十二章
ライブの予定は、入る。前回よりも高いクオリティーを目指し、練習の予定も、ほぼ毎日入る。たまに嫌がらせも、入る(何でサークル棟からは色々なものが降って来るのだろう。卵、水、釣り餌用の疑似ミミズ等々。その度に小野瀬が激昂した。)。けれど私は大学生なわけで、授業もあればレポートも、ある。一分一秒が惜しかった。
例に倣って孫過庭の臨書に取り組むため、日本庭園へと向かう途中、ふとその輝かしい初夏の陽光に立ち止まった。気付かぬ内にキャンパスの樹々の緑は段々濃くなり、そこを通過する陽の光が煉瓦道にまろやかな円を描いていた。池の水も温むのか、恩賜の(という専らの噂の)鯉が元気に泳ぎ回り、口を開けては通行人からの餌を強請るようになった。私はこんなに当たり前に外気に触れられるようになり、更に大学生となることができて、そしてバンドも勉強もできるようになって、本当に幸せ者だと私は唐突に思った。病院の中だけで人生を過ごし、二十歳になって死んでしまうのは、今になって考えてみると我慢の出来ない程に不幸なこととしか思えなかった。何でも望んだものは購ってくれて、待合室のTVの占有権を得ても、それは未来を想うことさえできない日々だった。
「まりあちゃーん。」と、後方から声がする。振り返ると、雪乃ちゃんが小走りにやってくるところだった。「ライブはどうだった? うまくいった?」
「色々反省点はあるけれど、高宮は上出来って言ってくれたから、まあまあかしら。今度また、ライブをやるの。」
「えー、凄い。有名人ね。サインは、もう考えた?」
雪乃ちゃんはデスメタルが、ごく一部の人間にしか受け入れられていないこと、そしてその多くがサインなんて必要としない暴徒であることを知らないのだ。
だから「サインは暫くは要らなさそうよ。」とだけ答えた。雪乃ちゃんは少し残念そうに眉根を寄せた。だのに諦めはしなかったらしい。雪乃ちゃんは授業中、仙人の目を盗んで、私のサインを半紙に何枚か書いて寄越した。筆で書かれるそれらは何とも厳つかったけれど、雪乃ちゃんらしく、ハートやらお花やら付け加えられていて、その中で一応気に入ったのを指し、「これにするわ」と小声で囁いた。雪乃ちゃんは満足げに「私もそれが一押しだったのよ。」と言った。
その後は恐怖の詩の授業だった。さすがに今回のレポートはなかなか時間も取れなかったけれど、読解のポイントさえおさえ、かつ近代詩であれば自由に詩を選んでよいということだったので、私は一番興味を持っている、日清戦争の最中の詩に着目してレポートを作成した。夜の十時まで図書館が空いているのでどうにかなったけれど、それでも睡眠時間は大分削られることになった。
「今成まりあ。」もう、教授は嫌な顔をしないばかりか、笑みさえを浮かべて私を指名するようになってきた。私は勢い込んで挙手し、身振り手振りさえ交えてレポートを熱く朗読し始めた。
「……以上の詩からわかるように、日清戦争の際には反戦感情はほぼ生じていなかった。その理由としては、戦場が異国で会ったため、具体的に悲惨な戦場がイメージできなかったこと、戦傷や戦死が実体としてではなく、ほとんど情報に留まったということが考えられる。よって安易に今日的な視点に頼り、反戦思想をもって日清戦争の時代の戦争詩を評価するのは極めて危険であると言わざるを得ない。戦争を題材とした詩は日露戦争を迎え、多くの犠牲者を出したことによって、初めて反戦をベースとするに至った。思想の表出こそが文学に求められ、それをもって唯一の評価軸とすることは同時代状況を無視した判断である。」
フェミニスト先生は、「鋭い分析です。」と言って拍手をくれた。学生たちもそれに倣った。
