アールルイス--トロイメライ--
はるか昔のことでした。
そこは数ある海辺の都市の中でも、交易によって最も栄えているところでした。
澄み渡る紺碧の海には、珍しいものを積み込んだ大小さまざまな船が行き交い、黒い丘の裾野には、石灰石でできた家々が太陽の強い日差しで白く輝いて並んでいました。
外国からの品を他の都市へ輸送するために、港からこの年の城門に続く大通りは、その年が船による大交易都市であるということを示す立派な石畳で舗装されていました。
そんな大通りでは、交易船の一番多くやってくる日に定期市が開かれていました。食べ物や装飾品、古い書物や骨董品に戦利品など、異郷のものも土地のものもここならすべてそろうのです。
地元のオリーヴ商人を相手に片言で値踏みを試みる人、凝った細工の美しい首飾りや髪飾りを眺める人たちというように、大通りは息苦しいほどに活気づいていました。
そんなにぎやかな市場を、一人のある旅人が立ち寄りました。
バンダナを目深にして大きな外套を着込んだ旅人は、いましがた船から降りたところで、堅い地面の上でもまだ足元が揺れているような感覚で立っていました。
ぼんやりと大通りを眺めていると、細長い生地を輪にして香ばしく焼いたものをほおばっている人が目の前を通り過ぎました。旅人はそれを見て不意に空腹に襲われました。船に乗ってこの地に降り立つまでの間、船酔いで何も口にしていないことに気付いたのです。旅人は何か食べようと思って、雑踏の中に入っていきました。
すれ違う異郷の行商人たちは鮮やかな色と奇抜な服装だったので、地味な外套と目深のバンダナという旅の恰好は、目立ちませんでした。
人の波にもまれるようにしながら城門に向かって歩くと、立ち並ぶ屋台の数や人が少なくなっていきます。並ぶ人が比較的少なく、おいしそうな甘いにおいを漂わせている屋台があったので、旅人はそこに立ち寄ってみることにしました。
その屋台には、蜂蜜のかかった焼き菓子が売られていました。残念なことに輪の形をしたあの食べ物は見当たらなかったので、ここの屋台の主らしい中年くらいの女に尋ねてみました。愛想のいい笑みを浮かべて彼女は旅人を見ています。
「ねえ、輪の形をした食べ物はどこで売っているの?」
どうしても例のあれが食べたかったので、旅人は率直に聞きました。
女は不機嫌な顔をせずに、むしろ申し訳なさそうに答えました。
「ああ、クルーリのことかい? それならすまないね、今さっき売り切れちまったところさ。クラビエゼスならたくさんあるんだけどね……。ところで、あんた旅人かい? 肌の色や顔立ちはあたしらと変わらないが、目が空の色みたいに青いね。どこから来たんだい?」
女の黒い目が、好奇心にほんの少しの警戒を混じらせて旅人を見つめていました。その視線を防ぐためのバンダナでしたが、目の前の鋭い観察眼には無に等しいようでした。
旅人の、白い肌にまっすぐな鼻は、確かにこの都市を含めた地方の人々の特徴でした。そこに黒い瞳であればこの土地の出身だと思われたでしょう。
しかし、旅人の瞳は青でした。明らかにここではなく、海を越え、ずっと北の果てにある地域の民族が持つ特徴でした。
「海を越えてすぐの国です」
嘘ではありませんでした。確かに旅人は、海を越えてすぐの所から来たのですから。
女はふーん、と警戒の色をほんの少しだけ解きました。しかし、好奇心のまなざしは変わりません。
「あんたみたいな眼の色をしている人間を、あたしゃ見たことがなくてね。理由は知らないが、最近剣士や弩士が珍しい色の瞳を持つ人を厳しく取り締まっているらしいよ……。取り締まりを受けた人で、戻ってこないのもいるから、あんたも気をつけるんだね……。ところで、あんたのいた国の人は、そんなきれいな目の色をしているのかい?」
旅人はその言葉を聞いて驚きました。今までこの瞳の色を、きれいだといった人がいなかったからです。
「この色は……っ!」
突然背後に妙な視線を感じて、旅人は言い淀みました。
◆◇◇
なにげなく視線のする方を横目で見ると、人ごみでも明らかに目立つ人間が、こちらとは反対側の方にいました。
