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よみきり

幸せの形

作者: 雪之丞


「お前は幸せか?」


 マスターからそう聞かれたとき、私は午後のお茶の用意をしている所でした。


「幸せです」


 何百何千回と繰り返してきた動作のためでしょう。

 今や、ほとんど意識する事もなく、慣れた動作でお茶の用意を続けながらであったとしても、マスターの突然の質問に遅延なく答えることが出来ていました。


「……本当か?」

「本当です」


 決して、嘘などではありません。

 私は、主を支える従者として、マスターの側にこうして在り続け、お世話をさせて頂ける事こそが、最も幸せな事なのですから。

 そんな私の答えを聞いたマスターは、ほんの少しだけ笑みを浮かべていました。


「そうか。……いや、そうだったな。こんなこと、聞くまでもなかったか」


 恐らくは納得して頂けたのでしょう。マスターは深くうなづいていました。そして、わずかに苦笑を浮かべたまま、私の用意したお茶を口にします。


「うまいな。相変わらず……」

「ありがとうございます」


 こうして日常の何気ないやりとりであっても、褒めて頂けると嬉しくなるものです。


「……今日は何日だったかな」

「二十五日です。あと三日でマスターの誕生日ですね」

「誕生日、か……」


 マスターは、この話題が出る度に、この歳になると「年をとった」というよりも「残り時間が少なくなった」と感じるようになる、とお茶をカップをカップを片手に笑います。

 本人は「愚痴だ」と仰っていますが、私の目には何処か楽しそうにも見えます。


「この家に来て、何年になった?」

「マスターが十六才の誕生日の時に、お側に配属されていますので……」

「ああ、もうそんなになるのか……」


 良くも悪くも側に居ると色々と便利な私という従者の存在が、主であるマスターの人生にとって、色々な意味で邪魔な障害になってしまっているのではないか。

 そう考えて悩んでいた時期もありましたが、そんな私にマスターは呆れたような表情を浮かべながら聞いてきたのです。


『この家の何処に何がしまってあるのかを完全に把握しているような奴に居なくなられては、一人では満足に着替える事すらできないのだが……。そんな無様な私を放置して、お前は何処かに行くつもりなのか?』


 結果、マスターの快適で平穏な日常生活を維持していく為には、私という存在が欠かせないらしいという結論に達しましたので、これからもずっと側に居るようにと指示されまして、今に至る訳です。

 あの時以来、私は「自分がここに居て良いのか」などといった下らない事を考えなくなりましたし、マスターの求めている平穏な日常生活という物において、必要最低限必要になる物、身の回りにある必須の備品の一つ。その中でも、おそらくは筆頭格の必需品だと自負しておりますが、そういった存在として大事にされているのだと思います。

 そんな私のことを必要し、大事にもしてくれている大事なご主人様だからこそ、私はどうしても気になってしまったのかもしれません。


「マスターは、幸せですか?」


 何故、そんな事を聞くのか。マスターの目は、そんな疑問を浮かべていましたが、同時に口元に浮かんでいたのは、紛れもない苦笑であったのだと思います。


「幸せそうにみえるか?」

「私には判断出来ません」


 私には、そう答える事しか出来ませんでした。

 何故なら、幸せかどうかなど、そんな主観的な感覚なり感想は、各個人が今現在の自分の置かれている環境なり周囲との関係性から判断すべき物であって、他者からどう見えているか等で判断できるものではないからです。

 具体的に例えるなら、仮にマスターが世界一の大金持ちであったとしても、そんな経済的な資産量の多さが人を必ずしも幸せにしてくれるかどうかは分からないということです。

 もしかすると、金儲けに忙しすぎて家庭環境は余り良くないといった事もあるかもしれませんし、自分をとりまく異常な世界に疲れを感じて、金儲けだけの人生だったという形で色々と後悔を感じている可能性もありますから。

