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晩餐会の日、ベルを迎えにきたアトラは彼女の様子に戸惑った。
ティアードスカートには段ごとに薔薇の花があしらわれ、ドレスそのものが花咲き乱れる季節のようだ。髪もくるくると結い上げられて、むき出しになった白い首にはダイヤモンドのネックレスが光る。誰もが目を離せなくなる、美しいユビルス姫の姿だった。
しかし、彼女はソファの背もたれに体を預け、虚ろな視線を床に投げ出していた。瞳を入れられる前の人形のほうがまだ生気に満ちている。
「ど、どうしたん、ですか」
「子羊のオレンジソース添え……」
「え?」
「木の実と海人参のグランドパン、黒ツグミのパイ、十年チーズのシチュー、パインのジェラート……ううっ、今日のメニューよ、これ!でも私は食べられないの!ウミガメのスープ以外はね!」
ベルは、ウィニタリウス家への滞在のために晩餐会のマナーを学ぶ時間がまったく取れなかったのだ。
ウーラの回復をユビルス姫のおかげだと疑わなかった彼は、晩餐会に間に合うギリギリの時間までユビルスたちをもてなした。
たっぷりと料理を堪能し、機嫌良く城に戻ってきたベルだったが、晩餐会の直前になってザクセンに「今日はスープだけ飲め」と告げられた。どん底に陥ったベルは、アトラに当たるしかなかった。
「す、すみません……」
「おい、アトラに八つ当たりすんじゃねえ」
礼装に着替えを終えたザクセンがあとから現れた。軍のトップという立場がある彼は、こういった場では警備ではなく共に席につく。
ベルはザクセンを睨み付けた。
「ひどいよ!こうなることがわかってたんだね!」
「あの嵐は俺のせいじゃねえだろ。それに、さっさと帰るぞといっても城に戻りたがらなかったのはどこのどいつだ」
「ウィニタリウス公爵のところでは、ちゃんと晩餐会できたもん!なんでこっちじゃダメなの!?」
「息子が元気になって浮かれてる公爵の目と、テメェを常に陥れようとしてるデリベラートじゃ危険度が大違いだろ」
「……バカー!」
反論の言葉が見つからなくなったベルがザクセンにぶつけたのは、子供のような罵声だった。
「もういい……もういいよ……スープ飲んでればいいんでしょ……バケツ一杯飲むよ……」
「アトラ。厨房のほうはどうだ」
ベルを無視して、アトラに向き合う。
「は、はい。ダノーノたちに料理のチェックをさせて、ふ、不審者の出入りもできないよう、兵士をた、立たせています。給仕係の身体チェックもすませました。い、今のところは何も……」
「よし。晩餐会が終わるまで抜かるなよ。おいベル、行くぞ」
ザクセンは、座り込んでいるベルに手を差し出した。
「え?あんたが私のエスコートをするの?」
「エスコートどころか、最後まで一緒だぜ?」
「他の男と話せないじゃない!」
「話したらテメェが偽者だってばれるだろうが。記憶喪失が知られるだけでもやっかいなんだ、話しかけられたら上品に微笑め。声は出すなよ」
ベルが楽しみにしていた晩餐会など、どこにもなかったのだ。自分の甘さに、再び抜け殻になるベルだった。
既に招待客の揃った大食堂に、ベルはザクセンと共に向かう。
「四六時中あんたと一緒ね」
「ぶつくさ文句言うんじゃねえ。偽物の分際で首を撥ねられないだけありがたいと思えよ」
「これで寝るときも一緒だったら、もう自分で首をくくってるよ」
前を歩く執事に聞こえないように、見せかけの完璧なエスコートとはまったく逆の罵りあいを続ける。
ベルは、ザクセンが鎧を脱いでいるところを初めて見た。今日は濃い緑の礼服に身を包み、たくさんの褒章を身につけている。白い鹿革の手袋も、ブーツにも汚れひとつない。隙の無い装いで、いつもと変わらないところといえばこめかみの傷と不機嫌そうな表情だけだ。ザクセンは、黙っていれば格好良い。
「これであんたじゃなかったら、最高なのに」
「口を閉じろ」
気づけば、大食堂に辿り着いていた。
長いテーブルには、銀器や花瓶がセットされている。ユビルス姫が現れると、客たちは拍手で彼女を迎えた。
部屋の奥の壁には、先代王と后の肖像画。そして建国初期に重要な役職を努めた戦士たちの絵。歴代の王族の肖像画も、両サイドに飾られている。グロスクロイツ城は形こそ巨大で王の城たる威厳に満ちているが、飾り気があるかと言われるとそうでもない。それはこの大食堂も同様だった。
美しい男を捜してしまうのは、ベルの習性だ。ザクセンには食事のほとんどと会話を禁じられたが、美男子を見て楽しむぐらいのことはしても良いだろう。
だが、大食堂の中にいるどんな男よりも目を惹く人物がいた。それは、男にしか興味のないベルにとって衝撃的なことに――女性だった。
燃えさかるような赤い髪と、濃いベルベットのドレス。髪飾りの黒い羽は、まるで不死鳥が火の湖で体を休めているようだ。ただそこにいるだけで、誰もがひれ伏したくなるような美貌の女性だ。
なにより、ベルは彼女の顔を見たことがある気がした。どこで見たんだっけ――思い出す前に、ザクセンに促されて席についた。
それを確認すると、デリベラートが立ち上がる。
「本日はグロスクロイツ城の晩餐会にお越し頂きまして、ありがとうございます……」
彼女の姿をもう一度探したが、ベルの位置からは確認できない。視線を感じて横を見ると、落ち着きの無いベルをたしなめるように、ザクセンが睨んでいた。
「――それでは、どうぞごゆっくりとお楽しみ下さいませ」
デリベラートの挨拶のあとは、和やかな雰囲気で晩餐会が開始された。