授業が終わると私たちはまた連れ立って学食へと向かった。雪乃ちゃんがマドレーヌを作ってきてくれ、これを外で食べたらさぞ気持ちがよかろうという手筈となった。次いでそろそろ学食ではソフトクリーム販売が始まっており、その二つを芝生に座って食べたら素晴らしいということで話は決まった。私はバニラソフト、雪乃ちゃんはストロベリーソフトを舐めながら、噴水のほとりの、少し傾斜になった芝生に腰を下ろして、おしゃべりに興じた。
「美味しい!」私はマドレーヌを一口齧って、口の中に広がるレモンの香りとバターの芳醇な香りに驚いて言った。「こんなに美味しいの、今までの人生で食べたことないわ。」十八年の記憶を手繰り寄せてみた結果、そう言わざるを得なかった。
「そんなあ、大袈裟よ。」雪乃ちゃんは顔を赤くして、軽く私の腿を叩いた。「でも約束の分、作って来たわ。」
「まあ、ありがとう! まりあちゃん、お嫁さんも良いけれど、パティシエになったらそのお店のある街全部が幸せになると思うわ。」
「ううん。」雪乃ちゃんは恥ずかしそうに俯いて言った。「実はね、私もお菓子を作るお仕事に就けたら素敵だなって思ってるの。でも、親が、許さないと思う。」何か葛藤しているような重みがあったので、暫く肯定も否定もできずにいると、「まりあちゃんは、将来どうするの?」雪乃ちゃんが噴水のしぶきに目を細めながら呟くように訊いた。
「うーん、考えたことないなぁ。二十歳以降のことは、あまり考えないようにしていたし。」
「ギターを続けるの?」
「ギターは好きだけれど、一人ぼっちで出来合いの曲を家で弾いているのは嫌だな。ずっと高宮が雇用してくれれば、いいんだけど。」
「確かに、前まりあちゃんから借りたバンドのCD、とっても素敵だった。綺麗で、胸の奥底が浄化されるような、感じ。」
「そうでしょ?」勢いよく半身を雪乃ちゃんに向けて捻ったために、ソフトクリームが落ちそうになった。慌てて舐め取る。「私にはとてもあんな曲は書けない。色んなバンドの曲、コピーはするけれども、高宮の曲を弾いている時が一番幸せなの。どんどんこう弾いたらよいかな? ああ弾いたらよいかな? ってアイディアも湧き出て来るし、お蔭ですっごく、練習量も増えた。ギター、上達したんだ、私。誰も言ってくれないけれど。」
雪乃ちゃんはこくこく肯きながら聞いてくれる。
「まりあちゃんは凄い人と、巡り合ったのね。」
「うん。」私はすぐ脇に寝かせたエクスプローラーを見下ろした。「このギターがね、導いてくれたの。」
「楽器は生きているっていうしね。ピアノの先生が、仰っていたの。伐り出されて楽器になったばかりの木材は、まだ自分が楽器として生きることになったことに、気付いていないんですって。だからまだ鳴り切らない。でもどんどん弾いていく内に、楽器にも楽器としての自意識が芽生えて、やがて演奏者を導いてくれるようになるんですって。」
「そうなのね。」私はケースの上から、ギターにそっと触れてみた。「私はこの子をもう三年間毎日弾いているし、一緒に徹夜して一緒に高宮に怒られて、一緒にライブにも出たから、そろそろもう自分が楽器だって、気付いているはずよ。」そこまで言い終わった時、一瞬、ギターの鼓動を感じたような気がして手を引っ込めた。そして思い出して、言った。「何せ、James Hetfieldの魂が込められているんだから。」
「James?」
「この人よ。」私はフルラのピンク色のキャンディバッグから、サマンサ・タバサの手帳を取り出して、そこに挟まれているJamesの写真を見せた。ずっしりと腰を下ろし、ダイヤモンド・プレートを低く掲げながら、渋面を作って吠えている。
「高宮さんに、似てるのね。」
「そうかしら?」私はびっくりして、改めて写真を見直した。「……メタラーは大抵、屈強な体を持っていて、髪を長くしているのよ。お洋服も、黒のメタルTシャツにハーフパンツか軍パンか。そして軍靴が鉄板だわ。だから雰囲気は皆似通うものなのよ。」
「でも、まりあちゃんは、違うわねえ。」
