第7話 青田買いの婚約者
ザイン侯爵家。
ロマリア建国以来の貴族で絶大な発言権と王家からの全幅の信頼がある名門中の名門である。
先代までは。
現当主は毒にも薬にもならない。
お世辞にも有能とは言えない。
否、はっきり言って無能である。
当主夫人が裏方に回り支えていたからどうにかなっていたのだ。
侯爵家当主としては面白くなかったであろう事は容易に想像がつく。
常に夫人が誉められ自分は評価すらされない。
これほどまでにお飾りの当主などいないだろう。
だから夫人が流行病で亡くなった時に悲しみより喜びが上回った。
「これで決定権は妻ではなく自分にある」と。
独善的になり家臣の声に耳を傾けなくなったのだ。
主従の絆に歪みや綻びが生じるのは言うまでも無い。
それを修繕してきた夫人がいなくなったのだから加速度的に綻びや歪みは大きくなっていった。
そして放蕩が過ぎ借財を抱えることになる。
そこに入り込んできたのが豪商である。
豪商は借財を肩代わりする代わりに娘を後妻に入れたのだ。
当主は「豪商からの支援を取り付けた」と自慢をしているが家臣達のなかには「豪商の傀儡に成り下がった」と嘆いているものがいる。
実家が金を持っている。
自分は侯爵夫人として権力を手に入れた。
増長するなという方が無理があるだろう。
先妻の一人娘をないがしろにして義務で生んだ自分の子と有力者達との縁組みをし始めたのだ。
より強大な存在になろうとして。
そのことに気づいた先代が割って入ろうとしたのだが時すでに遅し。
なぜなら先妻が亡くなったときから豪商の計画は始まっていたのだ。
忠臣と言われる者達はすでに遠ざけられ、息のかかった下位貴族達でザイン侯爵家は乗っ取られたのである。
本来であれば簒奪として許されることでは無い。
だが、お飾りでも当主はザイン侯爵家の正当な跡継ぎである。
簒奪では無いと突っぱねられた。
すでに先代のザイン侯爵の発言権も大きく削られている。
このままでは先妻の一人娘に何か良くないことが起こるかもしれない。
陰日向となって侯爵家に尽くしてくれた先妻に申し訳が立たないとしてありとあらゆる手を使い第一王子イフェリウスとの婚約にこぎ着けたのだ。
俺が抱えている問題はこのザイン侯爵家の令嬢、ゾーエ=ザインについてである。
ゾーエ=ザイン。
「君華」に出てくる悪役令嬢。
長兄イフェリウスの婚約者。
派手な服、キツい表情、典型的な毒婦として描かれている。
黒いロングヘアーにボン、キュ、ボンの非常にSexyな体をしている。
俺の記憶が確かならばクソビッチと逆ハーメンバーの手で断罪イベントを起こされて国外追放となる。
その後は心機一転、他国でその才を開かせて嫁の貰い手、婿のなり手がいなくなり生涯を独身で過ごすことになるが一代で大公にまで成り上がるとんでもない才女のはずである。
このゾーエ嬢の背景は十分に理解した。
おそらく血筋と権力以外に縋るものが無かったのだろう。
途中経過は全くわからないが結末は知っている。
悪役令嬢にならないように幼少期からキチンと教育すればいいのだ。
さしあたっての問題はこの子が現在進行形で婚約者であるイフェリウスに虐められているということだ。
しかし陛下も無茶な注文をする。
先代のザイン侯爵は戦において辣腕を振るって何度も助けてくれたそうな。
その先代がやっとこさ取り付けた婚約を白紙に戻して欲しいといってきたのだ。
さもあらん。
俺だって自分の娘が婚約者に虐められてると知ったら同じ事を言うだろう。
先代のザイン侯爵だっていくら「青き血の責務」とはいえ可愛い孫娘をそんな環境に置きたくは無いだろう。
当然王家はザイン侯爵家のゴタゴタを知っている。
そこで献策した。
俺とゾーエ嬢との婚約を。
将来、超有能になることがわかっているゾーエ嬢を俺の婚約者にするのは有効な手のはず。
商人に駆け引きがあるように貴族にも駆け引きは存在する。
ましてや今は戦国乱世。
商人に物資の買い漁りは出来ても戦となるとそう簡単にはできない。
きっと重大な失策をやらかす。
その時に今のザイン侯爵家を仕切る豪商一派を一掃して風通しを良くすれば良い。
その時には現当主殿にも隠居してもらう計画だ。
とりあえずザイン侯爵家の現当主は疎ましかった先妻の娘が厄介払いできるのであれば誰と婚約しようがかまわないとの言質を取っている。
誓約書も交わした。
王家としても「当人が良いと言えば・・・」と言うことで早速ゾーエ嬢と会う予定を組んでもらった。
今日はそのゾーエ嬢との面談の日なのだ。
そしてこういう日に限って長兄イフェリウスが信じられない事をやらかしすんだよ!!
