幕間 ゾーエの婚約
お母様は厳しい人でした。
ですが、それと同じぐらい愛してくれたした。
笑顔で私をいつも抱きしめてくれました。
それなのに病気であっという間に死んでしまったのです。
残された家族はお父様とお祖父様だけ。
お母様が死んだときは泣き暮らしましたが侍女たちの励ましで頑張れました。
そうして周りが変わっていこうとする中でお父様の変わりようがおかしかったのです。
まるでお母様の死を喜んでいるような感じがしました。
私達に仕えてくれる家臣達に大声で暴言を吐くようになったのです。
見知らぬ者が家臣として仕えるようになってきました。
見知った者達がいなくなっていきました。
そのことをお父様に聞くと恐ろしい顔で睨まれる。
そんなときは決まって「ドンドンあいつに似てくる!! 忌々しい!!」と言われ
遠ざけられました。
お父様に認められたくて教養や礼儀作法など、淑女として学ばねばならないことを身につけようと頑張れば頑張るほど嫌われました。
母が亡くなってから家の中が別世界のように変わってしまった・・・。
ある日突然、家にやって来た女性が家の中を取り仕切るようになりました。
この女性が新しい母だと聞かせられたときは目眩がした。
派手な衣装に厚化粧。
横柄な態度。
とてもザイン侯爵家に相応しいとは子供ながらに思えませんでした。
お父様に考え直すように訴えたところ頬を思いっきり叩かれました。
そして聞くに堪えない暴言を浴びせられ部屋を追い出されたのです。
このままではいけない。
お母様が愛してくれた日々の記憶がこもったこの館を、ザイン侯爵家の誇りを守らなければ!
そしてすぐにお祖父様に連絡を取りました。
虚しい結末が待っていました。
後手に回ったらしくお祖父様でも、もうどうにもならない状況に追い込まれていると教えられたのです。
新しい継母の生家は豪商ですでに各方面に根回しをしていたのです。
忠義の篤い者は遠方に追いやられたり・・・。
とにかくザイン侯爵家から家臣達は離散させられていました。
それでも少なくない者達がお祖父様の元に集まってくれています。
そして今日はお母様との思い出が詰まった邸宅から離れねばならない日です。
「このままあそこに留まると良くないことが起こるから」
お祖父様は言葉を濁してらっしゃいましたが継母とお父様の息のかかった者達に暗殺されるということだと理解はしていました。
生まれて間もない異母兄弟達はすでに有力貴族と婚約関係を結んだと聞かされています。
豪商の金で有力貴族達の後ろ盾を手に入れたと言うことです。
ザイン侯爵家は乗っ取られたのです。
悔しい日々、虚しい日々を過ごしているとお祖父様から婚約話があると言われました。
相手はこのロマリア王国の第一王子。
受けるか受けないかを聞かれましたがこれは受けねばならないと理解してしまいました。
この婚約でザイン侯爵家のお祖父様の派閥の権力を大きくしようというのでしょう。
今は戦国時代。
恋愛で結ばれることなど出来ないと理解はしています。
ならばこの婚約を本物の恋愛にしてみせましょう。
ですが私はこの後に自分の身に降りかかる災難を知りませんでした。
ロマリア王国第一王位継承者、イフェリウス=ケド=ロマリア。
私と同じ七歳。
私よりも頭二つ低く、金の髪を肩まで伸ばされた方。
立ち居振る舞いに粗野な部分が見られました。
視線に侮蔑の色合いが見て取れました。
初めてお目にかかるのに嫌悪感しか感じられません。
ですがそれを表に出すわけにもいかず内に飲み込みました。
そして二人で庭園に向かったところイフェリウス様はすぐに正体をさらしたのです。
イフェリウス様が振り向きざまに暴言を吐き始めたのです。
「おい、大女」
「お前みたいな背が高いだけの大女なんか俺に相応しくない」
「どうして俺の婚約者が背が高いだけのお子様なんだ」
「ザインの血筋しか取り柄のない大女なんか要らない」
どれほどの時間罵られたのかわかりませんが気付いたときには一人庭園で泣き崩れておりました。
将来、王妃としての教養や礼儀作法、貴族間の相関関係を把握するため今まで以上に稽古に努めました。
登城すればイフェリウス様からの罵倒の嵐。
心身共に憔悴していく私の変化をとうとうお祖父様に知られてしまったのです。
現状を知ったお祖父様は涙目になりながら私を抱きしめてくれました。
ただ「すまない、すまない」と謝り続けたのです。
お母様との日々を過ごしたザイン邸宅を、豪商一派に乗っ取られたザイン侯爵家を取り戻すためなら頑張れると思っていましたがどうやらここが私の限界のようです・・・。
