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Explorer Baby  作者: maria
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二章

 病の発作からは完全に切り離されたものの、体力の面については到底まだまだ人並とは言えなかった。家の中を少し歩くだけでも眩暈がして、へたり込むことを常としていたのは、調子のよい時の院内生活と何も変わらなかった。しかし暫く死ななくてよいのだという思いが、私の心身を軽くしたのも事実だ。私は生まれて初めて未来を想うた。しかし体力は病人時代と殆ど変わらぬため、敬愛するブラックや戦車のように戦う、という選択肢は自ずと消えた。すると残りはギターである。そもそも私の病を治癒してくれたのはこの、ギターだ。だとするならば最大の恩義をもって、ギターに報じていく人生こそが正しいのではないだろうか。

 私はシャンデリアの照り輝く、ピンク色のタフタのカーテンに覆われた部屋で、一人きびしく首肯した。

 私は重過ぎる鉄板ギターを手に、日々練習に励んだ。学校は知らぬ間に義務教育を終えていたので、毎日通わなくてもよい、レポートだけを出せば卒業できる高校に入り、日々のほとんどを部屋でギターを練習することに費やした。ギターには何せ本物の鉄板が張り付けてあるので、立って弾けば左肩に、座って引けば、太ももにそれぞれ見事な痣ができた。しかし、そんなことにかかずりあっている暇は無かった。まずはMETALLICAの曲を弾けるようになることである。これは大変に難しかったが、メトロノームをかけて、まずはゆっくり一音一音リフを刻むことから始めた。弾いていく内に、これが私の鼓動となり、私から病を取り去ってくれたのだと感謝の念が込み上げ、そう思えば嬉しくてたまらず、朝は家族の誰よりも早起きしてギターを弾き、ママに肩をゆすられなければ一日三度のご飯にも気付かないありさまとなった。

 左肩が粉砕する程に痛く、指の皮が剥け、血が出て痛みが生じ、さすがに練習にならない時、高校から送られてきた教材を手に、勉強というものもしてみた。それはなかなか興味深かった。特に好きなのは国語で、文学史を眺めてみると、ずいぶんたくさんの戦争小説があることを知った。一つ一つ読んでいくと、戦争映画同様、幸運な兵士や不幸な兵士の姿が緻密に描かれていた。死を目前とした、気取らぬ素直な気持ちが心地よかった。

 在宅高校生という身分を掲げ、私はギターと戦争小説にひたすら耽った。重すぎるギターは私にギターの技術以上に体力を付けさせ、それに伴って時折学校へ通えることもあったし、すこぶる調子の良い時にはママに懇願して街へ連れていってもらい、CDのお買い物をしたこともあった。そこでは大いなる発見があった。世の中にはMETALLICA以外にも、死をテーマに扱ったたくさんのヘヴィメタルバンドがあったのだ。

 中でも最も衝撃を受けたのは、CDショップの視聴コーナーに置いてあった、AT THE GATESというバンドだった。これはデスメタルというジャンルで、それはジャンル総じて私が長年馴染み続けた死をテーマとしていた。メンバーの全員が私と同じように院内で育ち、私と同じように幾度も死に侵略されそうになり、よって私と同じように強さを憧憬したのだと思った。そのように、故郷に帰ったような親密な感情が湧き出て来るのを抑え切れず、私は店内でヘッドフォンを付けながら慟哭をした。けれどそれが搔き消されるくらいに、店内では激しく別のデスメタルが流れていた。それは後になって知ったことだが、Thousand Eyesの『ENDLESS NIGHTMARE』だった。私はまさにその永遠に続く絶望に身を浸しひたすら満身を震わせながら、泣いた。それを心配したママが救急車を呼ばんとする時、漸く涙を振り払ってAT THE GATESを初め、デスメタルの棚を端から籠にぶっこんで、買い込み、家でいちまい、いちまい、丁寧に聴き込んだ。北欧やらアメリカやら、日本やら、世界中にデスメタルバンドは存在し、それぞれ死や絶望、憎悪、狂気を謳い上げていた。私はこれらに出会うがために、病院から出たのだと直感した。健康になった喜びが、今更になって心身を突き上げてきたのだ。有能な担当医師、突如来国した紺色の瞳した偉いお医者、それから夜昼なく励ましてくれたこの上なく献身的な看護師に、明日にでも天国へ昇っていけそうな信心深き父母、ひとりひとりに額づきたい程の感謝が溢れ出て、私は苦しくなった。

 最早肩が捥げようが、腿が壊死しようが、知ったことではない。私は餓えた獅子もかくやあらんとばかりのきびしい眼差しで、日々ギターの練習に励んだ。買い込んだデスメタルのCDのフレーズを真摯に拝聴し、音を探してギターで再現してみる真似事にも専念した。

 そうこうする内に私の中にまた欲望が頭をもたげてきた。ギターはもちろん人生における最重要事項であるし、それを以てデスメタルに奉じるのも殆ど神から課された義務、であったが、それを包括する社会全体についても知りたくなってきたのだ。デスメタルの世界有数の産地であるフィンランドの言葉や文化についても知識を得たいし、デスメタルがテーマとすることも多かった戦争についても知りたく思った。それ以前から興味を持っていた戦争小説はもっともっと無数にあるようだから、それも読んでいきたいし、何より今度は部屋でひとりぽっちというのではなく、バンドでギターを弾いてみたいと思うようになった。それらが叶えられる場所は、どうやら大学という場所にあるらしい、ということを知った。

「私、十八歳になったら、大学生になるの。」私はある日台所のママに近づいて、そうっと告白をした。ママはシフォンケーキがふっくら焼けた時のように、「まあ、すてき。」と言った。

 しかし、大学という所はただでは入れてくれるのではないようだった。入学以来数度目に行った高校で、担任の先生は少々渋い顔をしながら、「大学に行くのには受験というものがあって、たくさん勉強をして、その成果を見せないと入学はさせてくれないのだよ。」と言葉少なげに語った。一度ギターの件で二か月半に及ぶがまんという経験をした私は、それが再度到来したことを直感した。欲しいものはどうやら病院の外では、欲しいと述べるだけでは容易に与えられるものではないようなのだった。

 私は一人しんしんと冷たく覚悟を決めた。ママが趣味で作ったイングリッシュ・ガーデンにマーガレットが咲き誇る、夏の盛りのことであった。これらが一掃され大きな欅の木の葉も散り落ち、枝に雪が積もる頃、私は受験をするのだと思った。

 METALLICAの詞をことごとく暗記していたことと、海外の戦争映画を観ていたおかげで、英語という科目は思いのほか点を取るのが容易かった。さらに戦争小説を愛読していたおかげで、国語も何とか人並の点を取ることができていた。あとはどうしたって太陽は早々には爆発しないこと、いんせきだって滅多には人にはぶっつからないこと、ブラックの蹴りは物理学的公式に則っていること、そういう事柄を一つ一つ学んでいく必要があった。しかしこれは、ギター到来を待ちわびる、あの種のがまんとは違っていた。自分が行動でき、それによって内面が太っていく、充実感があるのは運を天に任せるのとは根本的に違っていた。私は新しい我慢を愛した。

 私はほんの少しの郷愁を胸に鉄板のギターはハードケースに入れて、暗証番号の666を入力してクローゼットにしまった。次に開ける時は大学生になっているのだ、と思った。

 机上には新しく買い揃えた色とりどりの参考書やら問題集がぴかぴかと輝きながら、がんばりましょうねと微笑みかけているのだった。

Thousand Eyes [Endless Nightmare]

https://www.youtube.com/watch?v=l7Mk8kh0abM

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