十七章
意識が恒常的に戻り退院が出来たのは、それから一週間も後だった。その後通院でのリハビリがあり、家から一人で出られるようになったのは、更にその一か月後だった。その間、初めて私はゆっくりと高宮と電話をした。要は、誰もギタリストには入れないこと(探すのが面倒だから。三坂による犠牲者をこれ以上出すのは忍びない等云々。)。ライブは秋口だから、まだ時間的余裕があること(新曲をこれから書くから、こっちはこっちで時間が必要。)所々引っかかる節がなかったわけではないけれど、お蔭で十分な静養を取ることができた。
そして遂に、二か月ぶりの登校となった。私はギターを背負って、まだ夏休みで人影のない大学構内を一歩一歩足を踏み出しながら、部室へと向かった。ここで、それまでの人生で見たこともない程色鮮やかな風景が展開されていたのは、僅か半年前のことだった。そして桜の花の中に高宮を見たのだ――。それが酷く懐かしいことのように思えた。
何だって高宮は階下を見下ろしていただろう。もしかしたら高宮はああ見えて作曲家だから、満開の桜を見ながら何か特別な気分に浸っていたのかもしれない。いつか機会があったら聞いてみよう。
そんなことを思いながら、私は肩に食い込むエクスプローラーの重さにくるしい喜びを得ながら、何度も休み休みしながらサークル棟の二階へと上がった。
埃の溜まった階段、いつもは色々な音が響いていたのに、やけに静まり返った館内。一つ一つ昇りきると、そこには夢にまで見たぼろけた扉があった。「THRASH」その張り紙は、何とかいまだに黄ばんだままくっ付いていた。最初にここを空けた時、約束通りギターを構えて待っていた高宮の姿に、突き上げるような歓喜を覚えたっけ。
そんなことを思い出しながら、そうっと、静まり返った部室の扉を開けると、そこには高宮と源藤と小野瀬が立ってこちらを見ていた。私はかつて感じたことのない恥ずかしさで彼等の顔を正視することが出来なかった。暫く下を向いたまま足を止めていると、その場が爽やかな冷気で満たされていることに気づいた。思わず私は顔を上げる。
「お帰り。」私の目を見て源藤が言った。ただいま、と言いたかったけれど、気恥ずかしさがそれを制した。「ごめんなさい、練習に穴を空けてしまって。」
「確かにな。」高宮が言った。「まあ、お蔭で曲は完成したし、リズム隊を十分に扱けた。」
源藤と小野瀬がうんざりというような顔で互いを見遣った。
噴き出しかけた瞬間、冷気の原因に気づかされた。窓の上に冷暖房機が付けられていたのだ。
「見ろ、あの顔! ビビってやがる!」源藤が私を指差して笑った。
「これはな、俺たちのCDが結構売れてよ、その売り上げで買ったんだ。」小野瀬が言った。思わず心臓が縮み上がった。CDだって? 私が人生で初めてレコーディングした、あの、CDが?
「見ろよ。」と言って源藤が差し出したのは先月号のメタル雑誌だ。ぺらぺらとページをめくると、後ろの方のCDレビューにDEATH SENTENCEDの名と、スカルが中央に配されたCDジャケットが掲載されている。曲名はこの間レコーディングをした三曲で、レビューも好意的だった。「今後に期待が持てる」、なんて書いてある。
「八十点! 凄ぇ高得点だろ、なかなか有名どころでも出ねえぞ! お蔭で置かせて貰ってるCD屋でも次々完売して、再プレスも決定した。で、お前がぶっ倒れてる間にうっかりこんなもんが買えちまったって訳だ。このまま行きゃあ、俺たち富豪だな。」源藤ががはは、と笑った。
頭が付いていかない。私は半笑いを浮かべたまま、曖昧に首を振った。
「お前、もう弾けんの?」高宮がやや低いトーンで聞いた。
「……弾けることは弾けるわ。でもパフォーマンスはちょっと、待ってほしい。」私は正直に言った。ここまで来ただけで、体はふらふらだった。
「何も退院したてでヘドバンしろだの扇風機やれだの、言わねえよ。」源藤はどっかどドラムの椅子に座り込むと、スネアを軽く叩き始めた。「ああ、ギター二本入るの、久しぶりだな。ギター一本じゃ薄いの何のって。ハモれもしねえ。このまま3ピースでパンクに転向しなきゃいけねえかと気を揉んだぜ。」
「お前そんなこと考えてたのかよ。」小野瀬が睨む。「パンクバンドになったら俺は辞めっからな。」
「いいからさ、とっとと始めようぜ。お前に高宮の扱きの成果を見せてやっから。新曲も凄ぇぞ。ちなみに神戸のライブの曲順は、あれな。」源藤が顎でしゃくって、ドラムの向かいの壁を示した。そこには私の特にお気に入りの、つまりアレンジを目一杯ぶち込んだ曲ばかりが並んでいた。
