葉で言い表せないくらい綺麗です。

ハッキリ言って一目惚れです。

悔しいからそれから部屋に籠って、、、「お愉しみでしたね」を庭田さまから聞いたのは昼頃でした。

で、その後中山さまが名代として酒と鯛を届けて下さり改めて後日妙殿が綾小路家へ輿入れとなりました。

庭田さまから詳しいお話を聞いた所どうも公家の皆さまの中で私が西国の人間となってしまったのでは無いかと噂されているらしいです。

一条さまや姉小路殿のように公卿でありながら下向して地方に根付いてしまわれる方などこの時代珍しくないのです。

しかし、私は割と献金や習い事など何か理由があれば気前良く金をバラまくので都の人間としては手放したくないと皆さま方で一致したらしいです。

そこで公卿のどなたかが私に姫を出そうと言う話になったのですが、そこで口を出したのが蓮淳さま。

どうもこの方凄い遣り手らしく押しが強いらしいです。

普段からこの方もお金を方々に出しているらしくこの方の頼みとなると公家の皆さまも反対はし難く候補者が妙姫となったとか。

で、いつ又どこかへ行ってしまうか判らない私だけに昨夜のような仕儀となったそうで。

確かに京の皆さまには不義理をしていたとは思うけど、不意打ちはあんまりだと思うのです。

それだけ必死だったと言われれば強くは言えないですけどね。

帰ってきて早々に不機嫌な顔を続けるのもあんまりだから京の皆さまのお話をと話題を変えたんですがどうも宜しくない。

三好冬長(元長)殿が一族の三好冬政(政長)殿や丹波の柳本冬治(賢治)殿と険悪な仲となっているとの噂があるそうです。

冬長殿が公方さまより任じられた山城守護代の地位が気に入らないらしい。

しかし三好家の頭領は冬長殿であるし、泉乗寺の戦いでははっきり言って冬治殿より活躍している。

都に置いている兵の数も多いのだからその地位は当然だと思う。

仮に名前だけ貰っても他の皆さんは守護代を全うできないでしょ?

と正論を聞いてくれる状態では無いらしい。

公方さまも細川さまもまだお若いから家臣を中々纏められないらしい。

京でお会いした冬長殿は一見華やかに見えてドロドロな幕府や京に嫌気がさしたのだろうか?

そんなに守護代がやりたければやってみろ!!と酒の席上ではあるが吠えておられた。

先行きが心配です。

6月に入って美濃国から急報が届きました。

豊太丸と言う3歳の子供を旗印に稲葉通貞・忠通父子と安藤守利、氏家行隆らが蜂起して守護所を襲い土岐修理大夫殿を越前の朝倉氏の元へ追放したそうです。

この豊太丸と言う子供、、、土岐左京大夫殿のご子息だそうですって、ちょっと待て!

土岐左京大夫殿って土岐修理大夫殿のご舎弟でしょ?

内に居るじゃん。

と言う訳でご舎弟殿に詳しく聞くと、舎弟殿の愛妾にかつて深芳野と言う女性が居たそうなんですが褒美として西村新九郎に上げたそうです。

自分の女を褒美にするなよ。

でも、この説明で判りました。

斎藤道三は国盗り前に滅びましたけど、きっちり種は残してたのね。

で、種は種でもご舎弟の種にされて美濃の三人衆の神輿にされたと・・・

こう言うの歴史の揺り戻しって言うんだろうか?

取りあえず西村一党の子供とは主張してないので私は聞かなかった事にします。

以前手紙に族滅と書いて煽ったから、こんな揺り戻しが産まれたんだろうか?

しかし、姉小路家の遺児もこの前の報告で3歳とか言ってたし、3歳は多分キーワードなんだね。

何かの。

そんな幼子を殺したいとも思わないから飛騨の右田君にも関わる必要なしと手紙を送っておこう。

でも、越前から朝倉って言う怖~い人がやってくるだろうから生き延びれないかな?

心の中だけだけど応援してるよ、斎藤義龍君。

と、そんな報告やら手紙やら習い事やら結納やらをこなしていたらあっと言う間に8月になって三好冬長殿からお手紙が届きました。

要約すると、、、


「実家に帰らせて頂きます。」


何じゃそりゃ~。

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