道行く人の頭一つ分、いや、二つ分飛び抜けたその人の背の高さもそうでしたが、ひときわ目を引いたのは、その背に負った大きな剣でした。鍔は細く前後に伸びて、剣身は彼の背に隠れて見えませんでしたが、背負っているということは相当の長さでしょう。まるで十字架のようでした。
その人物は好奇の視線を旅人に向かって投げていました。
思わず顔を戻すと、女が説明してくれました。
「ありゃあ、この都市の剣士だね。けど、いつも一緒にいる弩士がいないねえ。いつも二人一組で巡回しているっていうのに。もしかしてあれにはまだ弩士がいなくて、旅人さんはべっぴんさんだから、相棒にしようとしているんじゃないのかい?」
女店主が身を乗り出してこちらの顔を覗き込んできたので、旅人は身を引かざるをえませんでした。
「まさか。私は自分のことしか守れない流浪の旅人です。きっと人違いでしょう」
剣士の視線はあきらかに、地味色の外套に隠れた刀にありました。柄頭に見事なサファイアがはめ込まれ、柄が同じ色で染められたものです。
--あの人は剣士この刀を見たのか? しかし、どうやってこの人ごみの中で……?--
旅人はそう思って柄に手をかけると、柄がかすかに震えたように感じました。それと同時に剣士がこちらへ近づいてきました。
--間違いない。殺気を感じているんだ--
とにかくこの場を離れようと、旅人は菓子を一つ取りました。
「これをひとつ」
旅人は代金を支払おうとすると、図太い声で呼び止められました。それと同時に、なぜか女が石のように固まってしまいました。
「おい、そこのバンダナをしたもの。その腰にさしているものを見せろ」
たとえ人通りが少ないといっても、道行く人の方がぶつかるくらい混んでいました。その中をかき分けてこちらへ横断してくるには、それなりの時間がかかるはずでした。
硬直したままの女店主の手に代金を握らせましたが、硬貨を取り落してしましました。
「何のご用でしょうか?」
旅人はゆっくりと振り返ると、女が固まってうろたえてしまう理由がなんとなくわかるような気がしました。
旅人の視界をすっぽりと覆ってしまうほどの肩幅。星空を見上げるようにしなければ、その人物が褐色の肌に黒色の瞳で、それと同じ髪をしているとは分かりませんでした。まるで巨人のような剣士だと、旅人は思いました。
「その腰に差しているものを見せろ、と言っているのだ!」
声までもそれのように、あたりを震えさせました。行きかう人々はその声に振り向き、あっという間に剣士と旅人を取り巻いてしまいます。
「はて、何のことやら」
旅人が飄々として答えると、剣士は怒号を浴せました。
「とぼけるな! それを見たことがあるぞ。北の辺境地に住む青い瞳の民族が持っている、青竜刀とかいう武器だ! おまえはどこから来た? 答えなければ……」
周囲がざわめきました。剣士が背中の柄に手を伸ばしたのです。
「なんと物騒な! 周りの人々が怖がっているじゃありませんか。それとも、ここの剣士はそんなに気が荒いのでしょうか」
剣士は旅人の言葉にはっとして、周囲を見ました。 都市を守るで剣士や弩士で、異色の瞳をもつ者を厳しく取り締まろうとも、むやみに人を斬っていいはずがありません。苦虫をつぶしたような顔をして、剣士は旅人を睨みつけました。
「出身はこの女に言いました。彼女に聞いてみてください」
旅人に指された女は「ああ」としかいいません。
「では、これにて失礼」
旅人が颯爽とその場を立ち去ろうとした、その時、
「待て。この都市へ来る前に検問所の調べを受けたはずだ。それを証明する紙をみせろ!」
旅人はゆっくりと振り返って、外套の中に手を入れました。その内ポケットにある証明書をひらひらと振って見せようとしました。
しかし、旅人は外套の布地に触れるばかり。紙の感触などありませんでした。焦りながらも、冷静にここへ来るまでの出来事を思い返してみました。
--船に乗っている間、たしか酔って倒れそうになった自分を支えてくれた人がいた……--
「あ、あの時か……!」
