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八話 魔女の心、青年の心

 トニーとセフィは、宿の狭い机で肩を寄せ合いながらアルファベットの書き取りから始めていた。

 

「うーん、羽根ペンて使いにくいのね……。なんだかミミズが這ったような文字になっちゃう」

「おれなんてインクが染みたりかすれたり、うまくペンが使えないよ」


 ほとんど初めてペンを手に取る二人である。文字を書く以前にペンになれるところから始めなければならなかった。レオンはそんな二人の様子を、在りし日の自分に重ねて懐かしい気持ちになる。


「大丈夫。僕も最初は羽根ペンがうまく使えなくて苦労したよ。最近では金属でできたペンも作られ始めてるらしいから、トニー君が大きくなるころにはもっと使いやすいものが出回るんじゃないかな」

「へー、そんな便利なものがあるんだ。レオンは物知りなんだな!」


 先ほどまでの警戒はどこへやら。

 トニーはすっかりレオンの話に聞き入っていた。一方のセフィは、植物からこんな紙が出来上がるのを不思議に思いながらゆっくり書き取りを進めていた。


(人間てすごい。魔女の力がなくても、もうこんなものを作り出せるのね)


 レオンとトニーの話では、この羽根ペンだって金属で作れるらしい。それなら、人間はもう魔女の力を必要としないのでは? 魔女の力を求めたことが過去の魔女狩りの原因だったという。もしかしたら今なら、人間と魔女は仲良く生きていけるかもしれない。


「さて、今日はここまでだ」


 気づけば夕暮れになっていた。そろそろ帰らなければ、いくら小さく平和な町とはいえ危険である。


「うわ、早く帰らないと晩御飯が無くなっちゃうからおれ先帰るね!」

「トニー気を付けて帰ってね」


 トニーは慌てて宿の部屋を出ようとする。レオンもトニーを心配して声をかける。


「トニー君、家まで送っていくよ?」

「おれんち近いから大丈夫! 明日もセフィに色々教えるんだよね! おまえがセフィに悪さしないように、おれも一緒にいることにしたから!」


 だからまた明日ー!

 と叫んで、トニーは風のようにかえっていった。


「子供は風の子とはよく言うけれど、トニー君はまさしくその通りだね……」

「トニーはこの町でもうんと元気なんです。いつも笑顔で、子供たちの輪の真ん中にいるような子で」


 セフィはまるでトニーのお姉さんであるかのように誇らしげに話す。レオンはその様子から、セフィとトニーの絆の深さを知る。そしてほんの少しだけ羨ましくなった。


「さて、セフィも森まで送っていくよ」

「私こそ大丈夫ですよ?」


 それはあの魔女がセフィを守っているから?

 レオンはそう口をついてしまいそうだったが、いくら宿の中とはいえうかつに魔女のことを話題にするわけにはいかない。本当はもう少し魔女について知りたいこともあったが、あの魔女はきっとどこかで自分を監視しているのだろう。迂闊なことはできない。


