第2話 新婚夫婦の朝と、父の知られざる弱さ
【令和2年】
翌朝。
信介は古いノートを胸に抱えたまま、リビングのソファで目を覚ました。
電気は点けっぱなし、毛布は美緒がそっとかけてくれたものだ。
「信介、起きた?」
キッチンから美緒の声がする。
振り返れば、彼女がコーヒーを二つ用意していた。
「昨日、ずっと読んでたでしょ。無理しないでって言ったのに」
「ごめん。でも……なんか、止まらなくて」
信介はカップを受け取り、ふぅ、と息をつく。
美緒は隣に腰を下ろし、少しの間、信介の横顔を静かに見ていた。
「ねぇ信介。
昨日の日記……あれ、全部読みたい? それともゆっくりにする?」
「全部読みたい。
……父さんのこと、ちゃんと知りたいんだ。
俺、まだ父さんのこと、全然わかってなかったんだと思うから」
美緒は軽く微笑む。
「じゃあ、今日も一緒に読もっか」
信介は頷き、2冊目のノートを手に取った。
ページを開くと、昭和50年の文字がふわりと現れる。
⸻
【昭和50年・回想】
『新婚生活、2ヶ月目。
美咲が作る朝ごはんを食べる時間が、僕の一日の幸福の源だ。』
その文字に合わせるように、情景が浮かぶ。
朝日が差し込む狭い台所。
美咲が味噌汁の味を確かめながら、
「京ちゃん、今日のはちょっと薄いかも……」
京介は湯気の向こうで微笑み、
「美咲が作ったなら、それだけでうまいよ」
「またそういうこと言う〜!」
そう言うと、美咲は照れたように近付いて、京介の肩を軽く小突いた。
京介は、そんな仕草を“世界の宝物”のように感じていた。
ノートの続きには、こう記されている。
『美咲は小さなことで心配する。
でも僕から見れば、彼女は毎日、完璧だ。
……実は僕の方がよっぽど不器用で、美咲に助けられてばかりだ。
そのことはまだ、彼女には言えない。』
⸻
【令和2年】
「……京介さんって、すごく正直な人なんだね」
美緒がそっとつぶやく。
信介はノートを閉じ、テーブルに置いた。
「正直というか……不器用だよね、父さん。
俺が知ってる父さんと同じだ」
「でも、信介の前では見せなかった気持ち、いっぱい書いてる」
その言葉に、信介は胸の奥が少しチクリとした。
「……俺、父さんのことを“強い人”だと思ってたんだ。
なんでも一人でできて、淡々としてて。
でも……こんなふうに弱いところ、あったんだな」
美緒は信介の手に自分の手を重ねる。
「弱いところを誰かに見せられるのって、強さでもあると思うよ。
美咲さんの前では、京介さんは素直になれたんだね」
「……そうかも」
信介はゆっくり頷く。
知らなかった父の姿。
知らなかった母への想い。
ページをめくるたび、それらが息を吹き返していく。
「続き、読んでみようか?」
美緒の声はいつもより優しい。
信介は静かに頷いた。
そして、ノートの次のページを開いた瞬間──
そこには父が決して語らなかった、“ある夜の記録”が綴られていた。