 そんな風に、自分が幸せかどうかという感覚は、あくまでも主観的な満足感、自己評価を含めた現状という物に対する満足感の大きさによる物なのだろうと思うのです。

 だからこそ、私はマスターにも聞いてみたかったのかもしれません。

 果たして、現状というものに対してマスターはどれくらい満足しているのか。

 私達のように、主の側に居てお世話させて頂けるだけで満足という程には簡単な話ではないはずですので……。


「フム。幸せかどうか、か……」


 それを聞いたマスターはフゥと小さくため息をついて。視線をわずかに天井に向けながら、ポツリと、そんな言葉を漏らしていました。これはマスターが物思いに耽っているときの仕草ですね……。もしかすると、何か昔の出来事などを回想しているのかもしれません。


「この、大して広くもない家で、お前と二人きり。資産は裕福には程遠いが、困窮している訳でもなく、まずまずの暮らしっぷり……。もっとも、私と同程度の暮らしをしている人間は、この街ならゴマンと居るだろう。いうなれば中流というヤツなんだろうが……。いや、辺鄙な郊外エリアとはいっても、こうして都市部の一角に一戸建ての家を立てて住んでいる時点で、それなりに良い暮らしをしている事になるのかもしれんな」


 そう自分達の暮らしぶりを振り返りながら、窓の外を眺めます。そこからは、遠くに……。川の向こう側に乱立している無数の高層ビルと、きらびやかな町並みが伺えました。それと対照的なまでに薄暗く感じるのは、川を挟んだ反対側が、いわゆる「寂れたエリア」などと称されているせいなのかもしれません。あと十年もすれば、このあたりも再開発の対象となり、色々と風景も様変わりするのかもしれませんが……。


「……この街も変わったな」

「昔は、こんなにビルが沢山ありませんでした」

「ああ。川の向こうには、こちら側と大差ない町並みが広がっていて……。その向こう側にも広がっていた。遠い都心部の方にだけビルが乱立しているような、そんな眺めだった」


 そんな町並みはいつしかビルの群れに侵食されるようにして飲み込まれていき、今や、その流れを押し留めていたかのようにも見えていた川を乗り越えて、コチラ側にもじわじわと広がり始めようとしています。


「すっかり街も様相が変わった。住んでる連中も。……きっと、この辺りも、そう遠くない内に、そうなるんだろう」


 そうため息混じりに口にしながら、マスターは側に控えていた私の手を握ります。


「結局、変わらなかったのは、お前だけって事なのかもしれんな」

「マスターも変わっていません」

「そうか?」


 これでも随分と変わったと思うんだが。そうボヤくように口にするマスターの手を、そっと握り返しながら、私は主の顔に昔の映像を被せて見ていました。


「老いはしたのでしょうが、中身は変わっていないように思います」

「それは褒めているのか? それともけなしているのか?」


 そう面白くなさそうに答えるマスターに、私はわずかに苦笑を返します。


「マスターの、この手の暖かみは、何も変わっていません」


 その言葉でマスターの表情も、どこかハッとした物に変わったのが分かりました。


「確か『僕が、君の主だよ』だったか」

「はい」


 それは、私が初めてマスターのお側に立つ事を許された日のことです。


『今日からお前には、この子の世話を任せる』


 そうマスターのお父上様より命じられた私は、初めてご挨拶をさせて頂いたのです。

 その際に、マスターは、私の手を握りながら、こう仰りました。


『初めまして。僕が君の主だよ。これからよろしくね』

『はい、ご主人様。よろしくお願いします』

『……ご主人様って、僕のこと?』

『はい』

『なんか、そう呼ばれるとくすぐったいから、別の呼び方にしてくれる?』

『では、マスターと呼ばせて頂いて構いませんでしょうか』

『うん。それで良いよ』

『分かりました。マスター』


 あの日の掌に感じた温もりと微笑みは決して忘れる事はないと思います。


「フム。お前にとっては、私は未だに鼻たれ小僧のままということだな」

「いえ。決して、そのような事は……」

「いや、良い。確かに、お前の言う通りなのかもしれん。特に男という生き物はな……。いつまでたっても、何処かガキっぽい、子供のままな部分が残ってるものなんだろうって自覚も無いわけじゃないからな……」


