第7話 父になる覚悟と、指輪の重さ
【令和2年】
ノートを閉じた信介は、しばらく動けずにいた。
縁側に置かれた腕時計の秒針の音だけが、やけに大きく響く。
「……美緒」
「なに?」
「父さん、この頃から、
俺のこと考え始めてたんだな」
美緒は小さく微笑む。
「生まれる前から、ちゃんと向き合ってたんだね」
信介は立ち上がり、押し入れの奥から小さな箱を取り出した。
遺品整理の途中で見つけたものだ。
「これ……父さんのだと思う」
箱を開けると、古い指輪が一つ。
派手さはないが、内側に刻印がある。
《K to M》
「……結婚指輪?」
「たぶん。
母さんのを、なくさないように父さんが預かってたのかも」
美緒は、そっと指輪に触れた。
「京介さんらしいね」
信介は、少し間を置いてから続けた。
「……俺さ、正直、結婚ってまだ先の話だと思ってた。
でも、この日記読んでたら……
“覚悟する”って、特別なことじゃない気がしてきた」
美緒は、信介の言葉を遮らず、黙って聞いている。
⸻
【昭和50年】
『父になる、という言葉が、少しずつ現実になってきた。
怖さと、楽しみが、同じ重さで胸にある。』
京介は、職場の帰り道、商店街の一角で足を止めた。
ベビーベッドや小さな靴下が並ぶ店先。
「……こんなに小さいのか」
手に取った靴下を、そっと握る。
家に帰ると、美咲が縫い物をしていた。
「それ……?」
「ああ。
まだ早いかもしれないけど」
京介は靴下を差し出す。
美咲は驚いたあと、目を潤ませて笑った。
「ありがとう……京ちゃん」
ノートには、こう記されている。
『守るべき存在が増えると、人は強くなるのだと思っていた。
でも本当は、守りたいと思えるから、強くなろうとするのだ。』
⸻
【令和2年】
「……父さん、かっこいいな」
信介は、ぽつりと呟いた。
「ね」
美緒は、そっと信介の袖をつまむ。
「信介。
さっきの話……続きを聞かせて」
信介は、少しだけ息を整えた。
「……俺さ、
“いつか”じゃなくて、
ちゃんと考えたい」
「……うん」
「まだ指輪を渡すとか、そういう段階じゃないけど……
一緒に未来を考える覚悟は、ある」
美緒は、驚いたように目を見開き、
それから、静かに頷いた。
「……ありがとう。
その言葉だけで、十分だよ」
二人の間に、言葉のない温度が生まれる。
信介は、再びノートを手に取った。
次のページには──
昭和50年、初めてお腹の子に語りかけた夜の記録が、綴られていた。