「わあ。」自然と歓声が漏れた。「これで、これで、郡司さんに会いに行くのね。」
「しっかりやれよ。郡司さんはメタルとギターについては、厳しいからな。あとは超適当だけど。」源藤が笑う。
「わかってる。」私はそう言って、バッグの中のシールドを解くとセッティングを始めた。電源を入れたMARSHALL2000が、ブーンと唸った。それがようこそ、とでも言っているように思え、ふと目頭が熱くなった。
「もうぶっ倒れんのはなしな。」高宮が横目でちらと見遣った。
「大丈夫。もう、浮かれないわ。」
「浮かれてたのかよ、お前。」源藤が言った。
「ちょっとだけよ。」私はチューニングを終えると、エクスプローラーを構え、METALLICAの「ENTER SANDMAN」のイントロを爪弾き始める。「真っ白いだけの世界から色づいた世界に出て、ギターも弾けて、ちょっとだけ、浮かれたのよ。でも私は結局私の体の中からしか生きられないのだし、体の意見もちょっとは聞いてあげることにしたわ。だって、高宮の曲、もっともっと弾いていたいもの。」
「そうだな。」高宮がそう素直に肯定したので驚いた。人が変わってしまったのかと思い、高宮の顔を凝視する。「メンバー探し、面倒臭ぇんだよ。」
「お前、探してねえじゃん。探して連れて来たのは、全部、俺様だろが。」小野瀬が自分の胸を指さした。
「使えねえ野郎ばかりな。」高宮が即座に応戦する。
「テクニックはどいつもこいつも申し分なかったじゃねえか。少なくともこいつよりかな。」とんだ飛び火だ。私は目を反らした。
「そういうのは、DREAM THEATERのコピーでもやらせときゃあいいんだよ。俺は病人みてえな奴が好きなの。」
「こいつ、マジモンの病人じゃねえか。お前のタイプだったのか。」思わず源藤が立ち上がり、私を指差す。
「こいつじゃねえよ。」高宮はいかにも厭そうに、唇をひん曲げて言った。「デスメタル以外弾いたら蕁麻疹出るみてえな、デスメタル以外叩いたらゲロ吐くみてえな、デス声以外出したらついでに血便も出るみてえな、そういう、病人。そういう連中で一斉に音出したら、曲以上のバンドの総意的熱意みてえなのが、出るじゃん。」
「メンツの選択基準、そこだったのかよ!」小野瀬がわなわなと唇を震わせて言った。「……まあ、薄々は、感じてたけどな。」
「ボランティア精神が旺盛なんだ、俺は。」どこか得意気に高宮は笑った。
「絶望とか憤怒とかばかり謳ってる人に、ボランティア精神があるとは驚きだわ。」
「俺だって、産声を上げて生まれてきた。」高宮が反論にもならない反論を紡ぐ。
「デス声でな。」源藤がそう言って軽くシンバルを鳴らした。
「俺らは皆病人ってわけか。そりゃあDEATH SENTENCED≪死刑宣告≫の名の下に集うわ。」小野瀬がそう言って自嘲的な笑みを浮かべた瞬間、私はさすがに噴き出した。
「病人の力で、」高宮がそう言って背を向け、シールドをアンプに繋ぎ始めた。「神戸のライブ成功させるからな。」
「もちろんよ。」私はチューニングを終え、足下のエフェクターを踏んで言った。「私はこのライブに掛けるの。ギタリストとしての真価を。」
「そういやさ」ふと、源藤がスネアを叩きかけたスティックを止めて言った。「神戸の前には学祭もあっからな。」
「え、学祭?」私は頓狂な声を出した。
「ああ。」小野瀬も肯く。
「出られるの?」それは殆ど叫び声になった。
「神様仏様小野瀬様だからな。」源藤が両手を胸の前で合わせ、小野瀬に向かって頭を深々と下げる。
「本当に?」
「あれだな、快気祝いってやつだ。あれ? 快気祝いって、病人がくれてやるやつだっけ?。」小野瀬がそう言って頸を捻る。「まあ、何でもいいか。」
「私、雪乃ちゃんと先生方に、案内状を出すわ!」
「何でいつも、てめえのアイディアはデスメタルから全開で懸隔してんだよ。何だよ招待状って。勝手にシンデレラ城にでも行ってろよ。」源藤が怒鳴る。
「きゃあ、そのアイディア素敵。私、プリンセスの便箋に案内文を認めるわ。早速ディズニーストアに行かなくっちゃ。」
文化祭に出られる。
青空の下で、太陽の光を浴びながら、高宮の曲を演奏できる。みんなが聴いてくれる。
そして、文化祭が終わったら郡司さんの前でのライブだ。
力を零まで失った筈の体の奥から、マグマが沸き起こるようにエネルギーが湧いてくるのを感じた。
高宮が俯いてチューナーを見つめながら静かな笑みを浮かべていた。