「でもライブでは一応その出で立ちで挑んだのよ。正直、あんまり、似合わなかったけれど。」ふう、と溜息を吐いた。「だから暴言を吐かれるのよね。」
「暴言?」
「そうなの。デスメタルバンドには、あまり女のギタリストはいないから。ステージに出ていくだけで、お客が大層怒るのよ。」
「恐ろしいわね。」雪乃ちゃんは肩をぞくりと震わせた。
「でも高宮ほどは恐ろしく無かったわ。」
「高宮さん、やっぱり怖いの?」
「ええ、ライブ前には物凄くナーバスになって、普段はあまりしゃべらないのに、やけに怒鳴り散らすから、恐ろしかったわ。」
「あんな、赤い髪して刺青だらけの人に怒鳴られたら、私なら第一声で失神しちゃうわ。」
私はゆっくりと頷いた。「私もそうよ。でも失神したり泣いたらライブに出られないから、頑張って、耐えたの。」
雪乃ちゃんは私の目を潤んだ瞳でじっと見つめて、盛んに肯いた。
「でも高宮は間違っていないの。要は、お客がお金を払っていること、私が好き好んでギターを弾いていること、それを忘れちゃいけないんだってことだから。言い方はちょっと、アレだけど。」
「確かに間違っては、いないわね。」
雪乃ちゃんも神妙そうに頷いた。
ソフトクリームを食べ終わると、雪乃ちゃんにマドレーヌのお土産を貰い、別れた。そろそろ練習時間が近づいていたので、部室へと向かうとそこには小野瀬がいた。DEANの何やら歪んだ形のギターを手に、パイプ椅子に座って基礎練習に励んでいるところだった。私を見上げて「おお」とも「ああ」とも付かぬ妙な挨拶をした。
「こんにちは。」
「さっき、お前。」ピックで私を指した。「芝生んところで、可愛い子といたな。」
そういうことには目ざといのだ。
「雪乃ちゃんよ。」
「そうか。可愛いな。」
「そうだ、雪乃ちゃんが作ってくれたのよ、マドレーヌ。食べる?」私はキャンディバッグからマドレーヌを取り出し、渡した。
「さすが可愛い子は違うな。」お菓子好きだなんて今まで一言も聞いたことはなかったけれど、小野瀬は目を生き生きと輝かせマドレーヌを受け取った。丁寧にフィルムを剝がし、一口齧る。「うんめー。」目を見開いて言った。「マジでうめー! うちの職人以上だ。」
「職人? コックさんに来てもらっているの?」
「何言ってんだよ、うちの店の話だろがよ。」
「ライブの朝のパン!」私はようやく思い付いて叫んだ。「あれ、小野瀬のパン屋だったのね!」しかし意外性は無かった。小野瀬の甘いマスクは小麦や砂糖で作られたのかと、変に納得してしまった程だ。
「B棟学食のパン屋も、俺んちの店だぜ。本店は実家だけど。」
「本当に? ほぼ毎日雪乃ちゃんと行っているわよ!」
「毎度。」小野瀬は素っ気なく言うと、残り半分となったマドレーヌを全て口の中に突っ込んだ。「にしてもうめー。雪乃ちゃん、凄ぇ。」もごもごと言いながら指まで舐めた。
「そうだ、あなたもう少し誠実になったら、雪乃ちゃんと結婚したらいいわ。」
小野瀬が激しく噴き出す。そのついでにマドレーヌの欠片も口から飛び出た。
「せっかく作ってくれたのに、勿体無いわね。」
「お前雪乃ちゃんとマジで友達なのかよ!」
「当たり前よ。毎日授業に一緒に出て、一緒に学食に行くんだから、これ以上の友達って、ないわ。」
「じゃあ、なんだよ俺と結婚って!」
私は少々不貞腐れながら言った。「私だって、そりゃあ今のあなたじゃあ、あんまり推薦はできないしする気もないけれど、雪乃ちゃんはお菓子作りの天才なのよ。これを生かせば大変な社会貢献になるはずなの。だけれど、お父様お母様がそれをお許しにならないそうなの。お見合いをして良い方とご結婚するのが女の子の幸せというお考えだから、お見合いの釣書を綺麗に書くために書道もやらせられているし、他にも華道にピアノに色々……。でもあなたと結婚してパン屋を継げば、毎日お菓子を作って雪乃ちゃんもお客さんも幸せに生きられると思ったのよ。あなたはそうねえ、……今のままベースを弾いていればいいわ。どうせ美味しいお菓子なんて作れないんでしょうから。」
