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彼は誰時の贋作姫  作者: 八千
<5>すれ違い
20/29

 ユビルスの十八歳の誕生日を数ヶ月後に控え、彼女の命を狙う物騒な事件が頻発した。

「もう、驚きすぎよ。ザクセン」

 ユビルスはけろりとした表情で、散乱したドレスと虫の死骸を見下ろした。「ドレスに毒サソリが入っていたくらいで、驚かないで」

「テメェが落ち着きすぎなんだよ、ユビルス」事態と差のあるユビルスの反応に、ザクセンは苛立たしげに答えた。

「即位が近くなればこれぐらいの妨害は起こるだろうと、予想していました。むしろ、今日は何が起こるかなって楽しみで仕方ないの」

 誕生日を控え、ユビルス宛に届けられたドレスには、尾の先が掠めただけで牛も死ぬような猛毒のサソリ付だった。

 それだけではない。ここのところ刺客に毒に嫌がらせに脅迫状、呪いの品、ありとあらゆる手を尽くしてユビルスの命が狙われている。王国軍総出で彼女を守ってはいるものの、即位を邪魔する派閥の猛攻は留まることを知らない。

「せっかくだし、今日の<彼は誰時会議>にはこのドレスを着て行こうかしら」

「テメェの命を狙う奴から届いたドレスを、よく着る気になるな」

「贈り主の”名無しの方”、きっと驚くわね」

 二人とも、それが誰だとわかっていても口にしない。このドレスをどこまで追求しようと、デリベラートの元に辿り着くことはできないとわかっているからだ。

 先代王が死んでから五年。たった五年で、グロスクロイツはデリベラートの都合の良いように変えられてしまった。グロスクロイツは、強靱な力を持つからこそ、保守的な国だった。だが、経済活動を推奨し、豊かな生活を維持するには他国への進出もやむなしという考えの土壌が築かれてしまった。

 彼を追いやるには、ユビルスが王位につくしかない。それが、二人の目標だった。



 ユビルスが次期女王となることで、<彼は誰時会議>は終了した。

「まずは王墓参りからね。そのあとは参冠式、戴冠式……色々ある気がするけど、きっとあっと言う間に終わるわね」

 ユビルスは、うーんと伸びをした。夕方の太陽が、彼女の金色の髪に絡む。

「なあ。本当にテメェ、即位するのか」

 ザクセンの問いかけに、ユビルスは首を傾げた。

「テメェは体が弱いし、即位したって命を狙われ続けるだろう。あいつを追いやったところで、次の敵が現れるかもしれない。テメェの父親がグロスクロイツを収めていたときとは、状況が違うんだ。……どこへなりと嫁に行って、幸せに暮らす道もある」

「珍しく弱気ね。ザクセン」

「テメェを見てると、心臓がいくつあっても足りねえんだよ」

「大丈夫よ。やらされてるんじゃないの。私……自分でこの道を選んだの。この国が好きだから。ここに生きている人が好きだから」

 例えばグロスクロイツの血は絶やせないとか、これが定められた運命なのだとか、ユビルスがそんなことを言い出したら、ザクセンはどんな手を使ってでも即位を中止させただろう。

 ユビルスは、ザクセンの懸念をすべて理解していた。だからこそ、彼を納得させる言葉も知っていた。十も離れている女に、ザクセンは時折、母とはこんな存在なのだろうなと感じることがある。

