八章
サークル棟を出て、ふと立ち止まり、煉瓦の校舎と桜の樹々の向こうに広がる虚空を眺める。これが試練なのかしら、と私は思い当たって俯いた。そこに源藤が小刻みに腿でリズムを取りながら、呆れたとでも言うような顔つきで降りてきた。それで私に気付くと、「あ、今の奴、気にすんなよ、マジで。」片手をひょいと挙げて、本当に何でもなさそうに言った。
「あの人、このバンドに入りたがっていたのね。」
源藤はぱたりとリズムを止めた。「何で知ってんの。」
「さっきの発言を聞けば、誰でも解ります。」
「まあ、ね。」源藤は白々しく桜の樹を見上げた。小野瀬とは違い、ほとんど金に近い茶髪に覆われた、どこか爬虫類じみたその顔には恐ろしく似合わない光景だった。「あいつは、巧いんだよ、間違いなく。前のギターだった郡司さんがいなくなっちまった今のうちのサークルじゃ、おそらく一番の手練れだ。DRAGONFORCEだって、DREAM THEATERだって、言われりゃあ何だってそつなくこなす。アイドルみてえな曲も、ラップもパンクも、だ。もちろん周りも、おそらく当の本人も、郡司さんの後釜は三坂だって確信していた。実際、何度かセッションだってやったしな。俺からすれば、何の問題も無かった。だけど、高宮がうんと言わないんだよ。高宮は……、」さすがにそこで何度か周囲に目を遣って、「巧いとか下手とかそういうのじゃなくって、メンバーに何かもっと、……別のものを求めているような気がするんだよな。思えば郡司さんも最初は、こういう言い方、先輩に対して凄ぇアレなんだが、正直、決して巧い方では無かった。ただ、独特な弾き方をする人ではあったけどな。言うならば、デビュー当時のケリー・キングみたいな感じな。でも、うちに入ってからは無茶苦茶練習してくれたらしく、CDとかじゃ半端ねえテク披露してるけど。高宮がそこまで見越してたのかはわかんねえが、バンドを始めるって時、勝手に一人で郡司さんを誘いに誘って落としたんだよ。いずれ実家を継ぐのに神戸帰るしかねえとか、そもそも本気でギターやる気はねえとか、色々向こうにも言い分はあったのをさ。逆を返せば、たかが一、二年にしろ、郡司さんとやりたかったんだろうな。でも郡司さんが弾くようになって、解ったんだ。高宮の曲にはあの人のギターが合う。ゴリゴリでズクズクしたリフと、ぶっ飛ぶみてえなソロ、な。説得力が増す、っていうのかな。それで郡司さんが今年の三月に実家帰ることになって、その後は、三坂以外にも色々な奴等とセッションは散々やったけれど、誰も正式には入れなかった。何せ高宮がうんと言わねえから。でもライブの予定は入る、レコーディングの話も出る。部内ではいねえって話になって、顔の広ぇ小野瀬が他所から連れて来たのも何人もいた。他のバンドやってる奴さえ引き抜く前提でな。でも高宮は結局誰も入れなかった。バンドが存続するのかもわかんねえし、これから先不安で、よく小野瀬と二人で呑みに行ったりもした。話題は絶対正面切っては言えねえ高宮の愚痴ばっかな。あと、郡司さんに愚痴電話しまくったりな。そんなこんなで新年度が来て、入学式の日に高宮がお前に声を掛けた。」
「へええ。」随分間の抜けた声が出た。
「でも謎なんだ。マジであいつはお前のエクスプローラーを二階から見て、それでバンドに入れる気になったのか? まさか、楽器の形状でギタリスト決めてたのか。ねえだろ。でも確かに郡司さんはFlying Vだったけどなあ。まさか。」源藤は一人で困惑し始めた。「それともそれは口実で、まさか、まさか、顔か。恋か。」
源藤はくっつきそうなくらいに私の顔に近づき、凝視しつつ、「うがー」とか言って頭を抱えた。「いや、無い。無い。それは無い。あいつはそんな牡犬じゃあねえ。」
「牡犬というより、牡ライオンよね。」的確な答えだと思ったのに、無視された。
「マジでビビったんだ。お前を入れるって高宮が言った時には。最初に合わせたのがMETALLICAだぜ。しかもブラック・アルバム。どんな奴がやったってサマになるだろ。それで一体何が分かったっていうんだよ。」頭を掻き毟る。その手が止まると、「でも今日、初めておれらの曲を弾くのを聞いて、お前を入れた理由が、少し、解った気がする。」とやけにトーンダウンさせながら言った。それが落胆なのか安堵なのかはよくわからなかったけれど。「やっぱり、あいつの音楽に関する勘は、普通じゃねえんだよなあ。」