そこに源藤と高宮がやって来た。唐突だと思ったが、それぞれにマドレーヌを差し出し、「友達が作ってくれたの。凄く美味しいから、食べてみて。」と言った。
特に高宮はメタラーには不似合いだとか、甘いのは苦手だとか何とか言って拒否するかとも思ったが、大人しくフィルムを剝がして食べ始めた。「旨いな。」
「凄ぇうめー! なんか今まで喰ってきたのと違う! ふわふわしっとりしてる!」源藤も目を見開きながら言った。
「あ、そうだ。今度レコーディングするから。」高宮が口にマドレーヌを押し込みながら言った。「前使ったH市のスタジオ、来月の三週目日曜押さえたから、空けとけよ。」
「録り直すの?」小野瀬が問うた。
「いやったー! 肉だ、肉、肉!」源藤が訳の分からないことを叫ぶ。
「アレンジが随分変わったからな。さすがに新規でCD買ってくれた奴がライブ来て全然違ぇのやってたら、ビビるだろ。」怒る、とは言わなかったのに心が躍った。
「確かにな。今成もギターのメンテ戻って来たばっからし、ちょうどいいんじゃね? それに、肉が食える。」小野瀬まで訳の分からない言葉を続けた。
「了解です。」私は高宮に向き直った。ライブの次はレコーディングか、と背筋がぴんと伸びるような感覚があった。
「あ、ねえ。」私はあることに思い付いて、高宮に言った。「CDにプレゼントとかは、付けないの?」
「特典? 何か付けてぇの?」高宮が全く想定したこともない、とばかりに言った。
「うん。マドレーヌ。」三人が埴輪みたいな顔で私を見詰めた。「ううん、やっぱりクッキーがいいわ! だって、文字が刻印できるもの! 中央にHAPPYとかHOPEじゃあ、いまいち似合わないから、……DEATH SENTENCEDにして、そうねえ、一応デスメタルバンドだから仕方ない、黒いおリボン付けて、ライブ来てたくれたお客様にお渡ししましょう。」我ながら素晴らしいアイディアだと感動し、最後は声が上ずった。
「CD特典の話からずれてんじゃねえか。」源藤が引き攣りながら言った。
「雪乃ちゃんにうちに来てもらって、一緒に作ろうっと! そんなにたくさんは作れないから、先着百名様ね。クランベリージャムと、ラズベリージャムと、イチゴジャム、三種類詰めて、色んな味を楽しめるようにするとよいわ。それを食べたらきっとみんな、幸せな気持ちになるわ。」
「お前。」小野瀬がわなわなと震える指で私を指した。「あの客層見て、普通、クッキー思い付くか? 空き缶ぶつけられて、なかったっけ?」
「それはそうだけれど……。」つい数日前のあまりにも刺激的な出来事を忘れたわけでは、もちろん無かった。「誰だって美味しいお菓子を食べれば、幸せになるものよ。」
そして最後に高宮が眉間に皴を寄せたまま、「……好きにしろよ。」と呟いた。
「好きにしていいのかよ!」小野瀬が叫んだ。
「それよりも。」高宮が目を細めて私を見下ろす。「レコーディングだ。丸一日は抑えたが、お前の時間は限られている。即座に完璧なフレーズが弾けるよう準備をしておけよ。」
「はい。」私は踊り出したいような気持を抑え、「さあ、みんな、今日も元気に練習を始めましょう!」と言った。
ライブはそれから、怒涛のように熟した。郡司さんがいた頃よりも詰め込まれている、と高宮がぼそりと呟いた程だ。確かにライブハウスからのお呼びは激しく、都内のみならず近隣や少々遠出をしての郊外にも赴き、一週間に二度も三度もライブを行ったことさえあった。しかし私は疲弊するよりもそのたびに実感される、自己の成長が嬉しくてならなかった。ライブをするにつれて、次第にお客さんとの呼吸、が掴めてきたのだ。お客さんは言うなれば鏡のような存在だった。自らの精神状態と全体的調和と技術、その全てを如実に表す。しかも一音目が重要だった。そこで一気に心を掴み取るか否か、私はぞくぞくするような緊張感をもってその一瞬を楽しんだ。そのような中でのレコーディングだった。聞き手が誰なのか、はっきりとイメージできるようになってレコーディングに挑めることを、心から祝杯あげたく感じた。
