表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/10

六話 魔女と約束

 彼は一晩、難解な森の中を進んでいた。獣道一つない深い森。


(あの子はどこにいるんだろう……。)


 どこにでもいるような淡い金色の髪なのに、それとは対照的な深い緑の瞳がとても印象的な女の子だった。

 あの子はもしかしたら、あの方を助けることができるかもしれない。やっと見つけた希望の欠片なのだ、こんなところで失うわけにはいかない。

 その執念で、この森を一晩歩き続ける。それにしても、この森は普通じゃない。進むうちに、どんどん森の雰囲気が変わっていくのだ。正直、今引き返しても無事に町へ戻れる気はしていない。ここまで深い森だとは思いもしなかったが、セフィを助けることができないのなら、町へ戻れたとしても意味はないのだから別に構いはしない。


 そして、「彼女」は唐突に現れた。


 森の先に、少し開けた場所が見えたときだった。自分の目の前に、人間ではありえない青い髪の少女が現れる。髪の色以外、姿かたちはそっくり自分と同じ人間なのに、一目で少女は人間ではないと分かる。

 少女は髪よりも深い青い目を細めて、口を開く。


「なぜこの森に立ち入ったのかしら?早々に立ち去りなさい。」


 まるでこの国の王族のように、威圧的な態度で告げる。口答えをするのも恐ろしい畏怖を感じるのは、少女が人外のものだからだろうか。けれどレオンは、意を決して尋ねる。


「分かりました。ですが、私は女の子を探してこの森に入りました。彼女が見つかったらすぐに立ち去ります。」


 少女は、不敵に笑っていた。


「ならないわ、今すぐ立ち去りなさい。これが最後の忠告よ――――立ち去れ。」


 レオンはたったの一言で、体が恐怖に支配された。声を出すこともできなかったが、ここで引くわけにもいかない。首を横に振るので精一杯だった。

 少女――ディアナはその仕草を確認すると、仕方ないわね、とつぶやく。


「ならば、ここで死になさい。」


 ひどく冷たい声だった。

 ディアナは右手を前へ出すと、どこから現れたのか、水がレオンの顔めがけて飛び出てくる。レオンはとっさに腕で庇うが、すぐに意味のない行動だと気付く。

 ディアナの放った水は、重力など関係ないかのように、球状になってレオンの顔を覆う。口も鼻も覆われて、息ができない。慌てて身体を捩って逃れようとするが、振り切れる気配もない。手で水を払おうとしても、すり抜けるだけ。しばらく暴れたが、ただ無駄に酸素を消費するだけだった。


 そしてレオンは、とうとう膝から崩れ落ちる。呼吸ができず、全身から力が抜けていく。それでも苦しくてもがいていたが、目の前の青い少女の姿さえ霞んできた。


 死にたくない、死ぬわけにはいかないんだ。俺は、シャーロッテ様を…………!

 

 死の淵に立たされたからだろうか、不意に頭をよぎる。

 人ならざる者、人に持ち得ぬ、その力を持つ者は。


(この女、まさか、魔女……?)


 しかし、すでにその真偽を確かめる術はレオンにない。意識を保つので精一杯で、もう指先一つ動かせやしない。

 その向かいで、ディアナは地に這いつくばる人間の男を見下ろしてていた。

 これで、良かったのだと。セフィは、守ることができる。







「――――やめてええええええ!!」


 森をつんざく絶叫が響いたのは、レオンが絶命する直前だった。

 ディアナが驚き振り返ると、そこには言いつけ通り町娘の格好をして、肩で息をするセフィがいた。


「セフィ、どうして……!?」


 突然現れたセフィに、ディアナは驚き戸惑う。その間に木の根がレオンの顔を覆う水へと伸び、あっという間に吸い尽くしてしまう。


「う、はっ、はぁ……。」


 すでに視界がブラックアウトしていたレオンには、何が起きたのか分からない。しかし、突然取り込むことができるようになった空気を、胸いっぱい吸い込む。そして呼吸が落ち着いてくると、目の前に探していた女の子の姿を見つける。


「けほっ、けほ。……ああ、セフィ、無事だったんですね。よかった。」


 レオンは咳き込みながら笑うと、身体を起こす。少しふらつくものの、土埃を払って立ち上がった。

 ディアナは戸惑う。言いつけを破って、セフィは人間の前に姿を現してしまった。先ほどの攻撃でほとんど使ってしまい、手持ちの水は少ない。この森はセフィの領域だ。同じように目の前の人間を殺そうとしても、間違いなくセフィに防がれる。


 私はともかく、セフィまで魔女と知られるわけにはいかない。

 ディアナは、一つ決意をする。


「人間、お前は何のためにセフィを追った。」

「彼女の作る薬が、私の大切な人を助けることができるかもしれないのです。セフィには断られてしまいましたが、何かヒントでも得られないかと森まで追ったのです。」


 突然深い霧に包まれて、姿を見失ってしまいましたが。

 そうレオンは続ける。一晩探し続けた淡い金髪の彼女は、魔女と思しき少女の後ろにいた。


「あの霧は、貴方が?」

「あら、なぜそう思うのかしら」

「……魔女。貴女は、魔女様ではありませんか……?」


 魔女。

 それは人ならざる力を持った、人ならざる者。人とは決して交わることはないけれど、人のすぐ近くで生きているという。かつてはとある国の王族を惑わし、国家を一つ滅ぼしたとも言われるが、事実かどうかは分からない。しかし、その力を恐れると同時に利用しようと、大規模な魔女狩りが行われたのは100年ほど前のことらしい。

