二十五章
学園祭は素晴らしい体験だった。多様な人々に私たちの音楽を聴かせ、受け入れられたことは、大きな自信にも繋がった。そこから、あらかじめ奉仕すべき対象者を決め込んで芸術活動にいそしむのは、愚かな行為であるということも知れた。特に私の存在は、そこを超越させるのに役立つのかもしれない、と、新たな役割についても自覚できた。入口は何でもよいのだ。要は、音楽を聴いてもらうことだ。世界に高宮の音楽を届けること、そのためには何でもできることはやろうと決意を新たにすることができた。
そうしていよいよ、曲を詰め、曲順を詰め、その繋ぎを詰め、パフォーマンスを詰め、神戸に出立する日がやって来た。
本当は先日買ったばかりの、Cecil McBeeのピンク系ストライプの肩出しワンピースを着る予定だった。大き目のパールネックレスを付ければ、とても上品に仕上がるし、美しい神戸の街並みにも馴染むだろう。けれど、実際に手が伸びたのは、ステージ用として準備していた、例のユニフォームだった。SIX FEET UNDERのTシャツに、迷彩柄のパンツ、おまけにスカルのシルバーネックレスに富士山だって登れそうな軍靴。これで臨むしかないと私は夜明け前に一人肯いて、着替えた。それからバスの始発に乗って未だ薄暗い街並みを足早に大学まで急いだ。昨日はだいぶ興奮して眠れなかったから、未だ夕方のような、そんな妙な気がする。遠い山入端には長く長く紫雲が棚引いていた。その姿は、古代人なら龍として認識したに相違ない。そう確信される神々しさがあった。
そこに小野瀬がバンに乗ってやって来た。既に車中には高宮と源藤もいた。
窓が開いた。
「機材詰め込んで、時間あったからコンビニ飯買いに行ってた。」長距離運転に気合を入れて、ARCH ENEMYのタオルを鉢巻のように額に巻き付けた小野瀬が運転席からそう言った。心痛、ではあるまい。ただそれに似た緊張感が迸っていた。
「随分みんな早かったのね。」
「寝れなかったからな。」小野瀬が気取りもせずに言った。
私は後部扉を開けて、まず後部座席にギターを押し込み、腰かけた。
すると後ろから高宮がひらりと、財布の中から免許証を取り出した。面白くもなさそうな高宮が写っている。それよりも、よくもこんな赤い髪で警察の方はお許しになられたものだ、と思われたが、「首都高出たら変わっから。」と小野瀬に言った。続いて源藤もクレジットカードと学生証の間に、トランプを開くようにして免許証を見せた。余程気合を入れて免許を取りに行ったであろうことが確信されるポニーテールで、目がぎょろついている。「じゃ、俺はその次な。」
小野瀬は苦笑いを浮かべた。「じゃあBGMは決定だな。高宮の時にはドゥームメタル。源藤の時にはドラム無しのインストでもかけっから。郡司さんに会いにいく前にあの世に行くのはゴメンだからな。」
私はピンク色のプラダのナイロンバッグから、昨日体育図書館で借りてきた『疲労を軽減するツボの押し方』という本を取り出してみせた。
「これ、昨日借りてきたのよ。私は運転が終わったらツボを押して疲労を軽減して差し上げるわ。とにかく全員無事に、神戸まで参りましょう。」
旭日が昇るのと同時に、私達は神戸へと出発した。もう夕方みたいだとは思われなかった。その輝き、その光量、全てが出発に相応しいそれだった。一切の闇を消滅させる光の強さがそこにはあった。
Thousand Eyesの音楽が流れている。ギターのリフがこの上なくクールで、私はそれが始まるたびに、「くうっ。」と何度も身を捩った。小野瀬も所々一緒になって叫んでいる。「burn the sky!」
「そういえばさ。」源藤が喋り出した。「郡司さんにこの前電話した時、今のギターが結構チャレンジャーで曲アレンジしまくりでって、一応言っといたんだよ。」
私ははっとなって源藤に向き合った。「何て言ってた? ぶっ飛ばす? 死ね?」
「ざけんな。『そりゃあ楽しみだ』って笑ってたよ。郡司さんの凄え所は、ステージ上では客をあんだけ人を威圧する力を持っていながら、普段は謙虚で誰とでも飾らねえで話せる所だ。まあ、楽しみにしてろよ。」源藤は自慢するように笑った。
「郡司さんは、ステージでどんなパフォーマンスしてたの?」
「あれ、お前DVD観たことなかったっけ?」
「あるぜ。」高宮が車内のCDケースの中から、ライブ×日付の殴り書きされた一枚のDVDを取り出した。
源藤が「一年前か、既に懐かしいなあ。」とか言いながら早速ポータブル型DVD再生機に入れると、暗闇の中にアンプの灯りだけが灯る、ライブ開始前の様子が映し出された。
「おお、聖地じゃん。……確かこれ、小野瀬が流血したやつじゃね?」
「あれか!」小野瀬がハンドルを叩いて叫んだ。「あん時は無茶苦茶やってたんだよなあ。ステージ上がって来た客がいつまでもダイブしねえから、ぶん殴ったら殴り返されたんだ。最初やたら汗が出ると思って放置してたんだけど、拭ったら赤ぇの。」
「てか、避けろよ。」高宮が言う。
「ギターとのリエゾンだったから、そっちに集中してたんだよ! でも、まあ、流血のインパクトはでかかったな。暫く言われ続けたからな。」
「でもその次にやった曲が、Bloody squareで何てぴったりなんだと俺は感激したね。」源藤が目を輝かせる。「あれで、小野瀬は完全に客に受け入れられたんだよな。」