「普通の人間には、あんな曲作れないわよ。」私は確信を込めて言った。
「お前のギターの売りは、リフの適度な図太さと、ソロの華麗な爽快感だ。これが俺らの曲にとってよいギミックになってる。でもそれだけじゃない気もする。」源藤は首を傾げた。「まだ俺には、わからんが。あ、でも」源藤は何かを思い出したように、「小野瀬のことは、マジ、気にすんなよ。」と早口に言い立てた。よくころころと変わる人だ。「あいつは女をアクセサリーか愛玩具みてえに思っているだけで、悪い奴じゃねえんだ。」
「その時点で大分悪い奴な気がするわ。」
「そうか? でももし日本男児がみんな小野瀬になったら、少子化問題は一発で解決するぜ。」
「そういう問題じゃないわ。」私は小野瀬の先だっての対応を思い出し、少々落胆した。
「とにかくだ。」源藤は続ける。「奴は、女は綺麗な形して、自分をちやほやすべきだと思っているだけなんだ。デスメタルバンドでギター弾く人種に結びつかねえだけなんだ。でもあいつもメタルは女と同じかそれ以上に好きだし、お前の技量やセンスは解ったはずだ。その内態度は軟化すると思うから、暫く気にしないでやってくれ。」
「別に気にしてないわ。それよりも、高宮の曲を弾けるのがとっても幸せだもの。」私はそう言って、めいっぱいに息を吸った。源藤と話していて、漸く堂々と感じることのできた喜びだった。
「だよな。」源藤は同志だとばかりににやりと笑った。「俺も実際何が気に入られてここにいんのかさっぱりわっかんねえけど、とりあえず高宮の曲を創り出せる立場にいるのは、この世の僥倖だ。」
私は心得顔に肯いて、ふと階上を見上げた。随分高宮も小野瀬も降りてこない気がして。次の番だというバンドの音も聞こえてこない。三坂と何か揉めているのかなあと、他人事のように思った。
「そういや、あいつら、遅ぇな。」そう源藤が呟くと同時に、高宮がいかにもかったるそうに降りてきた。
「三坂に何か、言われてたの?」源藤が顔を顰めながら尋ねる。
「……何でもねえよ。」
そう言いつつ歩き続ける高宮に、私も源藤も追随した。
「俺、あいつ、苦手。……ねえ、高宮。こいつに決めたって、三坂にも言ってやったんだろ?」
明らかに不機嫌そうな高宮にたじろぐことなくそう詰問できる源藤は、凄いと思った。高宮は相変わらず眉間に皴を寄せたまま、足を止め暫く私を凝視した。
「言った。」極めて端的に答える。
「それだけで済まなかったから、今頃降りてきたんだろ? 何て言って説得してやったんだ? あいつ凄ぇこのバンドに執着してたじゃん。」
私は心臓が高鳴るのを感じた。高宮は一体私の何を気に入ったのだろうか。もしかすると、そこに私の今後のギタリストとして必要な『何か』があるかもしれない。
高宮は一瞬渋面を作ったが、私に一瞥をくれると、「……顔。Avril Lavigneに似ているから。」とぷつんと呟くように言って、やれやれとばかりにギターを背負い直すと、そのまま立ち去った。私は凍り付いた源藤の腕を、二度三度叩いた。
高宮の姿が完全に見えなくなった頃、「……絶対、嘘だ。」ようやく口が利けるようになったらしい。源藤は私を恐ろしげに睨んだ。「第一あいつがAvril Lavigneなんて聴いているわけがねえし、むしろ、よく知ってたなってレベルだ。何せあいつは……、」とてつもない秘密を暴露するように、源藤は私の耳に口を寄せて囁いた。「AKBさえ、KGBの日本版か、とか言っていたやつだ。」
私は頬に手を当て、隠しようのない笑みを浮かべ、言った。「私、Avrilに似ているのかな。初めて言われた。」
「調子に乗るな。古今東西顔で売っているメタラーなんざいねえんだ。」
「そうかな。でも私Randy Rhoadsはアイドルだと思う。しかも始まりから終わりまで完璧な、アイドル。」
「てめえの持論なんて聞いてねえよ。」
「随分仲良くなってんな。」と、小野瀬も降りてきた。
「だってよ、こいつが調子に乗りやがって……。」
「三坂が色々言ってたよ。」小野瀬のその言葉に、私たちははっと我に返った。
