お仕事!お仕事!お仕事!
段々お話が複雑になって行くにしたがって資料確認等に時間が掛かりペースも文字数も減っています。
読み直しなどの確認作業も時間が取れていないので凄く不安です。
史実や誤字脱字など間違えてる点などありましたらご指摘お願いします。
余りにも家臣が少ないのでこのままでは綾小路君が武将として独り立ちできません。
と言う事で有能家臣登用フラグを立てました。
でも判った方、感想での暴露はボカシてお願いします。
せめて「史実では〇〇さんの家臣だよね~」
くらいで宜しくお願いします。
1529年(享禄2年)3月中旬~5月初旬 筑前国 博多 ~ 京の都 庭田邸。
綾小路 興俊 12歳
博多から長門国の赤間関を経由して周防国の大内館に到着すると、家臣となった陶興昌殿が私を待っていました。
毛利元就殿の娘さんを私の養女にして嫁に出すと言う話が纏まった直後、興昌殿を残して九州へ向かったんで確かに挨拶もそこそこでした。
婚礼は既に済ましたと言う話で、なら挨拶なんていらなのでは?とも思うんだけど酒1升と鯛を献上してくれました。
なんでも、一生(1升)一代(1鯛)添い遂げると言う覚悟の表明なんだそうです。
通い婚が娘の父親にバレると、男が父親に挨拶に出向く時の品なんだとか、、、ってこれ公家の習慣だよね。
これが結納の品に変化していくのかな?
一緒に挨拶に来たお嫁さんも笑顔であったのでこれで良かったんだと思う。
旧高橋領(14,550貫)を改めて引き出物として陶興昌殿に与える事を伝えました。
安芸国高橋城を居城として毛利元就殿の居城吉田郡山城から数km北にある松尾城を毛利氏監視の拠点に活用して貰いたいです。
高橋氏と毛利氏と言うのは非常に怪しい関係です。
毛利元就殿の育ての親と言われる杉大方、この方は高橋の出です。
兄嫁も高橋の出で、子の幸松丸殿が幼くして死んで元就殿が継がれる訳ですが、今回の事件で高橋氏に追い返しています。
今回の事件を見るとひょっとして幸松丸殿を暗殺してクーデターを起こしたのでは?と思ってしまいます。
安芸国の武田氏が武田光和殿の戦死と佐東銀山城落城によって滅亡した為その仕置きも求められました。
高松山城の熊谷直信殿は妹御を武田光和殿へ側室に出しておられましたが武田光和殿の戦死によって降伏しました。他に八木城の香川光景殿も降伏してます。
取りあえず熊谷氏7,760貫、香川氏1,940貫を所領安堵して様子見です。
壬生城の山県重秋殿は毛利元就殿に服属していたのですが武田家滅亡を機に、又は毛利家の先行きを不安視してか大内家に服属してきました。
こちらも山県氏3,880貫を所領安堵して様子見です。
旧武田領(9,700貫)については乳母である少納言の夫君、冷泉興豊殿に預けます。
これによって安芸国は大内方で纏まる事になりました。
安芸国での仕置きを終えて厳島を経由して堺に上陸したのは4月の始めでした。
堺では天王寺屋の若旦那達に盛大に出迎えられました。
私が若旦那と声を掛けると、もう若旦那では有りませんと言われました。
なんでも父君の津田宗伯殿が一昨年亡くなられたのだとか。
今では会合衆の一翼を立派に担ってると自画自賛されていました。
と言われても、20代半ばのやはり若旦那にしか見えないのだけど、、、
そのままこの日は天王寺屋で休む事にしたのですが色々恨み言を聞かされました。
普通出迎えるなら歓迎の言葉であって恨み言じゃないよね?
曰く、石見銀山に神屋を使ってるばかりか、京での細々とした事まで神屋の人を使うとは酷くないか?
