1.韓国料理屋
「5年生存率、40%らしい。」
弘子はジュージューと音をたてて石焼ビビンバをかき混ぜながら言う。また卵の白身が固まり始めてしまった。これでは目玉焼きだ。卵と絡めたごはんを壁に押し付けて、おこげを作りたいのに。いつもただバラバラになった目玉焼きになってしまう。
「何の話?」
ずるずると冷麺をすすりながら沙織が尋ねる。冷麺の上に乗っているぺらぺらのリンゴを食べるタイミングって、最初なんだろうか、最後なんだろうか。
「私の話。」
そう答える弘子の声は、LINEで興味のない芸能人の結婚のニュースを見たときのように乾いていた。
「ごめん、全然話つかめてない。」
「先月、人間ドック受けたの。」
「うん、私もちょっと前に受けた。肝臓の数値が高かった。」
「それで、膵臓に小さい腫瘍が見つかって。」
「え、うん。」
「手術できない場所なんだって。」
「うん。」
「でも、進行の遅い腫瘍で、見つかっていなかっただけでずっとそこにあったかもしれないんだって。」
「ふん。」
「で、その病名を検索したら、5年生存率40%って出てきたの。」
弘子があまりにも淡々と話し続けるため、沙織はそっと顔をのぞき見る。
と同時に弘子がビビンバから顔をあげ、目が合う。
「あんた、今私が泣いてるんじゃないかって確認したでしょ。」
「してないよ。」
「じゃあなんで顔のぞきこんだの。」
「これから泣くのかなって。」
「そしたら?」
「泣かなさそうだった。」
「なんだそれ。」
フッと弘子が笑う。一応気遣いをしているポーズを示したので、沙織は遠慮なく意識を冷麺に戻す。
ここの冷麺は硬すぎる。ラーメンほど麺が柔らかくてはダメで、ぷつり、と切れないと冷麺ではない、というのが沙織の持論だ。だけど、歯に力を入れなければ噛み切れないようではお話にならない。
大学の卒業旅行で弘子と行った韓国で食べた冷麺に匹敵する美味しさのものに、日本では、ましてやこんな田舎ではなかなか巡り合えない。思い出が美化されているだけかもしれないが。
「それで?あんたはあと5年でどうにかなっちゃうわけ?」
「それが40%だから泣けないんじゃん。」
「まぁ、言っちゃ悪いけどピンと来ないよね。」
「でしょ?」
「てかさ、その40%ってのは病院の先生が言ったの?googleが言っただけ?」
「う…google先生が言っただけです。」
「インターネットなんて、咳ひとつ検索するだけで、行き着く先は死なんだよ。」
「一応先生にも、そうやって書いてあるんですけど、って聞いてみたの。そうしたら困ったような顔で、進行状況は人それぞれですから、なんとも言えません、としか言ってくれなくて。」
「気休め言わなくて良い先生じゃん。」
「一生その腫瘍はそこにあるだけで大きくもならずに悪さもせず、あなたはおばあちゃんになるかもしれないし、そことは関係なく他に病気が見つかってあっさりぽっくり亡くなるかもしれません、って。」
「そういうデリカシーの無い医者、好きだよ。」
「でもさー、あと5年、ってなると、ちょっと身の振り方考えるよね。」
弘子はスプーンでビビンバをつつきながら言う。上に乗っていたナムルのほうれん草は、熱で干からびて石焼の壁の装飾になってしまった。いつもなんとなく本格的な気がして石焼ビビンバの方を注文するが、私にはただのビビンバの方が向いているのかもしれない。
「仕事、やめよっかな。」
「まぁ、人生あと5年かもって思ったら最初にそれは思うよね。」
「てかさ、親友の命があと5年かもしれないって言うのに、なんか冷たくない?」
「だって信じてないもん。それにその先生の言い方だと、5年前からあったかもしれないってことでしょ?つまりあんたはもう既に40%側の人かもしれないってことじゃん。」
「・・・・そういうところ、賢いよね。」
「ありがと。それに自分の5年後だって全く予想できないのに。5年前、5年後の自分が何してると思ってた?」
「結婚して、子供産んでると思ってた。」
「私も。」
実際は、5年前と同じショッピングモールで、5年前と同じ相手と韓国料理を食べている。
「まぁ、とりあえず、弘子が飲みたいって言っては注文しなかったチャミスル、奢るわ。」
すみませーん、と大きな声で店員さんを呼んでチャミスルを注文する沙織を見ながら、親よりも先に、この付き合いの長い友人に話せて良かった、と弘子は思った。