「やっぱ、今成のギターにぐたぐたぬかしてたのか。」
小野瀬は返事をする代わりに、鼻で笑った。
「高宮が認めたんだから。外部には何も言わせねえよ。」源藤が言った。
「まあ、そういうわけだ。てめえには今日から敵がわんさかできた。そいつらを納得させんのは容易じゃねえぜ。俺も含めてな。」小野瀬は右手で紙をかき上げ、苦渋を浮かべた横顔をより一層美しく見せた。こういう動作が板についている時点で、女に不自由はしないのだろうと安易に想像が付いた。
「頑張るわ。」
「んな言葉で片付けんな。」小野瀬は声を荒げた。「お前ぇは知らねえが、前ギターやってた郡司さんっつう人は、マジでかっこいい人だったんだよ。プレイも生き様も全てな。そういう人と比較される立ち位置にいるってことを少しマジで考えろ。俺らは自己満でやってんじゃねえ。ライブだCDだで金取ってやってんだ。そんで完璧評価される側の人間なんだ。」
小野瀬はそこまで言うと暫く黙した。確かに私はバンドをやるという重みには殆ど無意識でいたことを、今更ながらに痛感した。すると焦燥に駆られ、背中に汗が伝いだした。源藤はそれに気付いたわけはないのだが、大口を開けて笑い出すと、
「まあ、確かに郡司さんはかっこよかったよな。ステージに立つと、高宮と同じぐれえ背もでけえし、威圧感も半端ねえ。まさに御降臨、って感じだったよな。グロウルも顔歪ませながらやっから、えっれー怖かったしな。それによ、練習後ヒットチャートが引っ切り無しに流れるラーメン屋で、もう我慢ができねえとチャーシュー残して出ちまったり、」
と言って、遂に腹を抱えてしゃがみ込んだ。つられて小野瀬も思わず噴き出し、「おれは追加メニューの餃子も残したって聞いたぞ。」と続けた。
「ラウドパークで暴れすぎて肋骨骨折して入院した先輩の見舞いに行く時、CANNIBAL CORPSEのTシャツを着てきやがって、周りが、さすがに死体喰うぞって脅し文句掲げて院内歩き回ることはねえだろうよって注意したら、実は黒いからという理由だけで冠婚葬祭全てメタルTシャツで通してたことが判明したりな。」
源藤がそう言うと、小野瀬までが膝を叩いて大笑いした。
相変わらず郡司さんという人がかっこいいかどうかは判断付かなかったけれど、とにかくメタルが好きな人なんだということだけは解った。音源でしか知らない郡司さんが、生身の体を伴って浮かび上がってきたような気がした。
「懐かしいなあ。」源藤が言って、小野瀬も「会いてえなあ。」と続けた。
「神戸に、いるんでしたっけ?」
「そうだ。メロディックデスメタルの産地と言われる、神戸の出身だ。服飾だか何だかの息子らしい。洒落てやがる。」源藤が何故だか威張って言った。
「そうだ。」小野瀬が何かを思い付いたように叫んだ。「神戸のライブハウスから実岡さん経由でオファーあったらしいぜ。だのに高宮はにべもなく断っちまって。」
「仕方ねえだろ。ギターも今日の今日まで決まってなかったんだからよ。でも神戸でやれたら、郡司さん来てくれるだろうなあ。いいステージが出来たら、喜んでくれるだろうなあ。」そう俯いたままの源藤は、泣いているのかと思った。いつまでも赤茶けた髪を地面に付く程にしながら、靴先で泥まみれになった桜の花弁をごしごしと擦り続けていたから。
「お前さ。」小野瀬が正面から私を見詰めて言った。「高宮が決めたことには、俺は厭でも従うしかねえ。言っておくが、俺が辞めるって選択肢は皆無だからな。でも相変わらず女とバンドやるなんて、考えただけでも虫唾が走る。超絶あり得ねえ。でもまあ、いつか納得すんだろう。高宮の音楽に対する勘は信頼してっから。でもそれに甘えんな。できるだけ早急に、俺のこと納得させろよ。ちんたらやってんじゃねえからな。」
小野瀬は苦虫を噛み潰すような顔をしながら、訥々と語った。その時私は思った。この人を後悔させたくない。いつまでも私の存在に疑念と嫌悪感を覚えさせておきたくない。私が高宮の理想を体現し、小野瀬を救うのだ。そしてその向こうには、私を健康にしてくれたギターへの厚き信仰心、報恩がある。全てを叶えて、私はこの人たちを郡司さんの元まで連れていくのだ。
私はくるしい程の決意を込めて何度も肯いた。