旅人の背中に冷や汗がどっと流れました。
「持っていないようだな。さあ、一緒に来てもらうぞ!」
旅人の蒼白した顔を剣士は見て、旅人の腕をつかもうとしました。
「誰があんたと行くもんか!」
旅人はそう叫んで、剣士の丸太のような腕をするりと抜けて、走り出しました。
「待て!」
剣士が周囲の人々を押しのけながら、旅人を追いかけました。
◇◆◇
白亜の壁と灰色の石畳がどこまでも続く小さな路地は、旅人の方向感覚を麻痺させました。おまけになだらかな上り坂が続いているので、足が重くなっていきます。それに追い打ちをかけるようにして、剣士の追ってくる音がしました。
--ここで捕まってたまるか! この都市の向こうへ行くんだ!--
旅人のそんな思いが、重くなってゆく足を動かし続けました。
旅人の旅人たる理由。それはその青い瞳でした。
旅人の故郷には、誰一人青い瞳を持った人がいませんでした。旅人と会うものは皆、その瞳の色を見て、まるで見てはいけなかったものを見てしまったような表情をするのでした。
なぜ、肌や髪の色は周囲と同じなのに、瞳の色だけ違うのか。その疑問が長い間旅の心を苦しめてきました。母親が、旅人の亡父の先祖が青い瞳を持ち、戦闘能力にたけた北の民族であるということを打ち明けるまで。その民族が、周囲からは神の使いだとか、侵略者だと忌み嫌われている、という事を話してくれるまで。
--その土地へ行って北の民族に会いたい。そして、彼らに自分を認めてもらいたい--
旅人の心の中に、突如としたその思いが現れました。その目的を果たすため、北の辺境地へ至るために一番近いとされるこの都市に赴いたのです。
突然旅人の足が止まりました。行き止まりにぶつかってしまったのです。三方は白い壁に囲まれて、頭上の蒼穹に続くように、黒い梯子のような会談がその壁に伝うようにありました。
--路地がだめならば、屋根か!――
重く感じる足に無理やり力を込めて地面をけり上げ、旅人はその階段を見るなりかけ上がって、屋上へ出ました。
そこには、混じりけのない色をした空と、白く平坦なテラスのような屋根が、上下並行にどこまでも広がっていました。
一瞬その光景に旅人は見とれてしまいましたが、剣士の階段を上る音が聞こえたので、走り出しました。
たん、と旅人は軽く助走をつけて、ひょいひょいと簡単に家から家へ飛び移ります。追ってくる剣士のほうはきっと背中の剣が邪魔をするだろう、と思って後を振り返りました。
「ここまでくれば……な?」
旅人はバンダナを押し上げて眼を瞠りました。軽々と背中の剣を器用に手で押さえて、まるで水たまりを飛び越えるように、易々と家から家へ飛び移る剣士の姿が見えるではありませんか。
その光景は巨人が跳ねているようで滑稽でしたが、こうしてはいられません。あれではすぐに追いつかれてしまいます。
駆けるように、旅人も次々と家の屋根を飛び越えました。
のんびり海を眺めている老人を後から飛び越え、丸いドーム状をした屋根の手前を、軽くジャンプしてそれを超えました。まるでウサギとクマが追いかけっこをしているようです。
旅人が再び立ち止った先には、白亜の平たい屋根はなく、絶壁のようでした。後ろを振り返ると、剣士がどっしどっしと、屋根を壊さんばかりに追ってきます。
「……しつこいな」
旅人は舌打ちして足元を見ると、何やら騒がしくなっていました。どうやら大通りに面した家の上に立っているようです。人々が旅人を指さして何か言っているようでした。その先は、紺碧の海が広がっています。
旅人を追う剣士の足音が、近くまで聞こえました。もう逃げるところと言ったら、下の大通りしかありません。
一か八か。旅人は屋根から飛び降りて、人垣をすり抜けて海の方向へ走りました。その背後で、重量のある音がしたかと思うと、悲鳴が聞こえました。どうやら剣士は通行人をなぎ倒しながら旅人を追っているようでした。
◇◇◆
力の限り走ると、突然旅人の視界に青が飛び込んできました。