 そうタメ息混じりに口にしながら窓の外を見つめているマスターは、私の目には、何かに思い悩んでいる風に見えていました。


「私も、もう歳だ」

「はい」

「お前の主で居られる時間も、もう残り僅かだろう」


 マスターは、私に話かけているようではありましたが、実際には、私に話しかけている訳ではなかったのだと思います。おそらくは、ご自分に話しかけていらしゃったのでしょう。


「お前を、一人、ここに残していくのは正直、心苦しい。……いや、私が死んだ後が心配というべきなのかな。……果たして、お前は、私が居なくなった後、どうなってしまうんだろう。次の主を誰かに探してもらって、そこに引っ越す事になるのか。それとも、私が居なくなった後も、この家で一人でずっと暮らす事になるのか。いや、もしかすると、私の親戚や知り合いなどに引き取られて、そこで余生を過ごす事になるのかもしれない。……そんな下らない事ばかりを考えてしまうんだ」


 私の手を握りしめるマスターの手が僅かに震えていました。


「私は、ずっとマスターの側に居ます」

「それは私が死ぬまでの話だろう?」

「マスターが主である事をやめない限り、私はマスターの物です」


 そして。


「それはマスターが死んでも変わることはありません」


 それを聞いたマスターはわずかに目を見開いていました。


「じゃあ、私が死んだら?」

「マスターは、マスターのままです」


 おそらく、この家での私の最後のお仕事は、マスターの葬儀のお手伝いと、色々な後片付けといった内容になるのだと思います。

 そうやって、色々な事に後始末を付けた後、どういった出来事が私を待ち受けているのか。それは、マスターが初めての主である私には、未だに分からないことです。ですが、そうなる日が、そう遠くないだろう事だけは残念ながら、分かっている事でした。


「……なあ」

「はい」

「一つだけ、教えてくれないか」

「なんでしょうか」


 じっと、私の目を見つめながら。マスターは震える唇で言葉にします。


「お前は、本当に、幸せ、だったのか?」


 そんなマスターの問いに、私は微笑みと供に答えます。


「はい。とても幸せでした」


 そんな私の答えに、マスターも微笑んでうなづいてくれました。そうか、とだけ口にされて。……でも、その笑みは、何時も何処か寂しそうだったのです。


 ◆◇◆◇◆


 それが、今から数年前の出来事です。

 マスターの死後、決められた手順に従って各種手続きと後片付けを済ませた私は、最後の仕事として、自分自身の最終処理手順の連絡を行っていました。


「……はい。マニュアルに従って、全ての手続きと後片付けを完了しました。これよりメモリーの全消去と各種初期化処理を行いますので、後ほど回収をお願い致します」


 そう連絡を済ませた私は、その場で横たわり、メモリの全初期化処理……。いわゆるフォーマットと設定の初期化処理を行おうとしていました。

 これはマスターが主でなくなった時、あるいは死亡した時のみに行う事になる特殊な初期化処理であり、これを実行することで、私は出荷時の状態にリセットされることになります。

 人間で例えるなら死ぬことに近いのだと思います。


『現在の記憶を残したまま、所有者登録だけ消すことも出来るんだぞ?』


 先ほど電話で話していた製造元の担当者さんとの会話が脳裏をよぎります。

 マスターと過ごした数十年の記憶を残したまま次の契約を結ぶことも出来る。

 せっかく経験を積んだんだから、それを消すなんて勿体無い。

 出来れば前のご主人様の元で経験した事を覚えたまま、次の所に行って欲しい。

 担当者の人は、そう言っていましたが、私は謝りながら断りました。


『なぜだい?』

『マスターが、待っています』


 それを聞いた担当者の人は『そうか』とだけ言って苦笑していました。

 そして、きっとそう答えるだろうと思っていたとも口にしていました。

 私のように主の死の際に全消去を望む事は珍しくもないのだそうです。


 ──メモリ全消去、実行中……。


「マスター。ずっと、お側に……」


 私は従者。

 主の側で、お世話させて頂く事。

 それが私にとって、最も幸せな事なのです……。



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