三話 魔女と邂逅
「お願いディアナ、すぐに戻るから、だからちょっとだけ町に行かせて!」
おばあちゃんの花がもう枯れちゃうの!とセフィは必死で訴える。日に日にその必死さは増していき、ディアナは説得が難しくなってきた。レオンという青年が町に滞在して、2週間を過ぎた。つまり、セフィが町に行かなくなって2週間以上ということでもある。
このままじゃ、いずれ飛び出していくわね。セフィの性格上、そう考えたディアナはついに町へ行くことを許可した。
「仕方ないわね。ただし、そのおばあちゃんに花を届けたらすぐに帰ってくること。寄り道はしちゃだめだからね。あと、これを持っていて。」
ディアナは小さな小瓶を渡す。受け取ったセフィは、小瓶を傾けて中の液体を見つめる。
「これは?」
「その瓶の中には、この湖の水が入っているの。何かあったら小瓶を割って。その水を通して、私の力が届くから。」
私はいつも通り、ここから見守ってるから。と、ディアナはセフィを送り出す。セフィはありがとうといって、リボンでまとめた髪を揺らしながら森の道なき道を駆け抜けていく。人間には迷ってしまうような森の中も、森の魔女たる彼女にとっては自分の庭のようなものだ。むき出しの木の根も、垂れ下がった枝も、魔女が通るならばと道を開けてくれる。森に棲む獰猛な獣も、森の主である彼女の僕に過ぎない。
そうして人間ならば抜けることも難しい森をあっという間に抜け、町から少し外れた場所に住んでいるおばあちゃんの元へと向かった。
「おばあちゃん?セフィだよ、入るね。」
小さな一軒家に入ると、ベッドには小さくなった老婆が横たわっていた。
「おばあちゃん、新しい花を持ってきたの。飾ってもいい?」
「いつもありがとうね。セフィが持ってきてくれる花を見ていると、元気が出てくるよ。」
セフィはその言葉を聞いて、いつになく張り切って花を飾っていく。テーブルの上、窓辺、玄関、花が飾れるところはすべて花で埋め尽くした。
(この花を見る人に、元気があふれますように。)
(この花を見る人が、幸せな気持ちになりますように。)
もちろん、一輪一輪に願いを込めることも忘れない。
「おばあちゃん、早く元気になってね。」
応えるようにベッドで笑みを浮かべるおばあちゃんは、もう寿命が近い。セフィはそれを分かってて声をかけた。人間なら、きっとこう言うはずだからだ。薬は持ってこなかった。今おばあちゃんに必要なのは、効かない薬よりも、心を慰める花だから。
おばあちゃんの側に行き、その生きた年月ともいえる皴の刻まれた手を、セフィはそっと握る。本当は自分のほうが長く生きているのに、どうして自分の手には皴一つないのだろう。それが人間と魔女の違いだからこそ、セフィは人間が羨ましいのかもしれない。今は細くなってしまったこの手には、何度も助けてもらった。買い物一つうまくできないセフィに、まるで孫に接するようにやさしく手ほどきしてくれた。花を安く買いたたかれそうになったときも、真っ先に助けてくれたのがおばあちゃんだ。
だからこそ、一人で天寿を全うしようとしているおばあちゃんに、最後まで笑っていてほしい。最後に側にいてあげたい。今日の様子から、あと数か月も持たないだろうことはセフィにはすぐわかった。
(ディアナを説得して、なるべくここに来よう。)
そう思い、入り用なものや不便はないか確認していく。
「大丈夫よ、セフィ。最近、町の人たちが順番に様子を見に来てくれるの。」
こないだなんか食堂の偏屈親父が来てね、無言でご飯を作っていくもんだからびっくりしたのよ。とおばあちゃんは笑う。あの厳ついおじさんが、この小さな家の台所で料理をする姿を想像してセフィも思わず笑ってしまう。
そうやって笑いながら話をしていると、家の戸をたたく音が聞こえる。
「あら、最近いろんな人が来てくれるからうれしいねえ。」
「おばあちゃん、私が出るね。……はい、どちら様ですか?」
セフィはゆっくり扉を開けると、そこには町で見かけたことのない青年がいた。けれど、町の男よりも焼けた肌、シャツから覗く引き締まった筋肉、くすんだ金髪には見覚えがあった。
――――私を探している人だ!
