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週末の酒場は男達でひしめいていた。安酒を求めてやってくる労働階級の男たちの熱気とパイプの煙で、天井付近は白く霞んで見えるようなありさまだ。テーブルと足元と言わず食べカスとエールの飛沫が散乱している。
喧噪に塗れた店の扉が開き、誰かが入ってくるが、気づいたのは店主だけだった。ローブを深く被ったまま、客は真っ直ぐにカウンターに向かってくる。
「注文は?」
「ミルクティをひとつ」
店主は2つの意味で眉をひそめた。ひとつはこんな場末の酒場でミルクティを頼む客の非常識さに。もうひとつは、声の主が女だったことだ。
「ミルクティなんてねえよ。家に帰ってねんねしな、お嬢ちゃん」
「じゃあ、何ならあるの?」
「エールとワインとソーダ水だ」
「……じゃあソーダ水」
女はむくれたような声を出して、椅子に座る。カウンターに代金を出せば、店主も文句は言わなかった。ただ店主は、今後店の外に「女子供は入店禁止」の看板を立てようと決めたのだった。酒場に入ってくる若い女なんて、想像もしていなかったのだ。
出てきたソーダ水を口に含みながら、喉の渇きを潤していると、彼女の背後の会話が耳に入ってきた。
「そういやあ、最近ユビルス姫を見ねえなあ」
仕事の労を分かち合い、妻の愚痴と女の尻の話を一通り終えると、男たちの話は国政や貴族の噂話に移る。お決まりの流れだった。
「また病で伏せってるんだろ?戴冠式の話も、一度出てたのに取りやめになったよな」
酒場には、他の多数の店と同じように、グロスクロイツ王族の肖像画が飾られている。グロスクロイツが建国して四百年。肖像画も数を増やし続けていたが、現在存命する王族は一人だけ。そのユビルス姫は国中の人気で、肖像画も飛ぶように売れていた。
「ユビルス姫には、王位は荷が重すぎるのかねえ。なんでか王様にはいつも子供が一人しか出来ねえうえに、病弱か早死にしちまう。おい、そいつは俺のエールだぞ」
「ガタガタ言うなよ、うるせえな。じゃあ、誰が王になるっていうんだよ。大臣のデリベラートもやり手だが、王族以外が王になるのはな」
「おい、オヤジ!エールを1つくれ!じゃあ、仮に姫様以外が王になるとしたら、ってのはどうだ?俺は、軍司令官のザクセンがいいと思う。庶民出身で、俺たちの気持ちもようく分かってくれるだろう」
「2つにしてくれ!確かに、先代王はザクセンを息子のように可愛がっていたそうだしな。しかしよ……やっぱり王族以外が王になるってえのはなあ、ありえねえよ。つうかおめえ、ザクセンの話したかっただけじゃねえのか?」
男達の中のひとりが、指をクイクイと動かして皆の耳を自分に集める。
「……ここだけの話なんだが、ユビルス姫が、行方不明になっちまっているらしい」
その言葉に、男たちがオイオイと叫びながら身をのけぞらせた。
「バカ言え!本当なら、大騒ぎに決まってるだろ?」
「それが、ザクセンが、ユビルス姫を追い出したらしいんだよ。それってやっぱり、王位を狙ってのことだろ?<彼は誰時会議>も揉めまくってたらしいしな」
「嘘つけよ!デリベラートはともかく、ザクセンはユビルスのためなら命も惜しまないような男だぞ?」
「いやお前、ザクセンの何を知ってるんだよ」
「それを言うならデリベラートだって、ユビルス姫そっちのけで国政を好きにしてるだろ」
「そうか?各地に孤児院や老人院を立てて、弱い人間の保護にも熱心だし。やっぱり――」
ドン!という衝撃で、テーブルの上の皿が跳ねた。乱暴に置かれたグラスに入っていたのは、彼らが頼んだエールではない。……泡が浮いているところは一緒だが、色が透明だ。
ソーダ水だった。
「ねえ、あんたたちが話してたお姫様って、こんな顔?」
フードをとって、女が顔を見せる。マントの中に隠れていた金髪を鬱陶しそうに取り出すと、男臭い酒場に花のような香りが漂った。青みがかった銀色の瞳は、グロスクロイツの血を引く証だ。
そう。彼女の顔は、壁に飾られていたユビルス姫の肖像画と、まったく同じだった。