最初は軽い気持ちで不可視の魔法をかけてゾーエ嬢を物陰からこっそり見るつもりだったのだが控え室近くまでいくと罵りの言葉が聞こえてくる。
もちろん聞き覚えがある。
長兄イフェリウスの声だ。
「こんな所で何をしている!」とか「ザインの血筋以外お前には何も無いくせに!」とか「俺に相応しいのは色気のある大人の女だ! お前みたいな背丈が高いだけのお子様なんか死んでも御免だ!」等々、色々と聞くに堪えない罵倒がイヤでも耳に入ってくる。
・・・ゾーエ嬢の性格が歪んだのってひょっとしなくてもイフェリウスのせいじゃないか?
白馬の王子様なんて柄じゃ無いんだが俺の婚約者を貶すイフェリウスにはお仕置きしてもいいよな?
部屋に入ると大粒の涙をこぼしながら女の子座りで泣いている可憐な少女と嗜虐的な気色の悪い笑顔を浮かべて罵倒の言葉を吐き続ける少々背丈が足りない少年がいる。
言わずもがな。
ゾーエ嬢とイフェリウスである。
イフェリウスの嗜虐的な笑い顔は見ていて吐き気がする。
不可視の魔法を解除しながら部屋に入り二人の間に割って入るとイフェリウスは驚いて数歩後ろに下がる。
ゾーエ嬢は罵倒の言葉が止んだんを訝しみ泣きはらした顔を上げる。
目が真っ赤に腫れ上がっている。
未だに涙がポロポロこぼれている。
頬にソッと手を添えてハンカチを渡す。
そして頭を撫でてやる。
もう、大丈夫だからな。
そんな俺の行動にカチンときたのかイフェリウスが噛み付いてくる。
「おい! 貴様何をしている! それは俺のオモチャだぞ!」
この一言にフツフツと怒りが湧き上がってくる。
俺の纏っている雰囲気が変わったのを察したのかイフェリウスが更に後退する。
ギロリと睨んでやると気色の悪い嗜虐的な笑い顔はなりを潜める。
そして低い声でつぶやいてやる。
「自分のやっていることが絶対に正しいと思うんだったら俺の頭越しに罵ってみろ。俺は自分のやっていることが正しいと思うからそんなことをされたらお前の顔に拳を打ち込んでやる」
俺が本気だということが伝わったのかイフェリウスの顔が恐怖で引きつり始める。
それでも退出しないのは意地か誇りか・・・。
何かを言いたいのか何度も口を閉じたり開いたりしている。
そして意を決し視線を逸らしながらも呟くように話し始める。
「それは俺の婚約者だ。俺の物を俺がどう使おうが俺の勝手だろ・・・」
人を物扱いかよ!
この言葉に俺は一歩イフェリウスに近づいて言ってやる。
「ゾーエ嬢に被虐趣味があるとでも思っているのか? こんな素敵な淑女にしていい仕打ちだとでも本気で思っているのか? だとしたお前の方が病気だよ。お前の方がゾーエ嬢に相応しくない。身の程を知れ」
ゾーエ嬢の前で仁王立ちしている俺に向かってイフェリウスは怒りに顔を染めるが殺気を込めて睨んでやるとと途端に情けない顔をして部屋を出て行こうとする。
その後ろ姿に一言言ってやる。
「ゾーエ嬢に謝罪の言葉が無いぞ」
後ろ姿で表情はわからないが心情は手に取るようにわかる。
自尊心が高いイフェリウスの事だ。
怒り心頭でも殺気を孕んだ俺の視線が怖くて振り返ることが出来ないでいるのだ。
振り向きもせずに捨て台詞とともに部屋を出て行く。
「お子様にはお子様がお似合いだ! そんな背がデカいだけの大女なんか要らない! 俺に相応しい婚約者は別にいる! もっと大人の淑女こそ俺に相応しい! そんな奴お前にくれてやる!」
・・・ゾーエ嬢の名誉のために言うが彼女は決して大女では無い。
確かに同じ世代の女性としては頭一つ高いが十分標準の範囲のはずだ。
そのゾーエ嬢はというとキツく目を瞑り耳を塞いで震えている。
そんな幼い少女を抱きしめてやりながら周囲に遮音の魔法をかける。
「もう、泣いていいぞ?」
途端にゾーエ嬢は号泣し始めた。
俺付きの侍女であるマリアさんが様子を見に来たが俺が視線だけで「大丈夫だ」と伝えると黙礼して退出してくれた。
ゾーエ嬢は泣き疲れてソファーで寝ている。
・・・やれやれ、もうしばらく抱き枕のままでいますか・・・。