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ベルが兵舎に来るのは、これが初めてだった。だが、兵舎といってもザクセンが向かったのは外れのほうの厩舎である。
使用人や兵士たちの目をかいくぐり、辿り着いたのは厩舎に併設された物置小屋だった。日当たりは良いのだが、しばらく誰も入っていないのか埃っぽい。
ザクセンは物置部屋のなかでいちばん太い柱に、メイドを縛りつけた。物置小屋では、拘束具……縄の類には困らなかった。なんとなく、ベルはハンマーを適当な場所に置いた。こうしておけば誰もこれがメイドの武器だとは気づくまい。見るからに農耕道具だ。
「やっぱりなと思っていたが、こいつが出てきたか……」
ようやく一息ついたところで、ザクセンが溜息をついた。
「な。なによ。まるでこの女のこと知ってるような言い方じゃん」
「嫌ってほど知ってる。こいつは、以前からデリベラートの言いなりになって、ユビルスを狙っている女だ」
「なんでそんな女が城内を武器持ってうろうろしてんのよ!」ベルは絶叫した。
「徹底的に証拠を隠滅してるから、裁判をしようにもどうにもならない。しかも、この女はデリベラートに心酔してる。あいつの不利になるようなことを、この女は絶対に話さないんだ。デリベラートもまた、ミネイのことは知らないで押し通している。それさえなけりゃ、軍に欲しい逸材なんだがな」
真剣に検討しているザクセンに、ベルは汚物を見るような顔を向ける。
「それに、こいつはそもそもメイドじゃないからな。やめさせるも何もねえ」
「メイドじゃない……?」
「この女は、ミネイ・スレイヒライン。スレイヒライン公爵家の当主だ。デリベラートもおいそれとこの女を殺せないんだよ」
「こ、公爵!?この女が!?なんで貴族が、メイドの格好してるのよ!」
確かに彼女は、昨夜済ました顔をした晩餐会の会場にいた。あのときは思い出せなかったが、彼女はこの城に来た翌日に、ベルの部屋にやってきている。
「う……」
うめき声は、目を覚ましたミネイのものだった。まだ状況が掴めないのか、首が痛むのか、視線がはっきりとしない。
「ミネイ。俺が誰だかわかるな?」
「ザクセン、様……。ああ……またあなたが、私を……お捕まえに、なったのですね」
「何をしたかはわかってんな?由緒正しきスレイヒライン公爵家の名に、これ以上泥を塗るな」
「ふふ……あんな……飾りだけの名前……とうに捨てましたわ……」
綺麗にまとめていた赤い髪の毛も、争いやここまでの扱いのせいでほつれている。乱れた姿で微笑む彼女は、男に興味のないベルから見ても美しかった。
ザクセンはミネイの前にしゃがみ込む。そして、顎を軽くつかんだ。
「聞いても無駄だろうが……これはあの男の命令じゃないんだな?」
「何をおっしゃいます。私のような者が、あの方からお命令をいただけるわけがありませんわ」
ザクセンの拳がミネイの頬に飛んだ。そのまま吹っ飛んでいければまだ楽だったろうに、柱に頑丈に固定された彼女は、ザクセンの一撃をすべて体で受け止めるしかなかった。
「ちょちょちょっと!いきなり殴んなくても!」
ベルはザクセンとミネイにあいだに割って入った。
「甘ったれたこと言ってんじゃねえよ。テメェだって殺されかけたじゃねえか」
「いや、そうなんだけどさ。無抵抗の女の人殴るのは、ちょっと……」
「ふ、ふふ……」殴られたミネイは、上品に微笑んでいた。「いくら、拷問したってお無駄ですわ……それはもう、貴方様もおわかりのはず、でしょう……」
ミネイの答えを聞いたザクセンは、空気と押し問答をしているような手応えのなさを感じた。
「デリベラートの、何がそんなにいいんだか」
「仕方ないよ。デリベラートほどの色男ってなかなかいないもん。そりゃ、この人だって――」
ミネイに理解を示すつもりでの、一言だった。だが、途端に、ミネイの顔色が変わった。呼吸が浅くなり、ぎろりとベルを睨み付けた。
「貴様ァ!殺してやる!あの方の名前を何度も何度も何度も気安く呼んでえええ!」
きつく縛っているというのに、ミネイは縄を引きちぎりそうな勢いで暴れ出した。物置小屋そのものが揺れるほどの勢いだ。
「ななななに!?なんで急に怒ったの!?」ベルは、とっくにザクセンの背後に隠れていた。
「バカテメェ、ミネイの前であいつの話をするんじゃねえよ。こんな気が立ってるときに褒めやがって」
「だ、だってまさかこんなに」
「殺す!貴様を殺す!晩餐会では、よくもあの方と声を交わしたなァ!殺す!今すぐ殺してやるうう!」
ベルはハッとして屋根を見上げた。狂犬のように吠え立てるミネイの力が、柱をきしませている音に気づいた。このままでは、小屋が壊れる。
耳元で、舌打ちが聞こえた。ザクセンだ。
わかったときには、ベルは既にザクセンに肩を抱き寄せられていた。腕のなかにいた。
「ミネイ落ち着け。今のユビルス姫の言葉は謝りだ。こいつは俺にベタ惚れだからな」
「……だがもがっ」
誰が惚れてるって!?という言葉は、ザクセンの手によって塞がれた。まるで、後ろから抱きしめられているような格好だ。
「俺の言う通りにしろ。死にたくなけりゃあな」
いきなり抱きしめておいて、何を考えているのだ――ベルはそう反論したかったが、ミネイはぴたりと暴れるのをやめていた。
「……まあまあ、そうだったんですの。お二人はとても、とてもお似合いだと思いますわ」
縄を体中に食い込ませたまま、ミネイはにっこりと笑う。髪はぼさぼさで、縛られていたところは鬱血しているのに、母性のある穏やかな笑顔で。とても異様な光景だった。
「だ、誰がこんな男と!私――」ベルはザクセンの手を解き、叫ぶ。
「……今のは嘘、だったのでしょうか?」
ミネイを繋いでいる柱が、再びみしり、と音を立てた。
「ザクセンだーいすき!私、彼のことが好きすぎて離れられないの~!」
今度は、ベルがみずからザクセンに抱きつく。ミネイの笑顔が取り戻された。
「では、ザクセン様もユビルス姫様を……?」
「ああ」
「……きちんと、姫様の目を見てお言葉にしていただけます?ユビルス姫様がおかわいそうですわ」
「あー……ああ」
「往生際悪すぎ早く言ってよ!」命の危機にさらされているベルは、ザクセンを小声で脅す。
「………………愛してる」
ザクセンはベルの眉毛のあたりを見ながら言った。
ミネイはすっかり落ち着きを取り戻して、ベルとザクセンを潤んだ瞳で見つめる。
「そんなにお二人は互いのことをお想いでしたのに、私ったら……申し訳ありませんでした」
「う、ううん!いいのよ。別に。わかってくれれば。別にあの方と私は、」
「今まで兵舎と城暮らし……お離ればなれで、お寂しゅうございましたでしょう?気づかなくて、申し訳ありませんでした」
「ん?」
なにかおかしい。ミネイの謝罪が、考えている方向とは別に向かいはじめていると、ベルもザクセンも思っていた。
「愛し合う二人なら、片時もお離れになりたくありませんでしょう?これからは私が姫様の御用を仰せ使いますから、ずうっとお二人でいてよろしいのですよ?」