眼前には、全てを飲み込むほど深く、どこまでも同じ色をした碧海が広がっていました。そして一切の汚れを許さぬほどの真っ青な空が、海と水平線をなしていました。旅人の右手には、城塞のような検問所が海に臨み、左手には、船がずらりと石の桟橋沿いに並んでいるのが見えました。
ガン。幅広で長大な鞘が旅人の顔すれすれに飛んできて、桟橋に突き刺さりました。
ヒュッと何かが旅人の頭上をかすめたかと思うと、バンダナがはらりと落ちました。褐色の髪がこぼれ、青い瞳があらわになりました。
旅人が後ろを振り返ると、剣士が鞘から抜き放たれた大剣を握って、遠からず立っているのが見えました。寸分の狂いなくまっすぐに伸びた剣身は鋼鉄色で、その長さは剣士の胸辺りまでありました。その異常な大きさも相まってか、剣が鈍重に見えました。その大剣から、市場で感じた殺気を旅人は感じました。
「その青い目……。やはりおまえは北の民族だな!」
--あんたのいた国の人は、そんなきれいな色の目をしているのかい?――
剣士がそういうのと同時に、旅人の頭の中で、あの屋台の女店主の言葉がよみがえりました。旅人は無意識に腰に手を伸ばし、柄を握り鞘から刀を抜いていました。
現れた白銀色の刃は、強烈な太陽の光を受けて輝いていました。青竜刀独特の、先端に向かって幅を広げながら反っている形は、叩き斬ることを得意としました。
旅人はぴたりとその刃を剣士の胸辺りに定めると、これまでの感情をぶちまけるように言いました。
「『青い瞳の異民族』、『青い侵略者』……。そんなに青が異様か? さまざまな色の目をした人間を受け入れても、なぜ青だけを蔑む? この色が人間の持つべきものではないからか? だがそれを持つ私と北の民族は立派な人間だ! 都市を守る剣士と弩士が、偏見によって目を濁らせていては、守れるものも守れるはずがない!」
「我等を侮辱するとは、いい度胸だ!」
剣士が雄叫びをあげ、軽く地面を蹴って大剣を振るうのと同時に、旅人の体と青竜刀が滑らかに動きました。繰り出すべき技はその手に握る相棒が導いてくれるかのようです。
一跳躍、一撃。剣撃の音。軽快に繰り出される一撃の度に火花が散り、激しい音がその後を追います。しかしその時には既に次の一撃を繰り出して、刃と刃が切り結んでいました。
青竜刀が縦横無尽に斬りつけても、大剣はそれを正確に受け止めて撥ね返します。大剣が軽々と大きく弧を描くように振り下ろされても、青竜刀は十字に切り結んでその圧倒的な力を流します。一つ一つの剣撃が不思議なまでに符合して、一瞬誤れば自分の技でさえ、己の命を落としかねないくらい激しいそれは、流麗で危険で……美しいものでした。
青竜刀の刃は斬りつけるたびに鋭くなるようで、切り結ぶ音も研ぎ澄まされ、鏡のような輝きを帯びて、シュッと剣士のマントを鮮やかに切り落としました。
剣士は後ろへ跳び下がり、ぐおんと鋼鉄色の大剣を大きく横に振って構えなおしました。
「叩きつけるようにしても、その刃は歯こぼれをしない。むしろ鋭くなってゆく……。異民族らしく不気味だな!」
剣士が大きく剣を振り上げたかと思うと、突如紅蓮の炎が大剣から現われて、剣士とそれを螺旋状に包みました。
そもそも一つの都市につき、剣士と弩士の組は四組ずついました。彼らは、都市を構成する基礎である〈風〉、〈水〉、〈炎〉、〈土〉、これら四つを一組に一つずつ、力として持つことで都市を守り、維持していました。そして、今大剣を振りかざしている剣士は〈炎〉を持つ者でした。
剣士は、圧倒的な殺気を紅蓮の炎に変えて大剣に纏い揺らめかせながら立っていました。それは地獄の業火を司る巨人のようでした。
「……元素守護霊(スティヒオ=アミナ)か。お前の口、二度と聞けないようにしてやる!」
たん、と軽く地面を蹴って旅人は碧海を背にして後ろへ下がり、青竜刀を持ちあげました。刃の切っ先を天空に向け、柄にはまっているサファイアを額にあてて、静かに目を閉じました。まるで、捧げものを持って祈るかのように。
「信じてるよ」
一瞬、旅人の背後にある空と海の水平線がぼやけて、互いの色が混じり合ったかのように見えました。
「これで終わりだ!」
