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廊下を歩きながら、ザクセンはデリベラートとの会話について注意を促す。
「何か尋ねられたときは、必ず俺を見ろ。俺が剣の柄を握ったら”はい”、腕を組んでいたら“いいえ”だ。絶対に俺の指示なしに返事をするなよ」
「……ねえ、行かなくてもいいんじゃないかな」昨夜のことを思い出して、ベルの歩みが止まる。
「今行かなくても、後ろから刺されるか、前から刺されるかの違いだけだ。おら、歩け」
「ううっ、この鬼畜!」
「それから、昨日襲われたことも本人に問い詰めるなよ。すっとぼけておしまいだからな」
ベルは、泣く泣くデリベラートの呼出に応じた。
書籍の間は、城内の者が自由に利用できる部屋だ。とはいえ、身分の高い者の部屋で使用人たちが入ってくることはまずない。部屋には高い位置にはめ殺しの窓があるのみで、光が書籍に当たり変色しないようになっていた。天井には、グロスクロイツの紋章が大きく刻まれている。
デリベラートは椅子には座らずに待っていた。呼びだしたユビルス姫がザクセンを伴ってきたことに、微かに眉が動いた。しかし、すぐにそれを打ち消すように穏やかに微笑む。
「お体の具合はいかがですか」
「え、ええ……おかげさまで」
「それはよかった。まずはお体を休めることが大事です。そうすれば、おのずと記憶も戻られるでしょう」
昨夜のことなど無かったかのように、デリベラートはにこやかに話しかける。その態度に、ベルはどっちが記憶喪失なんだと言いたくなる。ザクセンが問い詰めるなと言ったのにも納得がいった。
「早く用件を言え。姫様はお忙しいんだ」
「これは失礼いたしました……ザクセン様。本日お呼びいたしましたのは、晩餐会を開催したいと思いまして、そのことについてユビルス姫の許可を頂きたいのです」
「晩餐会?どういうつもりだ」
ザクセンが敵意をむき出しにして聞き返す。それをいなすように、デリベラートは柔らかでつかみどころのない笑みを絶やさない。徹底的に牙を隠すデリベラートと、ザクセンは対照的だった。
「ユビルス様の無事のお祝いでございます。表向きは、ただの晩餐会といたしますが……ユビルス姫の行方不明の噂は、貴族達にも広まっておりました。その噂を一蹴するため、皆に元気な姿を見せてやっていただきたいのです」
ザクセンをちらりと見ると、彼は一度考え込んだあと、剣の柄に触れた。
「ありがとうございます……ぜひ、お願いいたしますわ」
「では、三日後の夜といたしましょう」
デリベラートは、曇りのない笑顔を浮かべた。目の前に、咲いたばかりの花でもあるかのようだった。
「新たな刺激は、記憶喪失にも良い影響を与えてくれるに違いありません。……いえ、それとも取り戻さないほうが良いのでしょうか」
「え?」
「ザクセン様とお二人、並んでいる姿をもう一度見ることが叶うとは。姫様が王墓参りのことを忘れでもしなければ、無理でしょうと思っておりましたから……」
「おい黙れ」
ザクセンの声はデリベラートに向けられたものだったが、ベルの肩がびくりと震えた。
常に言葉遣いが荒く、威圧感のある声音でも、ここまで怒りを帯びた声を聞くのは、ベルは初めてだった。
「ええ、そうですね。私も忘れることにいたしましょう」
そういって、彼は部屋を出ていった。
「……あんた、ユビルス姫のこと追い出したんだっけ。一体何したのよ?」
「答えはわかってんだろ」
「話すつもりはございません、ね」
わかりきっていた答えだが、ザクセンが元の調子に戻っていることを声で判断して、ベルはほっとした。
先程の激昂は、彼とユビルス姫の間に何かがあったことを示している。それも、デリベラートがザクセンの神経を逆なでするのに効果的だと思うほどの出来事。ならば――。
触れないほうがいいわね。放っておこ。
けして怯えているわけじゃない、と自分に対して念を押した。
そんなことより、晩餐会である。
お城といえば、金持ちといえば、豪勢なパーティー。貧しい境遇のベルにとって、憧れのイベント。やはり城に来たからには、やっておきたいことのひとつだった。早くも機会が訪れたことに、隠そうとしても頬がゆるんでくる。
「……テメェ、顔に出てるぞ。欲深もそこまでいくと大したもんだ」
先程まで命を狙われると怯えていたのに、晩餐会という単語に喜ぶベルに、ザクセンは呆れている。
「だって、晩餐会よ、晩餐会!どんな格好をしよう!きっと贅沢な食事がたくさん出るのよね。それに国中のお金持ちが集まるんでしょ?きっといい男に出会えるし!あ、もう城内で探すのは諦めるから。頭がおかしい人ばっかりなんだもん」
「デリベラートが本当にただ晩餐会をやると思うか?裏があるに決まってる」
「あったってさすがに人がいるところで襲ってこないでしょ?あー、楽しみだなー」
くるくると回り出すベルの腰のリボンを、ザクセンは思い切り引っ張った。
「ぐえっ!なにすんのよ!」
「テメェ、そのままで晩餐会に出られると思ってんのか?」
「なにそれ、どういう意味?」
「ひとりで朝飯食うのとはわけが違うんだよ。ナイフ、フォークの使い方、マナー、食べ方、姿勢……」
「平気平気!それぐらい、<盟約の詩>みたいなの覚えるより余裕だし!頭よりも、体を使う感じなら得意よ!」
「ほー……」
浮かれ気分の抜けないベルを、ザクセンは冷静に見つめていた。
「……し、失礼します」
書籍の間に顔を出したのは、アトラだった。有頂天のベルを見て首を傾げるが、ザクセンは構うなと視線で示す。
「ウィニタリウス公爵から、て、手紙が届いています」
「公爵から?」
ザクセンはその場で封を開けて、内容を確認する。
「……アトラ。馬車を用意しろ」
数行読んだだけで、文面から目を離さないままアトラに命令した。それから、ベルの襟を掴んで引き寄せる。
「えっ、何?」
まったく話を聞いていなかったベルは、目をくりっと広げた。
「こいつを連れて、公爵の城に行く」
「えっ、い、今から?つ、着く頃には日が暮れてま、ますよ」
「ユビルスがいねえことを感づいてるようだ。こいつの顔を見せてくる。ウィニタリウス公爵は貴重な味方だ。デリベラートにやるわけにはいかねえだろ。夜には戻る」
「わ、わかりました。すぐに、よ、用意します」アトラは急いで、書籍の間を出ていった。
「……と、いうわけだ。出かける支度をしろ」
「ええっ。あと三〇分でお茶の時間なのに」
「ウィニタリウス公爵領は、水晶砂糖の生産が盛んなんだ。城館でもいつも素晴らしい料理や菓子が振る舞」
「すぐに準備するわ!置いていかないでよ!?」
書籍の間を飛び出していったベルを見送り、ザクセンは小さく息を吐いた。なんとなく、ベルの扱い方がわかったような気がした。