第4話 休日の台所と、受け継がれる温度
【令和2年】
午後の陽射しが、リビングの床にゆっくりと伸びていた。
信介はノートを閉じ、しばらく無言のまま天井を見つめていた。
「ねえ、美緒」
「なに?」
「……俺さ。
父さんと母さんが、こんな普通の幸せを大事にしてたって、知らなかった」
美緒は小さく笑う。
「でも、信介の家って、不思議と落ち着くよね。
初めて来たときから、あったかい感じがしてた」
その言葉に、信介ははっとする。
「……それ、父さんと母さんが残した空気なのかな」
美緒はうなずき、ノートを指差した。
「続きを読もう。
きっと、その答えも書いてある」
信介は頷き、次のページを開いた。
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【昭和50年・回想】
『今日は休日。
美咲と二人で、初めて“ちゃんとした昼ごはん”を作ることにした。』
狭い台所。
エプロン姿の美咲が、少し張り切りすぎた声で言う。
「京ちゃん、玉ねぎ切って。
でも、目が痛くなったら無理しなくていいからね?」
「大丈夫だよ。……たぶん」
数分後。
「……美咲」
「どうしたの?」
「目、痛い……」
「もう、だから言ったのに」
笑いながらも、美咲はハンカチを差し出す。
京介は涙目のまま受け取り、照れたように笑った。
ノートには、こう書かれている。
『美咲に世話を焼かれるのは、悪くない。
むしろ、胸があたたかくなる。
この台所が、僕たちの城だ。』
料理は少し焦げ、味付けもばらばらだったが、二人は顔を見合わせて笑った。
「失敗だね」
「うん。でも、楽しい」
「じゃあ成功だよ」
そんな他愛ない会話が、休日の午後に溶けていった。
⸻
【令和2年】
「……ほんと、何でもない一日だね」
美緒が言う。
「でも、こういうのが一番幸せなんだよな」
信介はゆっくりと息を吐いた。
「俺、父さんがあんなに台所に立つタイプだとは思ってなかった」
「信介も、料理するときあるでしょ?」
「……確かに」
言われてみれば、美緒と一緒にキッチンに立つ時間が、嫌いじゃなかった。
信介はノートの最後の行に目を落とす。
『美咲が笑っている。
それだけで、今日はいい日だ。』
その一文を読み終えたとき、信介ははっきりと感じた。
父が生涯守ろうとした“幸せ”の正体を。
「……父さんの愛ってさ。
派手じゃないけど、ずっと続くやつだったんだな」
美緒は静かに頷き、信介の手を握った。
「信介も、きっとそういう人だよ」
信介はその言葉に、少し照れながらも、強く手を握り返した。
そして、ノートの次のページへ。
そこには、美咲が“ある決意”を胸に秘めた日の記録が始まっていた。