CDを作るということは、私の死後までも私の音が残ってしまうということだ。私の肉体よりも長生きのできる、私の分身。そう考えると私の胸中には瞬く間に不安の暗雲が広がっていった。練習やライブで奏でる、あっという間に過ぎ去る音とは違い、永久に残ってしまうのだから。永久に相応しい音を奏でられる身分ではまだまだないけれど、それでも全力を賭して臨まなければ後悔する。それは確信だった。
そこで私はバンド練習前後に高宮を呼び、手癖で弾いてしまっているようなフレーズを逐一チェックしてもらって、音が外れていないか確認してもらった。高宮は「今更かよ。」と言って唇を歪めたので、また怒声が浴びせられるかとも思ったが、暇だったのか自分のギターまで持ってきて付き合ってくれることとなった。
メトロノームをめいっぱい速度を落とし、「弾け。」と高宮は言った。生音で一音一音丁寧なピッキングを心掛け、弾いていく。今回録る三曲はいずれもBPMは二百以上、曲によっては二百五十と速い曲ばかりだったので、一音一音をクローズアップしてみると何だかこれでいいのかと自信ががらがらと崩れていった。ライブではあんなにも強い存在になれたのに。そう言うと、「そういうもんだ。」高宮は三百年も生きている長老のように言った。「ライブのDVD観たろ? 後で冷静になって観てみれば演奏は荒いし、リズム、ピッチのズレも酷ぇ。客が盛り上がったからって、いい演奏が出来たと勘違いしたらプレイヤーとしては終わりだな。だから普段の練習は細かくやってかねえと。」
高宮がいつになく真面目に音楽的な話をするので、私は聞き入ってしまった。この人は確かに私の隣でギターを弾き、歌を歌っているけれど、内実何を考えているのかはさっぱりわからなかった。だって、何も喋らないのだ。出会った最初の日に、一年分の会話が済んでしまったと思う程だ。ギターや音作り、曲、パフォーマンス、もっと直接的に言葉で教えて貰いたいことは山ほどあるのに。私は今がそれを聞き出す良い機会なのではないかと思った。
高宮は私の不思議そうな視線に気付き、「何?」と問うた。
「ねえ、何考えて曲作ってるの?」
高宮は驚いたように私を見下ろした。
「こう、思い出し怒りとか、思い出し苦しみでもしながら作るのかしら? それとも、突然天から……ではないわね、地獄の底からフレーズが轟いてくることがあるのかしら? ぐぉおおおおって。」
「人のことを何だと思ってやがんだ。」
「メロディックデスメタルの、とても素敵な曲を書く人。」
高宮は苦いような顔をして「は。」と息を吐いた。この人はもしかすると、あまり人に褒められた経験がないのかしら、と思った。私は小さい頃から注射で泣かなかったとか、苦い薬を飲めたとか、病院食を食べられたとか、何かにつけて全力で周囲の大人たちに褒めてもらったものだけれど。
「ねえ、どうやって曲を作っているの?」
逃げられないと観念したのだろうか、高宮は溜息を吐きながら心底面倒臭そうに「俺の弾きたいフレーズを持ってきて、俺のがなりてえ言葉を持ってきて、以上終了、だ。」と、何の面白みも無いことを言った。
「じゃあ、どうやって音源を作っているの?」
「うるせえなあ。パソコンで何だってできんだろうがよ。」
「そんなの聞かなくたって解るわよ。もっと、こういう気持ちで作ったとか、こういう思い入れがあるとか、普通ありそうなものじゃない。そういうのが言えないっていうことは、ゴーストライターに書かせていると思われるわよ。」