「それに、ザクセンやアトラ……軍のみんなが、私のこと守ってくれる。……それとも自信がないのかしら」

 ザクセンは、ふっと笑った。

「俺たちが必ず、テメェを守ってやる。皺くちゃのババァになって老衰で死ぬ日に、今と同じ台詞を兵舎のど真ん中で言わせてやるよ」

「まあ、怖い」

 笑顔の二人の場所に、不穏な影が近づいたのはその時だった。

「……あら?スレイヒライン公爵。まだお帰りではなかったのですか?」

 <彼は誰時会議>に参加していた、赤い髪の女公爵。彼女は、デリベラートとユビルスの仲を疑い度々問題行動を起こしていた。

 ユビルスとミネイの前に立ち、ザクセンは警戒する。彼が剣を握ったことで、ユビルスも剣呑な雰囲気に気づいた。

 虚ろな瞳の彼女の手に、夕日を受けてなまめかしく輝くハンマーがあった。



 ザクセンが、次に目を覚ましたときには朝だった。

 ベッドの上で、額に触れる。こめかみの上がやたらと痛んだ。ユビルスを庇おうとして、まともに一撃を食らってしまった。

「……アトラ」

 姿は見えなくとも、ザクセンには彼の気配を感じた。予想通り、アトラがベッドの横から姿を見せる。彼はいつも、本当の犬のように伏せて寝るのだ。

「ユビルスはどうした」

 自分の怪我の具合よりも、ミネイの処遇よりも、彼女を心配しなければいけないことは長年の勘でわかっていた。

「……お、王墓参りへ。今日で……三日目です」



 王になったことを国民に誓う戴冠式。貴族を始めとした権力者たちに誓う参冠式。

 その他に、先代の王たちに即位予定の報告を行う王墓参りがあった。グロスクロイツの国の外れにある王墓――墓とは言っても、屋敷ほどの大きさがある石造りの建物――に籠もり、三日間ひたすら祈りを捧げ続けるのだ。

 予定の時間に王墓参りを終えて、外の世界に戻ることにした。

 ザクセン、怒ってるかなあ。

 外まで続く長い廊下を歩きながら、ユビルスがまず思ったことは置いてきた幼なじみのことだった。

 これまで、ユビルスの命を狙うものがあっても、実際に血を流した軍人はいなかった。ユビルスの命を狙った犯人とされた死体が出ることはあったけれど、実際にユビルスの親しい人間が傷ついたのはこれが初めてだったのだ。

 自分が王になるという意志が、人を死なせる。だから、誰も死なせないように王になろうと誓って、王墓参りに来た。王にしてもらうのではなく、王になろうと――ユビルスは決めたのだ。

 ユビルスは王墓を出た。三日ぶりの、外の光景だ。

 そこには、ユビルスの供として付いてきた軍人たちの無残な姿があった。

「あ……」

 泥で出来た人形のように、彼らの体はめちゃくちゃだった。新緑に染まっていた森の木も、地面も、血に染まっていた。立ち上る血の香りに、ユビルスはその場に膝をつく。

 その背後に、兵士の返り血を浴びた男の姿が迫った。

「ユビルス!」

 馬に乗って駆けてきたザクセンが、馬上からユビルスの背後にいる男に向けて剣を放り投げた。

 回転しながら投げられた剣は、男の額に矢のように突き刺さる。

 敵は一人ではなかった。だが、ザクセンも単身乗り込んできたわけではない。静謐な王墓の周囲が、一気に戦いの場と化した。

「ユビルス、しっかりしろ!」

 ザクセンはこの場を兵士達に任せ、ユビルスに駆け寄った。

「ご、ごめんなさい……私……」

 ユビルスの手には、水の入った小瓶があった。王墓の中でしか摂ることの出来ない水。祭壇の中心に瓶を置いておくと、天井から垂れてくる水が瓶を満たす。その前から人が離れると、どういう仕掛けか水が垂れてこなくなるのだ。これが一杯になったら、三日経ったことの証明になる。

 ザクセンはそれを見て、ユビルスの胸ぐらを掴み上げた。

「――ザクセン様!ま、待ってください!」

 今にも殴りかかりそうなザクセンに気づいたアトラが、駆け寄ってくる。

 だがその声は、ザクセンにはおろか、ユビルスにも届いていなかった。

「どうして……俺を信じなかった!」

「ザクセン、私……だって……」

 ザクセンが怒っているのは、彼女がこんな無謀なことをしたのが自分のせいだとわかっているからだ。ミネイに襲われ、倒れた軍人がザクセンでなければ、ユビルスはここまでの無茶はしなかった。兵士の死という恐ろしい体験もさせずに済んだ。

