二話 魔女と青年
青年は重い足取りで町の中へと進んでいく。土埃を髪に纏い、泥で汚れたズボンから、彼がどれほど遠くの地からやってきたかがうかがえる。まず、町に一軒しかない宿屋で宿をとると、恰幅のいい女将が質素な部屋へと案内をする。青年は部屋の隅に荷物を置くと、女将のほうへ向き直る。
「すみません、お尋ねしたいことがあるのですが。」
「なんだい?晩御飯だったら隣の食堂が一番おいしいよ。」
ただし、親父は偏屈で町じゃ一番とっつきにくいけどね、とふくよかな体を揺らして女将は笑う。青年は困ったような笑みを浮かべながら、違います、と続ける。
「この町に、万病に効く花と薬を扱う花売りがいると聞いたのです。どこにいるかご存じありませんか?」
セフィのことだ、と女将はすぐにわかった。これまで、噂を聞いて尋ねてきたものがいなかったわけではない。やつらは皆、商売のためにセフィを利用しようとしに来ていた。彼女はこの町みんなの恩人だ。かくいう女将も、つい先月痛めた腰に効く湿布薬をもらったばかりだ。
「なんのためにその花売りを探しているんだい?」
親しげな表情は消え、疑いの眼で青年に問いかける。青年は女将の態度の変化に驚いていた。しかし、女将が噂に反応を示すということは、花売りがいるということに他ならない。遠路はるばるこの小さな町にまで来たかいがあったと内心では喜んでたが、それをおくびにも出さず女将の問いに答える。
「僕の家族が、病気なのです。医者にもかかりましたが、すでにさじを投げられてしまいました。そんな中で、花売りの噂を聞きました。……藁にも縋る思いでこの町まで来たんです。お願いします、どんな些細な情報でもいいので、僕に教えてもらえないでしょうか。」
青年は真剣な目で訴える。決して嘘はついていない。女将はその顔を見て、目の前の青年が嘘をついているようには見えなかった。しかし、所詮は余所者。この短いやりとりで完全に信用することなどできなかった。
「残念だけど、あたしはその花売りについては良く知らないんだ。悪いねえ。」
女将さんはその花売りについて教える気はない、けれどもいないわけじゃないってことか。青年は女将の言葉の意味を正しくとらえ、ありがとうございますと礼を述べる。じゃあ、何か困ったことがあったら遠慮なく言っておくれ、と先ほどと同じ笑顔を見せ女将は部屋を後にする。
青年は部屋に置いてあった水を使って、旅でついた汚れを落としていく。人よりも黒目の肌のために目立たなかったが、布には汚れがびっしりついていた。さっぱりしたところで、荷物の中から比較的きれいなシャツにベスト、動きやすいズボンを取り出して着替え、最後に腰に小さめのバックをかける。バックの奥には、最近発明された小型の銃も忘れずに。そうして身なりを整えた彼は、早速町へ出ていった。
――――すべて、魔女に視られていたとも知らずに。
「というわけだから、しばらく町に行っちゃだめだからね。」
はあい、とセフィは不服そうな顔で承諾する。町に行きたいのはやまやまだが、人間がセフィを探している以上、ディアナの言う通りにしたほうがいいのはさすがのセフィも分かっている。
どうして、人間と魔女は仲良く暮らしていけないのかな。見た目は何も変わらないのに、とセフィは思う。この疑問を幾度となく口にするたび、幾度もディアナに怒られてきたからもう聞いたりはしないけれど。だけど疑問は解消されない。
『見た目以外は、何もかもが違うからよ。』
人間は自分のために生きるけど、魔女は世界のために生きる。
人間は短い時間を生きるけど、魔女は長い時間を生きる。
人間は何でもできるけど、魔女は理の中のことしかできない。
だからって、仲良くできない理由にはならないと思う。
そしてセフィは町へ出た。少女が守る広大な森にほど近い、小さな町だ。魔女のローブを脱いで、町娘と同じブラウスとスカートを身につける。腰より長いクリーム色の髪はリボンで一つにまとめた。籠には森で生き生きと育った花たちを詰めて、花売りとして人間と関わることにした。最初はろくに声をかけることもできず、花を売ることはおろか、人間と話すこともままならなかった。
ディアナはそんなセフィに、湖から津波が起きるのではないかというくらい怒った。しかし、パン屋のおじさん、宿屋の女将さん、食堂の偏屈おじさん、町の元気な子供たち。セフィは次第に人間たちと馴染み、ディアナに楽しげに語った。見たこともない笑顔を見せるセフィに、ディアナは何も言えなくなっていった。
