十八章
意識を喪っていたがために、長かったのか短かったのかよくわからない夏休みが終わり、再び授業、レポートと日々は過ぎて行った。仙人先生の下、書き続けた一本の線も格別に力強くなってきた。雪乃ちゃんも、もう、巨石を庭師さんに運んでもらうという発想自体をなくしていた。フェミニズムの先生は、あれからも何度か(服装のために)激昂させてしまったけれど、手の込んだレポートを提出し続けたお蔭で、態度が軟化してきたのはとても嬉しかった。先生はある日、遂にこんな話をしたのだ。
「私はいつも最寄駅からタクシーに乗って、大学まで来るのですが。今日の運転手さんが、うちの大学の学生たちを褒めようと、こんなことを言うんですね。『近くのK大学はほとんど裸形のような女子学生や、頭を金だの赤だのにした男子学生ばかりで、真面目なT大学の学生さんとは大違いですね。』」と。数か月前の私なら、そうでしょうと、誇らしく肯いていたはずなのですが、私は知らずこんな風に語っていたのです。『運転手さん、人を見かけで判断してはいけません。実は私も、毎度授業にとんでもない、下着同然の格好をしてくる女学生がいて、非常にピリピリしていたのですが、彼女たちは毎回授業は最前列、レポートは毎回趣向を凝らし、丁寧な調査に基づいたものを出してくるのです。私に何度怒鳴られても恰好を変えませんが、彼女たちが言うように、時代においてファッションは大きく変化するのではないでしょうか。』」ショートカットの前髪の下で、いつしか変わった瞳をキラキラさせながら、教授は私たちを交互に見詰めながら、「私も、昔学会や会議に、パンタロンで行ったことを思い出しますよ。」と言った。その後は雪乃ちゃんと学食で打ち上げだ。いつものカフェでイチゴパフェを追加して乾杯、をしたのだ。
三坂たちには直接会わなかったけれど、いつの間にか部室の上から色々なモノが降って来るのは無くなっていた。どうやらあのCDレビューを見て、遂に私がDEATH SENTENCEDのギタリストでいることに納得せざるを得なくなったらしい。少々物寂しい気もしたが、学園祭で生で見て心底納得してほしい、というのも私の学園祭ライブに向けての大きなモチベーションとなっていた。
学祭も、神戸のライブも刻々と近づいていた。
特に神戸のライブには皆それぞれ、思い入れがあった。
私は、DEATH SENTENCEDのギタリスト後継者として、まだ見ぬ郡司さんに認めてもらうこと。高宮はいつもと変わらず飄々としていたから、わからない。でも郡司さんと再会できるということを、心密かに楽しみにしているようではあった。源藤はもっと露骨で、郡司さんに褒めて貰うがため我武者羅に練習に励んだ。高宮が倒れるなよと何度もポカリスウェットを差し入れした程だ。小野瀬はバンドと学園祭実行委員(つまりは女)との折衝で忙しそうだったが、源藤と共に夜遅くまで部室でリズム隊としての練習を行っていた。そんな中、曲の完成度は日に日に高まっていくように思われた。練習の際には自分たちの演奏を客観視する為にも録音をするようにしていたが、その音に気迫というか切迫感というか、つまりはそういった空気が芽生えてきたのだ。これはデスメタルバンドにとって不可欠の要素だった。そこまで辿り着いた時、高宮の手技はやはり正しかったのだと思わざるを得なかった。ギタリストとして指が早く動くことが大事なのではない。ミスをしないことが大事なのではない。一音一音に込められた思いが、それを介して危機的な緊張感溢れる空気を出すことが大切なのだ。今この一瞬のために生きている、そうオーディエンスに思わせること、これが使命なのだと痛感された。