 ザクセンは、自分が彼女の足手まといになったことを恥じたのだ。

 ユビルスの胸ぐらから手を離す。乱暴な動作に、彼女は地面に倒れ込んだ。

「テメェの足かせになるぐらいなら、死んだほうがましだ」

 ザクセンは近くに倒れていた男の額から、先程投げつけた自分の剣を引き抜いた。まだ温かい血が彼の額から噴出し、ザクセンも、剣も、血に染まる。

 あまりの光景に気を失いそうなユビルスの手に、ザクセンはその剣を握らせた。瞳には、純粋な狂気が宿っていた。

「今すぐ俺を殺せ。王になる覚悟を、俺に見せろ」

「で……できるわけないわ!」

「だったら今すぐ城を出ていけ!王になれねえなら、今すぐ消えろ!」


――そうして、ユビルスが姿を消したのは、翌朝のことだった。


 ミネイが全てを話し終える頃には、グロスクロイツ城を夜の闇が覆っていた。

「……ザクセン様が王になるとお言い出したのは、その後からだと聞いています。ザクセン様は、自分が王になるために姫様を追い出したのではないのです。……全部、逆なのですよ」



 同じ晩、ザクセンはアトラと落ち合っていた。

 離れている間も、ベルの様子をこうして報告させていた。それは彼女が気になるからではなく、見張りの意味でだった。

「ぼ、僕、さっきまで、ベル様とい、一緒でした。め、<盟約の詩>の暗唱に、付き合って、ほ、欲しいって、呼ばれたんです」

 ベルが自ら、詩の暗唱をするなどと言い出したことに、ザクセンは驚いた。

 だが、その事実は、ザクセンに更に深い悲しみを抱かせるだけだった。



 翌日は、気持ちの良い快晴だった。

 厩舎の前の草たちも、日の光を受けて青々と輝いている。

「た、”誰そ彼時の死者のため……、彼は誰時の友のため……”えっと。”我が身を持って魔を……”」

 ベルは犬小屋で、ダノーノ相手に<盟約の詩>を暗唱していた。たどたどしいものの、間違えている箇所はない。

「――”王は民の導なり……我は……グロスクロイツの王なり”!やったあ!できた!」

「……よく覚えたな」

 最後まで黙って暗唱を聞いていたザクセンが、ベルに声をかけた。馬鹿にしているのではなく、あそこまで覚えられなかったベルの成長に素直に感心していた。

 ベルがザクセンに会うのは、あの言い争いの日以来だ。こんなにまともに会話をするのは、もういつぶりだろうか。

「あんたが覚えろって言ったんでしょ」ベルは頬を膨らませた。

 明日になれば、もう参冠式だ。この城に来てから、数えるほどの日々しか経っていない。でも、とても長い日々のように感じた。

「だから、褒めてんだろうが」

「いきなり褒められたって、気持ち悪くて仕方ない」

「……チッ。言うんじゃなかった」

「全然わかんないよ。あんたの気持ちって」

「本当にバカだなテメェは」

「言わなきゃわかんないでしょ!伝わらないことを、人のせいにしないでよ!」

「ああ?」

「ユビルス姫にだってちゃんと伝えられなかったくせに!姫様を守るために王位を取るって言い出したくせに!」

「――……」

「……全部、知ってるよ」

 ザクセンの目に、微かな戸惑いが浮かんだ。誰から聞いた、と目が言っている。

「ミネイから、聞いた……」

「……そうか。あいつか」

 ザクセンはそれだけで、ベルがどこまで聞いたのか悟ったようだった。溜息をついて、片手で顔を覆った。

 初めて、ザクセンの感情を見た気がした。ベルに知られることを、彼は初めて受け入れたのだ。

 本来なら喜ぶことだったかもしれない。でも、それはより強く、ザクセンは一切本心を話さないだろうと感じただけだった。

 やっぱり、だめなんだね。私には、話してくれないんだね――。

「……私、立派に参冠式やるよ。まあ、あんたの考えがあるんだろうし。何かあったら、ちゃんと命令してよね?」

 ザクセンの見えた本音に、わずかでもベルに対する感情が見えたら、と期待していたことを思い知った。けれど、そんなものはどこにもなかった。

「でさ、あんたが王様になったら、ユビルス姫、探してさ。ちゃんと……話しなよ?ちゃんと、話さないと伝わらないんだから。あんたの気持ちが、私に全然伝わってないのがいい例なんだからね!あはは!」

 言いながら、ベルはなぜか胸が張り裂けそうになった。

 笑顔を浮かべるのが、精一杯だった。

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