一章
私は二度生まれた。一度目は母の胎内から。そして二度目は病院の中から。それは仕方のないことだ。なぜなら私の体はあちこちが壊れていて、生まれてすぐに何本ものチューブで繋がれなくてはならなかったし、大きな手術も要したからだ。お医者様はとても二十歳までは生きられないだろうと言ったし、パパとママはそれを聞いて心から悲しんだ。だから私の心に「願望」というものがなんらかの形状を取ったとたん、それをただちに引き出し、断固叶えることを決め事としたらしい。私はそうやって、幸福に大きくなった。
その中でも特に素晴らしかったのが、五歳の誕生日に、ゴレンジャーのブラックが病室にやってきてくれたことだ。私は強い者が大好きだった。いつもベッドを出られる日には小児科病棟のプレイルームのTVを占拠して、ゴレンジャーを観た。長期入院でありながらプレイルームに来られる、比較的軽い病状の子どもの中では私が最長の入院歴を誇っていたし、自分の欲望は即座に叶えるのが正しいと信じていたから、私は誰もかもを押しのけてTVの主導権を握った。他の子どもが泣こうが喚こうが、くだらない、くまやねこが呑気に歌い合うDVDは許されなかった。断然、ブラックだった。
ブラックはいつもクールで、それでいて強かった。その強さには、無駄というものが無かった。レッドが女のひとに惚れられたり、街の人々に被害を与えないようにと派手な攻撃を躊躇したりするのを、心底軽蔑していた。一方、ブラックが画面の端で躊躇なく悪の手下を蹴り飛ばしているのを見つけると、嬉しくて堪らず、私もまねして、チャイルドルームのカラフルなさいころ型クッションを蹴飛ばしたりもした。そして私もあんなふうになりたいものだと、常々思いを募らせた。
そんな時ブラックが病室に登場し、私は狂喜乱舞した。おかげで熱も急上昇した。それに伴って体のあちこちが炎症とやらを起こしたけど、全くもって、それどころじゃあなかった。ブラックはクールでほとんどしゃべらなかったけれど、「まりあちゃんへ、元気になってね。ブラックより。」と大書きされた写真入りのサインをくれ、レッドも、ブルーも、それからイエローも、ピンクもいる、全員のおもちゃもくれ、何度も頭を撫でてくれた。あの温かさは忘れられない。強い男はろくにしゃべらず、優しいのだということを知った。
次第に成長すると、ブラック以外の強い者にも、興味をひかれるようになってきた。それは発作で眠れぬ夜に、たまたま観た戦争映画の中に出てきた、戦車だった。戦車は何発もの銃弾に当たってもカンカンと跳ね返し、一切躊躇することなくドコドコとどこまでも突き進み、銃口から爆弾を拭き出しては何でも破壊した。私は歓喜した。何物も寄せ付けない、何物にも屈しない、それは他の何にも代え難い存在だった。だからブラックが戦車に乗っていれば無敵だと思われた。そのために迷彩柄などではなく、黒い戦車があればよいのにと口惜しく思って口にした矢先、それは案の定手に入った。掌大であったが(本物は病室に入りきらないから)、ずっしりと重く冷たく、なおかつ私の顔を映し出すくらいに黒々と照り輝いていた。世界を変える素晴らしい乗り物だと、毎日見詰めて飽きなかった。
そして戦車の出て来る映画を漁りながら十二になった時遭遇したのは、『ジョニーは戦場に行った』という映画だった。なぜこのような名高い戦争映画に遭遇したのが遅れたのかは、戦車にばかりこだわりすぎたためだと断言できる。戦車はだって、とにかく素晴らしかったから。でも戦争映画は実は、戦車だけでは無かった。滑稽なほど猪突猛進な一兵卒が出てきたり、意地悪く威張り散らす上官が出てきたり、驚く程悲惨な死に方をする一般人が出てきたりもした。強い者には相変わらず魅かれたが、それを引き立てている種々の要素にも目を配れるようになってきた。私はある眠れぬ夜に、『ジョニーは戦場へ行った』を見て、絶望のあまりの的確な具体化に震えた。それは、私が発作に苦しむ夜に覚える、死に対する恐怖とそっくりだった。だから全てを観ることができるようになったのは、随分後のことだったけれど、それまでも何度も何度も恐懼に目を瞑りながら観た。そしてその映画の本やパンフレットを次々と買ってもらう中、『ジョニーは戦場へ行った』をモチーフとしたミュージックビデオにも出遭った。爆弾に打たれて、手も足も、そればかりか眼も耳も失ったジョニーの声ならぬ声を代弁するが如き音楽を奏でていたのが、METALLICAというメタルバンドの『ONE』という曲だった。『ONE』は銃声も戦車の突き進む音も、それによって引き起こされた類稀なる悲劇も、一音一音に凝縮して表現していた。その意味でMETALLICAは史上最強だった。それまで手術中にかける音楽はどれにするかと選択を求められたことはあれど、大して興味も無かったが、この音楽という芸術分野には確実に神が宿っており、人間の心を如実に表現し、震えんばかりに共感させるものであることがわかったのだ。私は一本の共振針と化した。ブラックも、戦車も、これと引き合わせてくれるためのものだったと改めて確信し、感謝の涙を流した。