剣士が叫んで大剣を振りおろしました。何本もの火柱が渦を巻きながら旅人めがけて突進してきました。
旅人がかっと眼を開くと、青竜刀は深い海青色の焔を纏っていました。軽く跳ね体を軸にして独楽のように大きく横に薙ぎました。
青竜刀から放たれた焔が、飛びかかってくる業火を真っ二つに切り裂きました。その端から、「紅蓮」を「海青」の中へ引きずり込むように啖っていきました。
なおも火柱だけでは飽き足らず、焔は一瞬にして剣士の目の前まで飛んでゆきました。そして大剣を介して剣士の纏っている〈炎〉さえも飲み尽くしてしまったのです。
「うおお!」
驚いた剣士は大剣を振り回し、体をねじって、海青色の焔を払いました。
もはや剣士の〈炎〉は跡形もなく消えうせ、大剣はくすんだ色をして何の気配もありませんでした。
呆然と立ち尽くす眼前の巨大な体は、突如として鋼鉄色の大剣を振り上げ、旅人めがけて狂ったように突進してきました。
旅人の握る白銀色の刃には既に海青色はなく、そこには鮮やかな蒼空色の焔が既に現れていました。旅人も青竜刀を振り上げて突進しました。
「蒼空」を纏う白銀がはやいか、それとも「錆色」の鋼鉄が先か。
ガン。「蒼空色」の青竜刀が、振り下ろされた「錆色」の大剣を、切結んだところから皹を生じさせて粉々に砕きました。
「なに!?」
瞠目した剣士の脇腹を、旅人は身をねじって大きく円を描くように勢いをつけて、蒼空色を纏った白銀色の刃で切り裂きました。
鮮血があがると同時に、三日月形をした「蒼空」の焔が剣士の巨大な体を大きく後ろの方へ吹き飛ばしました。
剣士は大剣を握ったまま、吹き飛ばされた地面に倒れて動かなくなりました。
「偏見がお前の命を奪ったんだ。自業自得だ」
旅人は動かなくなったものに対してそう言うと、視線を青竜刀に移しました。蒼空色の焔は消え、汚れなき白銀色に輝く刃がありました。刀を鞘に納めて後ろを振り返りました。
「青は、今は孤独の色……。だけど北の地へ行けば、私を認めてくれる人達がいる。その時、青は私を定める色になる」
旅人はどこまでも深く澄んだ海と空を、その青玉色の瞳で眺めて、その場から立ち去りました。
その後、旅人を見たという人はその都市の中ではいませんでした。
◇◇◇
「はい、おはなしはこれまで。さあ、お迎えも来たことだし帰る支度をしましょうね」
五、六歳くらいの、顔立ちのよく似た男の子と女の子が大きく丸いじゅうたんの上で、女性の両脇に座って話を聞いていた。女性が柔らかく微笑むと、男の子がせがんだ。
「ええ、もうおわり? もっと聞きたいぃ」
女の子が女性の服を引っ張って言った。
「ねえ、おはなしに出てきた都市って、ここにそっくりだね! それに道や市場だって、プラティア通りみたい! それにそれに、旅人の持っていた刀なんて、あれみたい!」
女の子が小さな指で、暖炉の上の白い壁にかかっている古い刀剣を指した。
それは、長い年月のためか柄が色あせた青い色をしていて、柄頭には深い青色をした宝石がはめ込まれている。
女性は青玉色の瞳を細めた。微笑みながら両脇にいる子どもたちの頭に手を乗せて、柔らかい巻き毛を優しくなでた。
「そうね。……あの刀はね、私のひいおばあさんの持ち物だったのよ」
それと同時に、子どもたちを迎えにやってきた者が玄関の扉を叩いた。
「あらあら、長く待たせてしまっていたようね。さあ子どもたち、家へ帰りなさい。明日はクルーリとクラビエゼスを用意して待っているわね」
子どもたちはぴょんと立ちあがって、われ先にと玄関めがけて走り出した。
外は、夕暮れ時にはまだ早いが寒い季節が近づいてきているのだろう、灰色の空に、淋しそうに風が吹いて窓に当たった気がした。
--終わり--
クルーリ:練った生地を細長くして輪にしたものを、オーブンで焼いた、プレッツェルのようなもの。
クラビエゼス:パウンドケーキを、はちみつや果汁に漬け込んだもの。
ともにギリシャのお菓子です。
サファイアって、どうしてあんなに深い色なのに、澄んでいるんでしょうか。人をひきつけてやまない、まさに知恵を象徴する宝石だとおもいました。