急遽、登城することになりました。
馬車の中でお祖父様から驚くことを聞かされました。
イフェリウス様との婚約を白紙に戻し、ロマリア王国第三王子であるフレデリック様と婚約をすると。
それもフレデリック様からの申し出であると。
私はフレデリック様とは面識はありませんが話ぐらいなら聞き及んでいます。
大人ですら敵わぬほどの武芸の達人である。
宰相の信任篤く仕事の一部を手伝っている。
ロマリア王国史上類を見ぬ麒麟児。
それほどの神童がなぜ私を知っているのかわかりません。
思い出の邸宅とザイン侯爵家を取り戻す夢破れた私に幻滅されないように気を引き締めてお目にかかりましょう。
宛がわれた部屋で控えていると扉が乱暴に開け放たれました。
そこにいたのは今、最も会いたくないイフェリウス様でした。
私を見た瞬間に気持ちの悪い笑みを浮かべて一歩一歩近づいてきます。
体は強張り血の気が引いていくのが自分でもわかりました。
そして罵りの言葉が矢の雨のごとく降り注いできたのです。
どれほどキツく目を瞑ってもイフェリウス様の気持ちの悪い笑みが浮かんでしまう。
耳を手で覆い隠しても耳朶の奥底まで罵りの声が響く。
まるで呪いのようだ・・・。
いつものように始まった呪詛のような罵倒が突然止みました。
なけなしの勇気を振り絞って目を開けてみると一人の男の子がいました。
イフェリウス様と私の間に割って入るように立っています。
私の方を向くと頬をソッと撫で、ハンカチを渡されました。
受け取るとその手で頭を優しく撫でられ声をかけられたのです。
「もう、大丈夫だからな」
向けられる優しい微笑みは次の瞬間険しい顔に変わりました。
「おい! 貴様何をしている! それは俺のオモチャだぞ!」
今度は優しい微笑みではなく小さいけども逞しい背中が向けられました。
安心した瞬間涙がポロポロこぼれてきます。
私はイフェリウス様が恐くて仕方が無いのです。
例え守ってくれる背があっても恐くて仕方がありません。
姿が在るだけで、声が聞こえるだけで震えが止まらなくなるのです。
キツく目を瞑り耳を塞いでいる私を優しく抱きしめる人がいます。
耳元で「もう、泣いていいぞ?」と言われた瞬間声を上げて大泣きしました。
・・・どうやら私は泣き疲れて眠ってしまったようです。
それも私を助けてくれた男の子に抱きつくような形で。
なんとはしたないまねでしょう!
淑女にあるまじき行為です。
そして気づいてしまいます。
すでに夕刻であるということに。
フレデリック様との面談を壊してしまったということに。
そのことで青ざめると男の子が自己紹介をしてくれました。
なんとフレデリック様本人だと!
今日の所はイフェリウス様の横やりが入ったということで日を改めてお会いしようということになったと説明をされました。
陛下や王妃、お祖父様も承諾済みということで一安心です。
その後フレデリック様のエスコートで馬車まで案内されました。
お祖父様は馬車にすでにお乗りになっておいででした。
私、フレデリック様と、あんな素敵な殿方と婚約するの?
していいの?
再度お目にかかる日になりました。
この日が来るのを本当に楽しみにしていました。
そんな朝に先触れの使者が来ました。
何でもイフェリウス様がまた何かしないようにフレデリック様が直々に迎えに来てくれるというのです。
この話を聞いた途端心臓が早鐘を打つように脈動し始めました。
嬉しい。
私はこの気持ちでいっぱいになったのです。
まだ時間は十分あるというのに急いで支度をしてしまいました。
そしてフレデリック様がきてくれました。
落ち着いた色合いの服装を着て私を見て微笑んでくれました。
ただそれだけなのに顔が熱くなります。
イフェリウス様と同じ金髪碧眼なのにどうしてこうも違うのでしょう。
武人としての凜とした気配が貴公子としての風格を高めているように感じます。
顔の造形も整っている部類です。
このままいけば将来は女性が放っておかない美男子になることでしょう。
それに比べてイフェリウス様は・・・。
いえ、もう忘れましょう。
私はフレデリック様の婚約者としての道を歩みます。
ドレスや装飾品を含め一通り誉められました。
「金の髪飾り、素敵ですね。ゾーエ嬢の美しい黒髪がより一層映えるように仕立てられていて素晴らしい」
「正直、無難な色合いの服を選んだのですがゾーエ嬢の服が映えるようになって嬉しいです」
「ゾーエ嬢の笑顔は素敵ですね。その笑顔を独占したくなります」
等々、誉められっぱなしです。
父に疎まれつづけ、イフェリウス様に罵られつづけられた私は幸せになっていいのでしょうか?
