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生命機関とその主義運動  作者: yakutawa
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法人性の可能性

社会というお社


法律化するということは、社会を機関化する必然性が生じてくるということだ。


私達は創造してきた。


世界の始まりという概念を、そして終わりという概念も同時に、実際の現象や経験と観点を用いて概念としたのだ。


更に、神様というイメージ像を思い浮かべて、世界の構造に意図と意義を感じさせた。


私達は神様をお寺にご本尊として納め、お社を作って礼拝する事で心を清め、願掛けなどをするのだ。


社会は文化、機関、媒体の役割を機能している。


全てが創造の産物なのだ。


私達の言語も、全て私達の創造の産物である。


常識や習慣、日常の凡ゆる所で幾らでも使われているが、私達独自の意思疎通が絶え間なく事実、創造されている。


これは当然だからではない。


必要に合わせて言語や感覚を使いたいから使っているだけなのだが、時間と空間に作用させている時点で何らか影響や効果が生じる。


詰まり私達は人知れず創造しているのだ。


生きる、生きているという当たり前・前提は命題以上の命題、不思議以上の現実なのだ。


当然と高を括るのは不遜と言える。


社会という、全ての人で出来上がっていて、全ての物事で出来上がっている機関、まさに生命機関。


だが生命という、核心から観て捉えれば、社会とは一つのツールに過ぎない。


創造は創造を産み、我々の社会と機関を発展させるのだ。


その中の最低限の注意事項・条件・ルール、法律として機能している。


集団性の中で機能している条件・バランサー・細則として機能するのだ。


どの生物にも特有の生命運動がある。


人には法人性という中立的・普遍的・全能的な立場と条件を見出す、潜在意識がある。


私達は法人性と潜在意識を備えているが、それを持ってしても、履き違えた狭義・理不尽な言動・平然と自分勝手を押し出しすなどをする。


私達はそれらの言動を明らかに行使しているいて、その効用を良い結果へと向けられていなのだ。


資本主義社会では、個々人に全機能性を放任している。


この集団性に欠ける社会性が機能不全を起こし社会問題となるのだ。


私達は法人性を創造し、行使・保持・維持・操作・作用する事が出来る。


私達は生きている事自体が既に権利であり、更に活動する事自体が既に利益である。


生きている事自体が自然の摂理という、摩訶不思議な現象なのだ。


生命そのものは善悪を超えて、不安や恐怖・絶望や迷いも超越した、珠玉の現象である。


だが、その生命観に対する全体性・統合性・統合性がいかに機能していないことか?


更にその全体性の中で生活している我々自体がいかに、生命力という無尽蔵の機能・能力を活かせていないことか。


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