「いくらなんでも、女の子を一人で帰すわけにはいかないよ」


 それでも、少しでも情報を集めなければ。

 レオンは優しく微笑みを張り付けながら、冷静な頭の奥では計算を巡らせていた。


 二人はゆっくりと森へと歩き出す。少し歩けば、町から外れて家もほとんどない。


「セフィは、ずっとあの森に住んでいるの?」

「はい。私は物心ついたころからあの森にいて、そばにはずっとディアナがいてくれたんです」


 だから、寂しいことも辛いこともなかった。

 レオンが優しく耳を傾けてくれたからか、セフィは自然と自分たちのことを話したいと思ってしまった。

 幼い自分に合わせていつも遊んでくれたことや、嵐の日にはいつも抱きしめて眠ってくれたこと、ディアナが怖い顔で怒るときは、いつだって自分を心配してくれること――。


「セフィにとって、ディアナさんは大切な人なんだね」

「大切な、家族です。ディアナが私を守ってくれたように、私もディアナを守りたいと思います」


 セフィは初めて、家族のこと――ディアナのことを言葉にした。レオンもただ優しくうなずいてくれる。


 ――ああ、大切な気持ちを誰かと分かち合うと、こんなにも暖かな気持ちになるのね。


 胸に広がる暖かな思いに、セフィは殊更人間が羨ましく思えた。

 もしも、人間と魔女が善き隣人として生きていくことができたなら……。


「レオンさん、もうここまでで大丈夫です。ありがとうございました」


 気づけば、惑いの森の入り口までついていた。


「明日もおばあさんのところへ行くんだよね?」

「はい。レオンさんは……」

「ぼくもおばあさんのところへ行くよ。それが終わったら、また一緒に勉強しよう」


 そういって、セフィとレオンは別れてそれぞれ帰路につく。



 それからは、セフィとレオンは一緒におばあちゃんのお世話をした後に、トニーも加わって勉強をするという日々が続いた。時々町の人もやってきて、あの偏屈親父はセフィに料理を教えつつレオンをこき使ったり、女将さんがやってきたときはみんなでお茶を飲んで笑いあった。パン屋のニックおじさんはトニーを連れて、出来立ての柔らかいパンを持ってきてくれた。食べ物が飲み込みにくくなったおばあちゃんでも食べやすいと、いつもより食が進んでいた。


 気づけば、トニーを通じて子供たちとも距離が近づいていた。最初は算術の勉強をするときに、レオンが公園で小石を使ったほうがわかりやすいと外で勉強したのが始まりだった。町の子供たちはレオンに近づいてはいけないと大人たちから言われていたけれど、トニーとセフィがそばにいるではないか。しかも仲良さそうにしているとあれば、気になった子供たちは少しずつ近づいて行った。

 そして、いつの間にやらレオンは町の子供たちの先生になっていたのだった。



「セフィは呑み込みが早いね。これでは、もう教えることがなくなってしまいそうだよ」

「それはきっと、レオン先生の教え方が上手なせいね」


 セフィとレオンが交流を持つようになってもうすぐ一月が経とうとしている。時間の流れは、二人の間にあった壁を押し流してしまったようで、他人行儀な言葉遣いもなく親密な雰囲気を纏うようになった。


 レオンは律儀に毎日セフィを惑いの森の入り口まで送っていった。

 セフィは本当にいい子で、ディアナのこと、町の人のこと、惑いの森のこと。どれだけ素晴らしくて愛おしいか、笑顔で語ってくれる。それはこの世界が本当にきれいで美しいものだけが存在しているかのようで、きっとセフィの狭い世界はキラキラと愛しいもので溢れているのだとわかる。

 レオンにはそれがまぶしくてたまらなかった。自分の世界はもっと暗くて冷たくて。だからこそ、ただ一つの光を、はかなく消えそうな光を諦めることができないでいる。


 ――今日もまた、すぐに森までたどり着いてしまったな。


「じゃあね、レオン。また明日!」

「また明日。セフィ」


 最初は、少しでも魔女のことや薬のことが知れればと思っていたのに。セフィがあんまりきれいに笑うから、いつしかそんなことは二の次になっていた。

 早く薬を得て帰らなければと逸る心と、もう少しセフィの笑顔を見ていたいと望む心が、同じレオンの中にいる。けれど、自分には、シャーロット様には時間がないのだと自分の中の心と向き合うことなく住み慣れつつある宿へと帰る。



 一方でセフィも、惑いの森を進んでディアナの待つ小屋へ帰り道を急ぐ。

 心臓がこんなにも早鐘を打つのは、そう、急いで走っているから。そうに決まってる。

 どんなに思い込もうとしても、セフィの心の中にはレオンの優しい笑顔がある。勉強を教えてくれる知的なまなざしも、おばあちゃんの家で薪割をする逞しい姿も、どうして簡単に思い浮かべられるのだろう。

 これは決して抱いてはいけない気持ちだとセフィは気づいている。そして、もし万が一ディアナに知られたら、もう二度と町へは行かせてもらえないだろう。


 だからこんな思いは振り切るように、セフィは惑いの森を走り抜けていった。

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