フレデリック様は庭園での散策はしてくれませんでした。
代わりにたくさんのお話をしてくれました。
いくつも、いくつも、いくつも。
どの話も悪者がやっつけられ最後には皆が幸せになるお話でした。
他にも魔法ではないのに魔法のような事が出来るテジナと言うものを見せて貰いました。
それも魔力を使わないので誰でも出来るという奇跡のようなものでした。
ですが楽しい時間というものはあっという間に過ぎるもの。
フレデリック様付きの侍女の方が昼食の準備が出来たことを伝えに来てくれました。
この昼食が終わりしばし歓談した後この婚約をどうするかを決めることになります。
私はフレデリック様の婚約者になりたい。
昼食が終わり歓談後の運命の時間がやって来ました。
そしてフレデリック様は開口一番おっしゃったのです。
「ゾーエ嬢と是非婚約したい」
後で聞いた話ですがフレデリック様は非常に欲が薄い方だと。
にもかかわらずこれほど私を婚約者として所望されています。
だからこそ陛下も王妃も驚かれたのですね・・・。
お祖父様はフレデリック様との婚約に賛成されておりました。
お父様は私に関してはどうでもいいらしく婚約者がイフェリウス様からフレデリック様に変わっても何も興味を示さなかったとのこと。
つまり後は私の気持ち次第。
恥ずかしいですけど勇気を持って告げましょう。
「フレデリック様がお相手なら是非に・・・」
帰り際にフレデリック様から花束を渡されました。
その花の花言葉は「結婚に誓う永遠の愛」。
これほど想われているとは知りませんでした!
私、幸せすぎて死んでしまいます!
家に帰るとお祖父様が今回の婚約の裏話を暴露してくれました。
お祖父様は陛下の右腕として戦で辣腕を振るったこと。
その縁で私をイフェリウス様の婚約者に押したこと。
そのイフェリウス様は王としても、貴族としても、男としても評価に値しないということ。
そこで陛下は麒麟児と名高い三男フレデリック様に白羽の矢を立てられました。
フレデリック様は見事にそれに応えたのです。
フレデリック様と私が婚約する。
話が確かならば将来フレデリック様は公爵として王家の武の面を支えるために分家するとのこと。
そうすれば私は公爵夫人になる。
これによりザイン侯爵家と対等に渡り合える。
更に付け加えるならば今、ザイン侯爵家を取り仕切る豪商一派はいずれ大失態をしでかすだろうとのこと。
よほどの才覚が無い限り、豪商とは言え一介の商人の駆け引きが貴族や戦争、ありとあらゆる事に通用するわけがないとフレデリック様はおっしゃったとの事。
「豪商一派はこの戦国乱世において物資の買い漁りで富むことは出来ても戦争には参加せずに日和見を決め込み有利な方に取り入ろうとするでしょう。例えば神聖帝国による大軍が攻め込んできたら今のザイン侯爵家は必ず神聖帝国に付きます。その時、我々ロマリアが勝利を収めれば故国存亡の時に日和見をしたことを理由に豪商一派を排除すればいいのです」
これがフレデリック様の策だそうです。
その為にすでに準備は始まっているとのこと。
一軍を預かる軍師として策動しているそうです。
「お祖父様、お願いがあります」
今の私ではフレデリック様の足手まといにしかなりません。
フレデリック様の助けになるような淑女を目指さねばなりません。
習い事の内容に政治や経済なども含めて貰いましょう。
フレデリック様が成人して結婚するまで後十五年しかありません。
フレデリック様、この十五年で私は貴方に相応しい淑女になってみせます。