直接は会っていないが、この2週間ディアナの湖を通して見ていた。しかし、実際にあってみると思ったよりは背が高く、体つきもしっかりしている。顔だちも町の男に比べて整っているのではないだろうか。思わず硬直するセフィだったが、固まってしまったのは向こうも同様のようだ。一人暮らしと聞いていた老婆の家に、それも見かけたことのない娘がいたのだから無理もない。しかし、先に口火を切ったのは青年のほうだった。
「あー、えっと。ここに一人暮らしのおばあさんがいると聞いたんですが……。宿屋の女将さんに頼まれて、食事を届けに来ました。」
彼は手に持った荷物を見せ、家に入ってもよいか尋ねる。セフィが思わずどうぞというや否や、家に上がっていく。玄関や窓辺に飾られた可憐な花が気になったが、まずは女将さんの頼みごとを果たすべくテーブルの上に食べ物を並べていく。
「いらっしゃい。女将さんに頼まれてきてくれたのね、ありがとう。ところで君は見かけたことのない顔だけど、名前は何ていうのかしら。」
おばあちゃんは朗らかに笑って、青年へ話しかける。そこで初めて、自己紹介をしていないことに気づいた青年は、老婆に向き直り改めて挨拶をする。
「すみません、失礼をしました。僕はレオンといいます。2週間ほど前から町に滞在しています。」
「あら、旅の人なの?わざわざごめんなさいねえ。」
「いえ、町の人には親切にしていただいてますから。」
レオンは穏やかな雰囲気の老婆に親しみを感じ、自然と笑顔がこぼれる。しかし彼は目的のために尋ねなければならないことがある。ベッドの横には空の籠と娘。自分の考えが正しければ、もしや。
「この家の花はとても美しいですね。なんだか元気が出てくるようです。どうされたのですか?」
セフィはやはり出てきた質問にドキッとする。思わずディアナのところへ帰りたくなったが、ここで家を飛び出すのは、自分が件の花売りだと告げるようなものだ。今のセフィには、お願い、私が持ってきただなんて言わないで!と心の中で懇願するほかない。
しかし、案の定おばあちゃんは話してしまう。
「そうでしょう。その花は今さっき、ここにいるセフィが持ってきてくれたのよ。この子が持ってきてくれる花は本当にきれいでねえ、見ているだけで元気になれるの。」
おばあちゃんはどこか誇らしげにセフィとセフィの花を褒める。そうなんですか、とレオンは笑っているが、セフィにとってはまったく笑える状況ではない。はは、と引き攣った笑いしか出てこない。
(ああ、ディアナ怒ってるだろうなあ……。)
「セフィさんというんですね、僕はレオンです。初めまして。」
「……はじめまして。」
「突然で申し訳ないのですが。」
セフィさんは噂に聞く花売りの方ですか?
そう続けられた問いに、セフィは何と答えるべきか詰まってしまった。早く答えなければ、無言は肯定と同義になってしまう。
「それがどんな噂かは知りませんが、私はただの町娘ですよ。」
セフィはそう答えるのが精一杯だった。しかしレオンは追及の手を緩めない。
「『小さな町の花売りの少女が売る花は見る者の心を癒す。少女が煎じた薬は万の病を治す。』これが私の故郷まで届いた噂です。こんなに綺麗な花を扱う花売りを、僕は他に知りません。」
慌てて否定の言葉を繋ごうとしたところで、セフィにとっては無情な言葉が割って入る。
「ええ、私もセフィよりきれいな花を売っている人を見たことがないわ。それにね、セフィがくれる薬も本当によく効くの。見て、この左腕。去年火傷をしてしまったんだけどね、跡なんて少しも残ってないでしょう?跡が残るのは覚悟していたのだけど、セフィがくれた塗り薬のおかげできれいに治ったのよ。」
嬉しそうに語るおばあちゃんに悪意がないことは、セフィにもよくわかる。彼女はただ、孫のように思うセフィが褒められて誇らしく嬉しいだけだ。あるいは、この青年が花売りの少女を執拗に探していると知っていればまた違った返答をしたのかもしれない。しかしそれは、町はずれに一人で暮らし、最近ではベッドから起きることもままならない老婆には無理な話であった。
「本当に綺麗に治っていますね。すごいです。町には他に花売りはいませんでしたし、やはり噂の花売りはセフィさんなんですね。」
レオンはにっこりとセフィに笑いかけるが、セフィは変わらす引き攣った笑顔を返すしかなかった。
どうしよう、どうしたらいいんだろう……!
セフィの背を、大量の冷や汗が伝っていた。