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番外編2 クラリッサたちのその後

作者: Sophia Rose
掲載日:2026/05/30

クラリッサ・エインズワース嬢から手紙が届いたのは、正式婚約協議の発表から十日ほど経った頃だった。

 王宮法務局の私の机に、淡い菫色の封筒が置かれていた。

 差出人を見て、私はすぐに封を開く。


エリス様


突然のお手紙をお許しください。


先日、ラングレー家から持参金の最終返還が完了いたしました。

王宮法務局の皆様のお力添えのおかげです。


マーガレット様とセシリア様も、それぞれ返還手続きが進んでいると伺いました。


私たち三人で一度、エリス様にお礼を申し上げたいと思っております。

もしお時間をいただけるようでしたら、王都の小さな茶会へお越しいただけないでしょうか。


クラリッサ・エインズワース


私は手紙を読み終え、しばらく微笑んでいたらしい。

 記録係に「嬉しそうですね」と言われて、少しだけ咳払いをした。

「仕事の成果を確認できるのは、よいことです」

「そういうことにしておきます」

「記録係」

「失礼しました」

 数日後、私は王都の小さな茶会へ向かった。

 華やかな貴族サロンではない。

 王都南区にある、庭付きの小さな屋敷だった。

 客間には、クラリッサ嬢、マーガレット夫人、セシリア嬢がいた。

 三人とも、以前より表情が明るい。

 完全に傷が消えたわけではないだろう。

 それでも、もう俯いてはいなかった。

「エリス様!」

 クラリッサ嬢が立ち上がる。

「本日はお越しくださり、ありがとうございます」

「こちらこそ、お招きありがとうございます」

 席に着くと、マーガレット夫人が穏やかに微笑んだ。

「王宮法務局の方を私的な茶会へお呼びするのは、少し緊張しました」

「今日は、職務としてではなくお招きいただいたつもりです」

「では、少しだけ気楽にお話しできますね」

 マーガレット夫人は、商家出身らしい落ち着いた雰囲気の方だった。

 セシリア嬢は、最初こそ控えめだったが、お茶が進むにつれ少しずつ口を開いた。

「私、最近また社交界へ顔を出すようになりました」

「そうなのですか」

「はい。まだ怖いです。でも、以前のように隠れてばかりいたくなくて」

 その声は小さかった。

 けれど、しっかりしていた。

「私の婚約破棄は、私が冷たい女だったからだと噂されていました。でも、王宮法務局の再調査で、契約の問題と相手側の不誠実が記録されました」

 セシリア嬢は、カップを両手で包む。

「記録があるだけで、こんなに違うのですね」

「はい」

 私は頷いた。

「記録は、誰かが勝手に作った物語を止める力になります」

「本当にそう思います」

 クラリッサ嬢が、少し身を乗り出した。

「私も、以前なら“婚約者に愛されなかった令嬢”として見られていたと思います。でも今は、“不当な契約に声を上げた令嬢”と言ってくださる方もいるのです」

「それは、あなたが声を上げたからです」

「エリス様が背中を押してくださいました」

「押しただけです。立ったのはクラリッサ嬢です」

 クラリッサ嬢は、照れたように笑った。

 その笑顔を見て、胸の奥が温かくなる。

 この仕事をしていてよかった。

 そう思った。

 マーガレット夫人が、ふと真面目な顔になる。

「実は、今日はお礼だけではありません」

「何でしょう」

「私たち三人で、小さな相談会を始めようと思っています」

「相談会?」

「はい。婚約契約や持参金について不安のある令嬢たちが、王宮法務局へ行く前に話をできる場所です」

 私は少し驚いた。

 クラリッサ嬢が頷く。

「もちろん、法的判断はできません。ですが、“これはおかしいと思ってよいのか”と悩む方は多いのです」

「私たちもそうでした」

 セシリア嬢が続ける。

「いきなり王宮法務局へ相談するのは怖い。でも、同じ経験をした人になら話せるかもしれない」

 私は三人を見た。

 かつて、彼女たちは黙らされる側だった。

 家の名誉のために。  婚約破棄の噂を恐れて。  相手側の言葉に押されて。

 その彼女たちが、今度は誰かの声を受け止める側に回ろうとしている。

「素晴らしいと思います」

 私がそう言うと、三人の表情が明るくなった。

「ただし」

 私は付け加えた。

「相談会の内容によっては、王宮法務局へ正式につなぐ仕組みが必要です。相談者の名誉と安全を守るためにも、記録の扱いには注意してください」

「はい。そこで、エリス様に確認していただきたいものがあるのです」

 クラリッサ嬢が一枚の紙を差し出した。


婚約契約相談会 基本方針案


一、相談者の名前や相談内容を本人の許可なく外部へ話さない。


二、法的判断は行わず、必要に応じて王宮法務局への相談を勧める。


三、持参金、契約書、婚約破棄、名誉に関わる噂について、相談者が自分の状況を整理する手助けをする。


四、相談者を責めない。


五、「我慢すればよい」「家のために黙るべき」とは言わない。


私はその方針案を読み、胸が少し熱くなった。

 相談者を責めない。

 我慢すればよいとは言わない。

 その二つの文だけで、きっと救われる人がいる。

「よい方針だと思います」

「本当ですか」

「はい。ただ、三つほど追記を提案します」

 私は紙の余白に、ペンを借りて書き加えた。


六、相談者が希望しない限り、家族や婚約者へ連絡しない。


七、危険や脅迫がある場合は、速やかに王宮法務局へつなぐ。


八、相談者自身の意思を最優先する。


クラリッサ嬢は、書き加えられた文をじっと見つめた。

「相談者自身の意思を最優先する」

「はい」

「大切ですね」

「とても」

 私は微笑んだ。

「婚約は家同士のものでもあります。けれど、本人の人生でもありますから」

 マーガレット夫人が、深く頷いた。

「では、この方針で始めてみます」

「応援しています」

 茶会の終わり際、クラリッサ嬢が私を玄関まで見送ってくれた。

「エリス様」

「はい」

「私、以前は自分の婚約が破談になったことを恥だと思っていました」

 彼女は、庭に咲く菫色の花を見る。

「でも今は、あの時声を上げたことが、誰かの役に立つかもしれないと思えます」

「きっと役に立ちます」

「はい」

 クラリッサ嬢は、晴れやかに笑った。

「それと、私、次に婚約する時は、契約書を三日かけて読みます」

「三日で足りますか」

「では、一週間にします」

「その方が安心です」

 二人で笑った。

 帰りの馬車の中で、私は相談会の方針案の写しを眺めていた。

 小さな紙だった。

 けれど、それは確かな始まりだった。

 王宮法務局だけでは届かない場所へ、彼女たちは手を伸ばそうとしている。

 泣き寝入りは、美徳ではありません。

 かつて私がクラリッサ嬢に言った言葉。

 その言葉は、もう私だけのものではなくなっていた。

 誰かの中で形を変え、次の誰かを支える力になっている。

 私は窓の外を見た。

 王都の街は、夕暮れに染まっている。

 この街のどこかで、また誰かが悩んでいるかもしれない。

 けれど、その誰かはもう完全に一人ではない。

 クラリッサたちがいる。

 王宮法務局がある。

 そして私は、これからも記録を残し続ける。

 誰かが自分の人生を、勉強料だなんて言われずに済むように。

お読みいただきありがとうございます。


番外編その二です。

クラリッサ、マーガレット、セシリアのその後を書きました。

彼女たちもまた、自分たちの経験を次の誰かのために使い始めています。


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