せめて、人間に深入りしすぎないよう、利用されないよう、私がきちんと妹分を守らなくちゃ。そんな気持ちで、水面から町を視ることにした。今は、セフィを探しているらしいあの青年。彼が諦めて町を出ていってくれますようにと、その姿を映し続ける。
青年は、地道に花売りの少女の情報を集めていた。しかし、皆青年を警戒しているのか、女将同様「知らない」の一点張りだった。結局その日は、大した情報を手に入れることはできずに宿へ戻ることとなった。
噂の花売りは、確かに存在するんだ。諦めるわけにはいかない。
青年は決意を新たにするが、数日粘っても有力な情報は得られない。次第に町では花売りを探す余所者の噂が回ってしまったのか、声をかけても無視されてしまうことが増えていった。滞在中お世話になっている宿屋の隣の食堂で、昼食を取りながら青年はどうしたらよいか考えていた。
(どうして、こうまでして町民は花売りのことを隠そうとするんだ?普通、一人くらい教えてくれる人がいたっておかしくないはずだ。)
考え込みすぎて、青年は気づかなかった。
「おい、無視を決め込むとはいい度胸だな。」
目の前では、あの偏屈親父が自分を見下ろしているではないか。ここ数日、食堂を訪れようと愛想一つつかず、聞いた言葉は「そうかい。」「はいよ。」「まいど。」の3つだけ。女将さん言う通り食事はおいしかったが、町一番の偏屈親父というのもまた確かだった。そんな親父から突然話しかけられたのだ、驚くなというほうが無理だろう。
「いや、あの、すみません……。」
とりあえず、謝るのが精一杯だった。偏屈親父はふん、と鼻を鳴らすとひきつった顔の青年のことなど気にも留めず話を続ける。
「お前さん、花売りを探してるんだってな。見つかりそうか?」
「いえ、なにせ情報がないもので。難しそうです。」
当然だろう、という表情で、親父は言う。
「そろそろ諦めたらどうだ。目当てのものは見つからん。帰りの路銀がなくなる前に、おとなしく帰れ。」
「……いいえ、諦めません。」
それでも青年は、まっすぐ親父に応える。
「僕にとって、花売りの薬は最後の希望なのです。僕が諦めたら、その時点で終わってしまう。だから絶対に諦めません。」
親父はそんな青年の様子に一つため息をこぼすと、名前を尋ねた。青年はレオンです、と答えるが、ふうんとしか反応を返さない親父にどうしていいか困るばかりだ。
「せいぜい、滞在中は金を落としていくんだな。」
そういって偏屈親父は厨房へと戻っていった。気づけば初めて町民に名乗った青年――レオンは、残りの食事を食べ終えると宿に戻っていった。この日から偏屈親父との細々とした交流が増え(といっても諦めろ、諦めないの応酬ぐらいしかしていない)、あの偏屈親父が話しかける青年として、また別の噂が町に回ることとなったのである。
気づけばレオンは、2週間ほど町に滞在していた。肝心の花売りの情報こそ得られていないが、当初に比べれば町にはずいぶん馴染んだようである。それがレオンを町から出ていってほしい偏屈親父がきっかけというのは、何とも言えない皮肉であるが。
情報収集をするだけではレオンは時間を持て余してしまう。宿屋で過ごすだけでは有り余った体力を持て余し、服の下に隠れる筋肉が衰えるだけだ。自然と彼は、女将の雑用を手伝ったり、食堂を手伝ったりするようになっていた。女将は素直に喜び、偏屈親父は裏があるんじゃねえだろうなといいながらも、なんだかんだレオンに頼みごとをするようになっていった。
夜になれば頼みごともひと段落し、一人ベッドで身体を休める。
(早く、花売りにあって薬をもらわなければ……。)
薄っすらとシミのついた天井を眺めながら、レオンは次第に焦り始めていた。懐に大事にしまってある懐中時計を、ベストの上から強く握る。思い浮かべるのは、大きな寝台の上で横たわる病的に白い華奢な少女のこと。あと一年持つかどうかといわれ、彼はいてもたってもいられず飛び出したのだ。この町にたどり着くまでに2週間、この町に滞在して2週間。あの方のおそばを離れて、もう一月になる。早く、戻らなければ。
「必ず貴方を治す薬を持って帰ります。どうか、それまでお待ちください。シャーロッテ様……。」
小さなつぶやきは、誰に届くこともなく消えていった。