「それまで受け入れられてなかったの?」私は驚いて尋ねた。
「……お前ぐれえ、俺も最初は客には受け入れられなかったんだよ。」ルームミラー越しに小野瀬が鋭い眼差しを向けた。「だから俺はこいつらよりも、バンドの見たくれの重要性を肌で実感してたんだよ。だから最初、お前が入ることには、反対した。お前がステージ出たら客がどう反応するかは、大方分かってたからな。で、ほぼその通りになった。あと、おそらく人生で人に露骨な敵意を向けられたことがねえお前が、どういうレベルのショックを受けるのかも、予想していた。でもそれは誤算だった。お前は客に暴言吐かれても空き缶ぶつけられても、クソみてえに前向きだった。俺がお前とバンドやることを、受け入れられるようになったのはあそこからだったかもな。」
鼓動が激しくなる。何か言わなければ。焦燥に駆られながら私は、「ありがとう。」という言葉を選んだ。思いの外それはぴったりしていて、ほうと安堵の溜息が出た。
認められるために必死だったのは、私だけじゃなかったのだ。そう思うと何故だか涙が出そうになった。私は眼を見開いて、車窓の風景を眺めた。気付けば川の上を渡っていた。川沿いでは野球少年たちが無心に試合に興じている。無心に――。
「私は高宮の曲を生かすために生きる。」思いは自ずと言葉となった。
ライブ映像は、今も使用しているSEを流し終え、源藤、小野瀬、郡司さん、そして最後に高宮がステージに入って来た。小野瀬、高宮も長身だが、郡司さんは彼等よりも更に大きかった。そして既に客が熱狂して拳を突き上げ、何やら叫んでいる様子が目に入った。暗がりだから三人の表情は知れなかったけれど、郡司さんはきっとほくそ笑んでいるのだろうと思われた。悠々とフライングVを肩に掛け、右肩をぐるりと回す。少し顔を傾けながら、客に何かを言った。客がそれに答えるように、一層の大声で叫ぶ。
「何これ、かっこいー! 何て言っているのかしら。」
「手前らの腹ん中のラーメン消化させてやるからな、とか毎回大体そんな感じだ。」源藤が苦虫を噛み潰したように言った。
「まあ、全然かっこよくないわ。」私は幻滅するより驚いた。
そして四人が肯き合うと、源藤がスティックを三つ叩く。土砂崩れの音が響いた。小野瀬と郡司さんと高宮が大股開いて、頭を振りながら、激しくリフを刻み始めた。
「壮観ね。大きな男達が揃ってヘドバンしているのは。」
「だろ。女を入れることにこいつらが何の違和感も覚えなかったのが、むしろ不思議じゃね?」小野瀬は首を傾げながら言った。
「……そうね。」確かにその通りだった。
DVDのライブ映像は郡司さんのソロに入った。海底から噴き出したマグマが海を侵食するみたいに、荒々しく、何もかも問答無用に、体と魂を揺さぶって行く。音は良くはなかったけれど、物凄く独特な音を奏でていることはすぐにわかった。私は深く溜息を吐いた。
「ねえ、ほら、これ。郡司さん、ソロの音、コードからずれてるじゃない。今のおかしいわ。」
「てめえ! 何様だ!」源藤が私の首を絞め、揺さ振った。「クラシックやってるわけじゃねえんだから、いいんだよ! クソが!」
「ち、違うの。」そう言って源藤の頬を勢いよく引っ叩いた。「だから、私も正確さについては多少、自信が無い部分もあるわ。一生懸命練習しても、リズムとか、お客さんも意識しなくてはいけないライブ中に完全には弾けないと思う。けれど、こういう」映像を指さした。「唯一無二のプレイをしたいなって。」
源藤は、よかろう、とでも言うように目を閉じて深々と肯いた。
「お前はさ、正直巧いってわけじゃあねえけど。」高宮が、欠伸を噛み殺しながら言った。「俺の曲の多分一番の理解者なんだよな。何でだろう。」堪え切れない、大きな欠伸が出た。「俺の脳みそ、覗いた?」
「覗きやしないわ。そんな真似、できないもの、でも私高宮の曲、凄く好きなの。否、好きっていうだけじゃあ適切じゃないわ。最初に聴いた時、夢かと思ったもの。幾らCDジャケ買いしたって、『当たり』なんて滅多にないのに、入学式に来ただけで、それも、ただ構内を歩いていただけで、どうしてこんな凄い曲に会えたんだろうって、心底驚いた。だって、負の感情を基にして、その情景と物語性を重視した詩は勿論だけれど、それを何倍にも増幅させる曲でしょ? リフが一音一音、胸を抉るのよ。全てが感情の行きつく先を行っているの。絶望の先、悲嘆の先、憎悪の先って。どうやってあれだけの曲がぽんぽん生み出せるのか、脳に何か埋め込まれているとしか思えないわ。私、世界的に人気を誇っているどんな有名バンドよりも、高宮の曲の方が好き。そりゃ有名バンドには胸を打たれる曲は沢山あるけれど、CD一枚聴けば捨て曲だって、正直、あるし。でも高宮の曲にはどうでもいい一曲どころか、ただの一節でさえない。一秒も、一音も、ない。全て必然。全て完璧な世界を構築している。こんなに素晴らしい曲が埋もれているなんて、信じられないわよ。これを表現できる権利を得たことが、私の最大の誇り。だから、どうすれば高宮の世界観をギターで誰よりも適切に具現化できるか、そればかり考えてるの。」
源藤が隣で目をぱちくりさせた。「……起きたら、本人に言ってやんな。」
驚いて振り向くと高宮は口を半開きにして寝ていた。