プレイルームは一変した。METALLICAのライブを始終流すはめになったのである。
私は食い入るように何度も見返し、胸に重くずしずし来るピッキングや、血沸き踊るリフを初め、全ての音と歌詞とを暗記した。でも一番クールなのは、ギターだった。他の何よりも多彩な表現をし尽くしていた。怨恨も絶望も、狂気も、何もかも、全て。
そのうちに私の中にまた願望が生じてきた。あの、James Hetfieldが弾いている、工事現場に敷いてあるごつごつした鉄板、あれを打ち付けた、そして佐渡島みたいな形した、あのギターが欲しい。あれをJamesみたいに膝ぐらいで低く引き摺るように弾いたら、私は誰よりも強くなれる。
いつもだったらすぐに叶えられるはずだった。生身のブラックも、ぴかぴかの黒い戦車も、戦争映画のグッズも、何だって私が欲しいと言えば即座に病室にやってきた。けれど、ギターはなかなか手に入らなかった。それは限定品だったのだ。世界でも二百本しか存在しておらず、しかも世界有数の人気バンドのモデルということで、どの国においても即刻完売してしまったらしかった。さらに製作をしてもらうにも特殊素材を使っており、さらにそれを木製のギターに張り付けるのは技術的にも難しく、レプリカであっても数ヶ月はかかるとのことだった。レプリカなんて偽物は断じて厭だったし、更にそんなに時間がかかるのなんて、許せなかった。許せないばかりに私は泣いた。泣くと必ず呼吸困難の発作を起こした。それが毎日続くので、肋骨が折れたり、顔が紫色になったりし、そのうちに変な安定剤みたいなのを使われて、視界にヴェールが生じ、現実なのか夢なのか、なんだかわけがわからなくなることもあった。でも私は佐渡島の形した、工事現場の鉄板ギターのことだけは忘れなかった。あれさえあれば、きっと病気に勝てるのだと思い成した。それはほとんど信仰の体を成した。
だって、この世の中には二百ものギターがあるはずだのに、私のところには一本も来ない。それはおかしなことだし、あってはならないことだ。それらが、総じてMETALLICA並みの妙なる音楽を奏でているというのであれば、仕方がない。でも、絶対にどこぞに無為に眠っているやつだって、あるはずだ。例えば収集家気質のお医者か弁護士の家の壁にかかっているそいつ。ああ、この際、貧乏でアルバイトとバンド活動に明け暮れているギターキッズのそれでもよい。十分なお金と交換すれば、お互いに幸せになれるだろう。医師が尽力するより、看護師が奮闘するより、両親が慰めるより、あのギターさえあれば私は健康になり、この病院を出て、ふつうの子どもと同じように学校に通い賢くなれるのに……。
私はその確信でひたすら世界を呪った。この世なんて、いんせきにでもぶっつかって、微塵になってしまえばいいと思った。その時に私のかわいそうさを思い知れ、と。毎日いんせきを呼んだ。なかなか都合よくは来なかったので、太陽爆発祈願も入れた。その感情ががまん、ということは後に知った。とにかく人生初めて強いられた二カ月半のがまんが、奇蹟を齎した。
ある日、目の前に鉄板のギター、エクスプローラーがやってきたのだ。シリアルナンバーも、Jamesのサインも入っている。本物だった。私は頬擦りしながら泣いた。ギターは見た目通り、冷たくてごつごつしていた。何度撫でても、頑なだった。誰にも媚びない強さがそこにはあった。やはり、世界一かっこよかった。
その時、私の体内で何が起きたのかはわからない。ギターの力だと確信しているが、他にももしかしたら成長に伴って内臓やら呼吸器やらが頑丈になったのかもしれないし、この数日前、海外からたまたまやってきていた偉いお医者が診察をしてくれたのだが、そのお医者が今までとは別の、最新治療法を施したためかもしれないし、心優しき両親が朝晩仏壇に祈り続けたためかもしれないし、とにかく、私は生まれて十五年目にして突然健康になり、病院を出ていくこととなったのだ。
しかし病院から出ていくなんて、考えたこともなかったので、戸惑った。私はずっとかわいそうなまま、二十歳前に両親に愛され死んでいくのだと、そう信じて疑わなかったから。美しく死んだオフィーリアが唯一の理想であり、その死に様を完璧にイメージすることだって、できていた。だから困った。突然長い人生が目の前に広がったのだ。それをどう歩むのかいくら考えても、ギターとブラックと、戦車しかなかった。
「それでいいのよ。」子どもの病という不幸から解き放たれ、一層美しくなったママはそう晴れ晴れと言った。生きてさえいればいい、という根本姿勢は病院でも家でもあまり変わらないように思われた。「まりあちゃんが、いいようにすれば、いいのよ。」私は自分のいちばんの美徳である素直さでもって、その言葉を受け止めた。
METALLICA [ONE]
https://www.youtube.com/watch?v=WM8bTdBs-cw