「んなの構うかよ。つうか、ドマイナーなデスメタルバンドの分際で誰がゴースト雇えんだよ。それよりもう一回頭から弾けよ。」
高宮は今度は私のギターをアンプに繋ぎ、生音が聞こえる程の小さなクリアトーンに設定し、自分は鬼監督のようにドラムスティックでカンカンと傍の机を叩きリズムを取り始め、顎をしゃくって促した。
仕方なく練習を再開する。ゆっくりなので普段はアップダウンを交えて弾いている箇所も、全てダウンで弾いてみる。高宮は即座に気づいて、原曲通りの速度でも全てダウンで弾けるようにしろよ、と言った。その方が粒が揃うからな。それから出来るだけピックを弦に深く当てろ。リフを強力にするにはそれしかねえからな。
「ねえ、高宮はいつ、どうしてギター弾こうと思ったの? きっかけは、何?」一曲が終わると再び聞いた。
「何だっていいだろ。」不機嫌そうに言って、メトロノームに合わせてリズム正しくスティックを打ち続ける。
「じゃあさ、何がきっかけでメロディックデスメタルをやろうと思ったの?」
「そりゃあ、CARCASSだ。『HEART WORK』な。あれを聴いた時にはマジで頭ぶん殴られるぐれえの衝撃を感じたぜ。」
初めてきちんと答えてくれたので、私は嬉しくなった。「まあ、それはそれは痛かったでしょうね。じゃあ、最初に買ったギターは何だったの?」
「……JacksonのKingV。」
「ふうん。いかにもメタラーって感じね。じゃあ、あなたのお誕生日は? いつ?」
「……夏。」
「まあ、そこはデスメタラーっぽくないのね。やっぱりメロディックデスメタルと言えば、北欧、冬が鉄板よ。じゃあさ、犬と猫はどっちが好き?」
「お前ぇなぁ!」高宮がスティックで私の右の頬をぐいと押した。「お前ぇがレコ前に音のチェックしろっつうから来てやってんだろうが、ぐだぐだ喋ってねえで、」再びスティックを叩き始めた。「弾け。」
誕生日は夏、これが私の知る高宮のトップシークレットだと思うと、脱力する。雪乃ちゃんだったら快く何でも教えてくれるのに、と高宮の間に生じている深淵なる溝を改めて実感し、落胆と苛立ちの入り混じった気持ちになった。レコーディングの日まで二週間、高宮とのフレーズの確認は毎日続いたが、その間に聞き出せたのは、第一に幼少時代はクワガタムシが好きだったということと(これはギターの形の話題から)、第二にジョギングをする習慣があるということと(これはステージングに向けての体力作りの話題から)、第三に靴のサイズが28ということだけだった(これは高宮が机に脚を載せていた時に靴の裏の表示が見えただけ。つまり聞いてもいない。)。全くろくでもない。しかしお蔭で私のギターフレーズは、少なくとも今回レコーディングを行う三曲に関しては完璧になった。最後には高宮がギターを弾き、ハモリまでを完璧に仕上げることができた。
「もっと普段から喋った方がいいわよ。」レコーディングを明日に控えた最終日、私は高宮にそう忠告をしてあげた。「だって私、高宮が犬派か猫派か未だに知らないんだもの、毎日会っているのに、それって、おかしいわよ。」
「てめえがギター弾くのに、それがどう関係あんだよ。本当にお前は阿呆だな、うぜえな、頭いかれてんな。」
暴言だけは次から次へと幾らでも出てくるのだ。ただ雪乃ちゃんみたいに、好きなファッションの話とか、可愛い文具の話とか、そういうのは一切してくれないのだ。高宮がどうやって生きて来て、こんな赤い長髪に刺青入れた大学生兼デスメタルバンドフロントマン兼ギタリストに仕上がったのか不思議でたまらないというのに。また機会があったら聞こう、と私は決意をして明日に備え早めに帰宅した。
CARCASS [HEARTWORK]
https://www.youtube.com/watch?v=0qtWlvu1YoA