と言う話らしい。
畿内の用向きまで博多商人を使われては堺での天王寺屋の面目がどうとかと言ってたけど武士じゃないんだからさ~面目は建前で結局利益なんだよね。
でも、前世の学校で習った鉱山って佐渡金山、石見銀山、生野銀山、別子銅山、足尾銅山しか知らないよ。
佐渡金山は名前の通り佐渡国だし、生野は但馬国だから日本海側でしょ?
別子銅山は漫画の猛き黄金の国で岩崎弥太郎が関わってるから土佐国だし、足尾銅山も関東だからね~。
取りあえず但馬国の生野と言う地に銀が眠ると言う神託はあったけど、堺からは凄く遠いし山名氏の領国だから全然無理でしょ?と言ったんだけど、、、凄く目がギラギラして怖いです。
無理でしょ?なんて言葉は全然聞いていないみたいですね。
山名家は昨年先代が亡くなって甥の山名祐豊殿が後を継がれたばかりで18歳だとか。
山名家は積年の恨みと言うか赤松氏やその被官の浦上氏と大変仲が悪いらしい。
その赤松氏を前将軍と細川高国殿が頼って落ちられて居るとの事で将軍=管領=大内の連合に秋波を送っているらしいです。
私が斡旋すれば鉱山開発に喰い込めるかも、、、と熱いと言うか気持ち悪い視線を投げかけるのは止めてください。
ハイ判りましたから、勘弁してください。
何故かドサクサに紛れて石見銀山の採鉱・精錬技術の提供まで約束させられたけど、、、これで銀山見つけられなかったら笑いものだね。
どうせなら別子銅山も土佐一条家に働きかけて探してみようかな?
公家社会では一条家って超格上だけど、一応義理の兄弟なので土佐国の盟主さんと話せない事もない。
ま~いっか、幾つも手を出すとそれで無くとも人手が無いからそのうち何が何だか判らなくなりそうだし。
取りあえず生野銀山が成功したらだよね。
石見銀山で凄い儲けを得られてるけど、いつ尼子氏に奪われるか判らないし。
現状それだけしか収入が見込めないと言うのも不安だし。
貿易収入がどれくらいになるか?ちょっと想像つかないしね。
因みに後ろで控えてる神屋さんは顔を青くしてました。
博多の神屋を切り盛りしてるのが大旦那の主計さん。
その一族で石見銀山を一手に任されてるのが寿禎さん。
同じく一族で私の財布を務めて下さったけど、これから綾小路家の貿易業務を全て引き受ける事になった加計さん。
同じく一族で悲田院や施薬院などの綾小路家の社会事業を全て引き受けてくださるのが次郎太郎さん。
同じく一族で加計さんの下、貿易船団の実際の大船頭(提督)を務めるのが彦八郎さん。
同じく一族で私の下で綾小路家の財布をこれから務めて下さるのがこの顔を青くしてる孫八郎さん。
もううちは神屋家無くしては成り立たないと思うよ。
でもまぁ~天王寺屋さんが私の事業を手伝ってくれると言うのなら博多・赤間関~堺での綾小路家の荷と船はすべて任せても良いかな?
結局和船はどんなに大きくても外洋は難しいから海外交易には不向きだしね。
そう言えば千石級の唐船は二隻しか無いけど少し前に大内氏へ服属した安芸国白井水軍の白井膳胤殿に預けてます。
外洋で荷を扱うには小さすぎるけど、探索船には丁度良いんだよね。
いつか新大陸を目指して東へ向かって出向させるんだ!!
その為の習熟訓練兼ねて預けてます。
決して!
決して!
私の命を狙ったのを恨みに思って捨て駒(鉄砲玉)要員って訳じゃ無いからね。
そんな訳で堺からあちこち書状を送ったりしたので京の都に着いたのは5月になってからでした。
帰京して直ぐ庭田権中納言さまに誘われて帰京の祝いと言う事で饗応を受けたんだけど、翌朝目が覚めたら左半身に温かくて柔らかい感触が、、、
って、君!!誰?
イタリアワインでエスト!エスト!エスト!とか言う奴があるんですが、何故か題名考えてるとそれが浮かびました。
東に向かってるからでしょうか?
末尾の「と」しかあって無いんですけどね。




