七話 魔女の人間ごっこ
次の日、セフィが籠に花を携えて町へ行くと、レオンは約束通り待っていた。
「おはよう、ございます」
「おはよう、セフィ」
レオンは穏やかな笑みでセフィを迎える。
昨晩は、衝撃的な事実を知った。この町の近くに魔女が住んでいたこと、魔女に育てられた人間がいたこと。そして、人間の娘を通じて、魔女がこの町に恩恵をもたらしていたこと。
「あの人は、セフィに生きる術を教えてほしいって言ってたけど、具体的には何をしたらいいのかな?」
レオンはさっそく本題に入った。ディアナが告げた対価を支払わなければ彼の望むものは手に入れられないのだから当然だろう。
昨晩のうちにディアナと話し合い、セフィは人間のふりをすることにした。現状から逸脱しすぎないように設定も少し考えたのだから、これからはぼろが出ないように気を張らなければならない。
「私には、植物の知識と、少額の金銭の計算くらいしかできません。あ、家事は一通りできますけど……。ずっとディアナと二人暮らしだったので、それ以外にどのような知識が必要なのかもわかりません。」
「そうだったんだね、そうだな、文字の読み書きや算術はできる?」
「いえ、文字はほとんど読めません。算術も、それこそお釣りの計算くらいしか」
「じゃあ、まずは読み書きと算術だ。これができれば、手に職をつけることもできる」
なるほど、読み書きと算術が人間社会では大事なのね。
セフィは一つ人間への理解を深めた気がした。
「今日は、先におばあちゃんのところへ行きたいです」
「昨日のおばあさんのところだよね。もちろんいいよ」
セフィとレオンは並んで町はずれの老婆の家へと向かう。
レオンは聞き上手で、セフィは会話がこんなに楽しいものだと初めて感じた。おばあちゃんにお菓子を焼いてもらったこと、困っていた時に助けてくれたこと。ディアナに話しても怒られるばかりだったけど、レオンは嫌な顔せずニコニコと聞いてくれる。
話に夢中になっていたら、あっという間におばあちゃんの家へと到着した。
「おばあちゃん?セフィだよ」
「おやセフィ、いらっしゃい。昨日の彼も一緒なんだね」
「すみません、お邪魔します」
今日も、おばあちゃんは笑っていた。暖かな手は昨日よりまた少し小さくなった気がする。
レオンが簡単な食事を作るというので、セフィは花を飾り、老婆の身体を綺麗に拭いた。こういう時、人間は不便だなと感じる。魔女は体が動かなくなっても、司るモノが最期まで自分の世話をしてくれるのが普通だから、独りでも何の問題もない。
「ありがとうね、セフィ。本当にお前には迷惑をかけて……」
「ううん。いいのよ。私が困ってくれた時、おばあちゃんだって助けてくれたでしょう?おんなじだよ」
魔女は、受けた対価の分のものしか返せない。だけど、セフィは心からこの老婆に尽くしたいと思っていた。だから、魔女としての力は対価に見合ったものしか使っていないけど、力に頼らない部分で、できる限りのことをしたかった。
大樹のような暖かな手が、セフィの頭を優しくなでる。
「セフィ、お前は不思議な子だ。お前の顔を見るだけで、お前が持ってきた花を感じるだけで、雄大な森に守られているような安心感がある」
その言葉に、セフィはどきりとする。死期が近いから、感覚が鋭敏になっているのだろうか?
セフィが魔女であることは気づいていない様子だったが。
「それに、優しい子だ。ほんの数年過ごしただけだが、私はお前が孫のように愛おしい」
「おばあちゃん……」
これは、なんなのだろう。
セフィの心の中に、何かが萌芽した。
「ごはん、できましたよ」
「ああ、ありがとう」
レオンが昼食を運んできたので、セフィはゆっくりとおばあちゃんへ食べさせる。その間、レオンはセフィでは行き届いていなかった棚の上を掃除したりと甲斐甲斐しく手伝いをしていた。食事が終わっても御不浄を手伝ったり、水差しを近くに置いたりとできる限りのことをして二人は老婆の家を後にする。また明日来る約束も忘れない。
日はすでに傾きかけ、心地よい疲労感が二人を包んでいた。
「セフィ、これから何も予定がなければ文字を教えようと思けど、どうかな?」
「いいの? 疲れてませんか?」
「俺は大丈夫。じゃあ、町まで行こうか」
帰り道は、来る時よりも少しゆっくりだった。道端の花はこの季節にしか咲かないとか、あの木の根は薬草になるとか、そんな当たり障りのない会話をした気がする。
町へ着くと、レオンは紙とペンを取ってくるといって、宿に入っていった。セフィは仕方がないので、宿の前で待っていることにした。
「あ、セフィ!」
大きな声でこちらに駆け寄ってきたのは、この間まで熱を出していたトニー坊やだ。
「トニー! もう元気になったの?」
「もうとっくに元気だよ! セフィの薬を飲んだらすぐに治ったんだ。ありがとう!」
「ううん。元気になったならよかった」
「そんなことより、最近セフィが遊びに来てくれないからつまんないよ!」
そういってむくれるトニーはかわいかった。宥めるように頭をなでると「子ども扱いしないでよ!」と抗議の声が上がる。それがまたかわいくて、くすくすと笑ってしまった。
「セフィ、お待たせ」
紙とペンを携えたレオンが戻ってきたのだ。トニーはレオンを見るとすぐに警戒心を露わにした。
「おまえ! 知ってるぞ!」
「え?」
幼い少年に指をさされ怒られるが、当然レオンにそのようなことをされる心当たりなどない。
「セフィ、こいつと一緒にいちゃだめだ! なんか企んでるにきまってる!」
「トニー、どうしたの? ごめんなさい、普段はこんなことする子じゃないんです」
「だってこいつ、ずっとセフィのこと探し回ってたんだ! おいよそ者! セフィに近寄ろうたってそうはいかないんだからな!!」
トニーはまるでセフィを守る騎士のようにレオンの前に立ちはだかる。
小さくも勇敢な騎士を目の前に、レオンは眩しいものを見る気持ちで少年を見つめた。小さな騎士の目には揺るぎない「守る」という意思が込められていた。自分も、かつては……。
「トニー、ありがとう。でも大丈夫なんだよ。さっきまで、町はずれのおばあちゃんのとこに一緒に行ってたけど、何ともなかったよ?」
「でも、こいつ2週間以上もセフィを探し回ってたって父さんたち言ってた! 絶対裏があるにきまってる!だからセフィはこいつと一緒にいちゃだめだ!」
確かに、少年が言っていることは正しい。レオンは裏、とまではいかないが薬をもらうという目的をもってセフィに近づいたのは事実だ。とはいえ、セフィに危害を加えるつもりは毛頭ないのだが、自分はそんな極悪人に見えるのだろうか。それとも、セフィはそこまで庇護されるべきか弱い乙女なのだろうか。
「じゃあ、君も一緒に来るかい?」
その提案に、トニー少年は一瞬きょとんとしたが、すぐに使命感を思い出して強くうなずいた。
か弱い乙女と小さな騎士は、レオンの宿へと招待された。