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ウィニタリウスは今夜はウーラの側にいたいとのことで、晩餐会はやはり中止となった。更に嵐のせいで馬車は出せなくなり、ユビルス一行は今夜はこの場に留まるしかなくなった。豪華な食事もなければ色男もいない。ベルには退屈な夜だった。
「あーあ……こんなことになるなんて」
ベルとザクセンは、開いた時間を再び応接間で過ごしていた。砂糖入れに用意されていたのは、この地方の名産である水晶砂糖だ。液体に入れると、パリンパリンと音を立てて粉々になり、結晶が星空のように漂う、美しい砂糖。これをたくさん紅茶に放り込むことくらいしか、今夜のベルには楽しみがない。
「デリベラートの手から逃れてゆっくりできるってのに、贅沢な奴だ」
「嵐の夜に草原に佇む城館に閉じ込められるなんて、事件の予感しかしない。ねえあんた何飲んでるの?」
「ワイン」
「うえ……何がいいのよ、お酒って」
「ガキにはわかんねえよ」
「ガキって年じゃないよ!私……」
廊下から足音が聞こえてきて、ベルはさっと姿勢を戻した。
「申し訳ございません。ただいまお部屋と夕食のご用意をいたしておりますので、もう少々お待ちくださいませ」
執事は平静を装ってはいるが、その声音に潜んだ疲れをザクセンは感じずにはいられなかった。
一方ベルは、この執事はよく見ると好みの顔立ちかもしれないと思っていた。
「どうぞお構いなく。突然の訪問だけでもお詫びをしなければならないのに、ウーラ様の体調が悪いとは夢にも思わず、ご迷惑をおかけしました」
頭を下げるザクセンと一緒に、ベルもとりあえずお辞儀をした。
そういえば、ザクセンもこんなに丁寧に喋ることができるのだな、とベルは思った。訪問のマナーもわきまえており(詳しくはわからないが、ベルはそう感じた)、そつなくこなしている。軍司令官ともなれば、剣や腕に覚えがあるだけでは務まらないのだろう。
「そのようなことは……!もったいないお言葉でございます。ウーラ様も、お元気でしたらご訪問をお喜びになったはずです」
「そういえば……公爵閣下が仰っていた、ウーラ様の夢とはなんですか?」
ザクセンの問いに、執事が悲しげに目を伏せた。
「……ウーラ様は、ウィニタリウス公爵家の次期党首でありながら、料理人になりたいという夢があったのです」
「料理人……」公爵家の長男にしては、珍しい夢だとザクセンは思った。そして、それは由緒正しき公爵家の跡継ぎとしては、到底許されないだろうとも。
そしてベルは、料理人という言葉に耳をぴくりと動かしていた。
「そのことで、たびたびウィニタリウス様と衝突しておりました。反発するように店に修行に出たり、晩餐会の折には席につかず、厨房に入ったり……その度にウィニタリウス様は禁止させたのですが、身分を隠して他国の王宮料理大会に出場されて……優勝されたので、ウィニタリウス様のお耳に入ってしまったのです」
「優勝……。それは、相当な腕前をお持ちだったのですね」
ただのお坊ちゃんの道楽ではなかったということだ。
「ええ。実は、私たち使用人によく料理を振る舞って下さったのです。何を作ってもウーラ様のお料理は素晴らしく……中でも水晶砂糖の一夜ゼリーは絶品でございました。夢のようなお味で、一度食べたら誰もが虜となるようなお料理でした」
話を聞いていたベルは、喉をごくりと鳴らした。
翌朝、ウーラの体調が嘘のように回復した。
「さあさあ、お二人とも!お召し上がりください!」
「……」
一夜ゼリーをはじめ、ウーラが作った大量の料理を昼餐で振る舞われる。ザクセンが状況に戸惑う横で、ベルは幸せそうに料理を頬張っていた。
「これは、グロスクロイツのご加護に違いありません!ユビルス姫がいらしてくださったから、ウーラは回復したのです!」
ウィニタリウスは上機嫌で何度も同じ事を繰り返した。昨夜の沈み込んだ空気は一転、城内は笑顔に満ちていた。天気は回復したものの、ウーラの回復を「ユビルス姫が来たからだ」と信じて疑わないウィニタリウスは、二人の滞在を懇願した。
「ユビルス姫は、私たちを導く力をお持ちなのだ。やはり、ユビルス姫がグロスクロイツの王に相応しい!」
ウィニタリウスがここまで言うのには、理由があった。
昨夜、ウーラが死の淵を彷徨いながら、”自分に祈りを捧げる金色の髪の乙女”を見たと言うのだ。そして、この城にウーラが見たような金色の髪をたなびかせる女は、ひとりしかいない。それがユビルス姫だった。
しかし、昨夜ベルは部屋を一歩も出ていない。彼女が夜中に抜け出して妙なことをしないようにと、ザクセンと供の者たちが夜通し見張っていた。何よりウーラの側にも医者たちがつきっきりだったはずなのだ。彼らの誰も、女の姿など――ましてユビルスの姿など見ていないと証言した。
「昨夜は、ウーラ様のため、心配でお部屋で夜通し祈らせていただきました……その祈りを、天におります建国の戦士たちが聞き届けてくださったのでしょう。わたくしの力ではございませんわ……」
隣で聞いているザクセンに鳥肌が立つほど、上品に作った声で嘘を並べる。
ウィニタリウスは感激のあまり瞳を潤ませながら、ザクセンの手を取った。
「ザクセン殿!我々の力で、ユビルス姫を王といたしましょう!ウィニタリウス家は、今後もユビルス姫に尽くさせていただきますぞ!」
「ええまあ……そうですね」
ザクセンの顔が引きつったことに、有頂天のウィニタリウスは気づかない。
「……テメェ、本当に何もしちゃいねえんだな?」
ようやく解放されたザクセンは、隣のベルに問いかける。
「だって、私が部屋にいたのなんかあんたがずっと見てるでしょ?」
「……まあ、そうだな」見張りに気づいていたのか、とザクセンは舌打ちした。何も考えていないように見えて、ベルの動物的な勘の強さには辟易する。
「そもそも、私に何ができるっていうのよ、そんな魔法みたいなこと。ほんと、、すごい偶然~」
ベルは脳天気に、ぱくぱくと料理を食べていく。ザクセンには一抹の疑念が残ったが、答えは出そうになかった。