 今では魔女のことなど人々の記憶からはほとんど忘れられ、おとぎ話の中で語り継がれるか、歴史書の片隅に記されるのみだ。

 レオンも実際に青い髪の少女を見るまでは、魔女の存在など信じてはいなかった。

 けれど、人のようで人でない姿に、何より人では持ちえないその力を見せつけられれば、魔女の存在を信じる他なかった。


 ディアナは自分の正体を言い当てられても、もはや動じることなくそこに立っている。

 一方、ディアナの後ろに隠れるセフィは、びくりと体を震わせる。


(私のせいだ……。)


 私のせいで、ディアナが魔女と知られてしまった。それに、ディアナは人間を殺そうとしていた。――魔女の理に反して。そんなことをしたらどうなるか、ディアナは知っていたはずだ。


「違うの、ディアナは――」

「そう、私は魔女よ」


 セフィの声を遮るように、ディアナは告げる。


「霧を作りだしたのも、森を複雑にしたのも、セフィの薬草を作ったのも、私。」

「…………。」


 レオンは改めて事実を告げられ、どう答えるべきか思案する。


「セフィは昔、赤子ともいえる幼い時からこの森にいたわ。私が拾って、育ててきた。今は町に出て人間と関わるようになって、いずれは独り立ちをしなければならない。」


 突然ディアナから告げられるセフィの身の上話に、レオンは戸惑いを隠せない。しかし、無意味にこのような話をするとは思えない。


「つまり、私にどうしろと。」


 これは魔女から持ち掛けられた取引だと、レオンは察する。


「ふふ、察しが良くて助かるわ。この子が、セフィが人の世界で生きていけるように手伝ってほしいの。」

「それは、私に何のメリットがあると。」

「何かを望むなら、対価がいる。お前は薬が欲しいと言ったわね。お前の働きが望むものの価値と同等になったなら、そのとき薬をあげてもいいわ。」


 思ってもない魔女の申し出に、レオンは一も二もなく引き受けるところだった。ディアナは、ただし、と言葉を続ける。


「私が魔女であるということ、魔女がこの惑いの森に棲んでいること、セフィが魔女と暮らしていること、全て他言無用よ。……そのときは、今度こそ、必ずその息の根を止めてあげる。」

「たとえ貴女が人間でなくとも、約束を守ってくださるのなら私も決して言いふらしたりしません。」

「ええ、信じているわ。」


 ディアナはその少女のような姿とは裏腹に、妖美な笑みを浮かべる。


「まっすぐ町に帰れるようにしてあげるから、今日は戻りなさい。明日、町にセフィを行かせるから。」


 レオンはディアナの後ろにいるセフィに目をやると、彼女は何か言いたげな顔で自分を見つめていた。


「わかりました、今日は帰ります。セフィ、明日は町の入り口で待ってる。」


 そう言ってセフィを安心させるように微笑むと、レオンは大人しく森の中へ引き返していった。

 青年の姿が見えなくなったところで、残された二人の魔女はようやく口を開く。


「セフィ、彼を町に帰してあげてね。」

「う、うん……。」


 セフィは森に念じて、レオンの帰り道を作る。これで、迷うことなく町に帰れるだろう。


「あの、ディアナ、どうして……。」


 彼を殺そうとしたの? 私のこと怒らないの? 私が人と生きれるようにって?

 どうして、の後に聞きたいことがたくさんあって、言葉にならなかった。

 ディアナは戸惑うセフィの様子を見て、やさしく微笑む。


「いいのよ。今回は、きっとこれが最善の手のはず。あの人間との間に約束がある限り、彼は私たちを害そうとはしないはずだし、約束通り彼の望みに見合う対価が得られれば、薬を渡しておさらばできるわ。」


 それにね、私のほうこそ、止めてくれてありがとう。

 言葉にはしなかったが、ディアナはそう思う。

 魔女は理に反すること、人間の命を奪うことは許されない。禁忌を犯した魔女には、世界から罰が下るという。それが一体どのようなものかは分からないが、禁忌を犯してはならないと本能に刷り込まれている。だからこそ、魔女たちは愚直に永遠を生きているのだろう。


「私はね、やっぱり魔女と人間が共に生きるのは無理だと思う。でもね、セフィが私の元から独り立ちしなければならないのも本当よ。セフィのこと、縛りたいわけじゃないの。だから、不本意ではあるけれど、今回はいい機会だと思うわ。」


 帰ろうか。二人の魔女は帰路につく。

 ディアナはセフィの未来に思いを馳せながら。セフィは、ディアナの大きな優しさをかみしめながら。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