51 火種
海流が流れる海底山脈に開けられた洞窟。
その中にはマーメイド達の里があり、族長の孫娘であるカンカが人間達との交易に使う薬効成分がある海中草を網の中に入れていた。
「カンカ様、人間の町に行かれるのですね」
「ええ、彼らにはこの海中草から作られる毒消しが必要なのですから、ちゃんと届けてあげないとね」
「あの町に行くまでの間、魔魚には注意してくださいよ」
突然海上に現れた靄はノームと呼ばれ、その中は湿度が高くマーメイドでもその中を泳げるほどだった。
そのノームが上陸し人間の生活圏にまで達すると、ノームの中を泳いで人間達の町まで行くことが可能となっていた。
だが、ノームの中は動く物を狙って串刺しにしてくる槍魚や、獲物が近づくと触手を伸ばして毒を打ち込んでくる浮遊魚に襲われるので、人魚族にとっても危険な場所だった。
人間達はこの浮遊魚の毒の治療に必要な海中草を求めていたのだ。
「大丈夫よ。浮遊魚は感知できるから避けられるし、槍魚は護衛達も付いてくれますし、いざとなったら得意の逃げ足を使うから」
「まあ、確かに逃げ足は速いですね。だけどノームの中は気を付けて下さいよ」
「ええ、分かっているわ」
カンカは護衛の2人と共に里を出ると、海岸に向けて泳ぎ出した。
カンカは里を抜け海流に乗って海に出ると、音波の反響で魔魚の位置を把握しながら泳いでいった。
マーメイド族にとって水中は自分達の生活圏であるため、魔魚を避けるのはそれほど難しくないのだ。
だが、狭い場所だとそうもいかないので、出来るだけ広い海域を泳ぐように注意していた。
やがて人間達が住む陸地に近づくと、後ろの護衛に振り向いて海上のノームを指さした。
そして持って来た浮袋を膨らませると、両手首とヒレの部分に装着した。
これでノームの中を泳ぐのに足りない浮力を補うのだ。
浮袋を使うとどうしても動きが鈍くなるので、危険感知の魔法で周囲にいる魔魚の動きには注意を払う必要があった。
だけどノームが発生したおかげで、陸上まで泳いで行けるという利点もあった。
カンカは水中から跳躍してノームの中に入ると、周囲を警戒しながら人間達との取引場所に向かった。
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漁師イポリトの漁の対象は、海中の魚からノームの中の魔魚に変っていた。
それというのも大事な船を魔魚に沈められたからだ。
まあ、魚も魔魚も食えるのなら、漁師にとってはどっちでも変わりはないがな。
今日も仲間の漁師達と一緒に狩りを始めたイポリトは、ドライウォールに沿って配置に付くとノームに向けて石を投げ入れた。
石が放物線を描いてドライウォールを抜けてノームの中に入ると、密度の高いノームの中でゆっくりと左右に揺れながら落ちて行った。
その動きに釣られた魔魚の一種である槍魚が突進してくるのを、イポリトは三叉槍を安全なドライウォール側で構えていた。
「くるぞ。いいか、槍魚には背中に2つ、腹に2つ盛り上がった部分がある。その中にはノームの中で泳げるように空気袋があるんだ。そこを狙って槍を突け。空気が抜けたらあいつ等泳げないからな」
「「「おう」」」
そして三叉槍の間合いに入った槍魚を渾身の力で突くと、空気が抜ける「シュゥゥ」という音が聞こえてきた。
よし、まずは1ヶ所。
だが、相手は魔魚だ。イポリトを槍ごとノームの中に引きずり込もうと暴れてきた。
「オラシオ手伝え、あいつの空気袋に槍を突き立てろ」
「おう、任せておけ」
オラシオが暴れる槍魚に三叉槍を突き立てると、再び空気が抜ける音がして地面に落ちた。
「よくやった」
仕留めたと思って力を抜いた所で、槍魚が再び浮き上がると強い力で引っ張ってきた。
その動きでオラシオがノームの中に引きずり込まれた。
「拙い、急いで引き戻すんだ」
イポリトがそう叫ぶと、仲間がノームの中に引きずり込まれたオラシオを助け出そうと中に入って行った。
だが、ノームの中に入った仲間達が悲鳴を上げた。
「うわぁ、やばい。浮遊魚が居るぞ」
浮遊魚はノームの中に溶け込んで見つけるのが非常に難しく、傘の下から沢山の触手を出し、それにふれた獲物に毒針を突き刺してくる厄介な魔魚だった。
イポリトは最後の悪あがきをした槍魚をドライウォールの中に引き入れると、ノームの中に引き込まれた仲間の救出に向かった。
ノームの中は、じっとりと冷たい感触と水のような抵抗で動きを鈍くするのだ。
その中をなんとかもがきながら前に進むと、浮遊魚が触手を伸ばして倒れた仲間に絡みついていた。
イポリトは手に持った三又槍を浮遊魚の触手に突き刺して切り離すと、仲間の足を掴んでドライウォールの中に引きずって行った。
イポリトの衣服はぐっしょりと濡れて重くなっていたが、そんな事に構っている暇は無かった。
「おい、皆いるか?」
「ああ、全員居る。オラシオが浮遊魚の毒にやられただけだ」
そう言われてオラシオを見ると既に神経毒にやられているのか、意識が無く体がぴくぴくと動いていた。
「誰か毒消しを持っていないか?」
イポリトがそう尋ねたが、皆が首を横に振った。
「これは拙い、直ぐに商業ギルドに運んで毒消しを与えねば。おい、急いで荷馬車にオラシオと釣果を積み込むんだ」
「「「ああ、分かった」」」
そしてイポリト達はかつて鮮魚市場と呼ばれていた商業ギルドに大急ぎで向かった。
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沿岸都市ロエルにある商業ギルドは、元は魚港で水揚げされた水産物を卸す市場だったが、今では食料品の他に武器や生活必需品まで取り扱う規模になっていた。
ギルドマスターのアロンドラ・ベルティは、今日予定しているマーメイド達との取引のため、彼らが欲しがっている錬金術師達が造った錆びにくい武器の仕入れ状況を確かめていた。
マーメイド達は水中でも取り回しが簡単な小型の武器を好むので、錬金術師達にはナイフや短刀類の生産をお願いしているのだ。
そして交易品を点検していると入口の方が騒がしくなった。
「おい、浮遊魚の毒消しを頼む。それと槍魚の買い取りもだ」
海で漁が出来なくなった漁師は収入を得るため魔魚狩りをするようになり、それに伴い浮遊魚の毒にやられる人も増加していた。
浮遊魚の神経毒を中和するには、マーメイド達が採ってくる海中草がどうしても必要だった。
今日はそのマーメイド達との取引日だった。
「そろそろマーメイド達との取引時間ね。皆準備は良いわね」
「はい、大丈夫です」
「それじゃあ、行くわよ」
マーメイド達との取引は、偶然船を沈められた漁師を彼らが助けてくれた事で始まった。
お互い信頼関係を築く事ができるようになると、マーメイド達は信頼を行動で表すため族長の孫娘が取引に現れるようになった。
こちらもその信頼に応じるため、ギルドマスター自らが取引を担当していた。
自ら指揮する馬車隊をドライウォールの縁まで移動させると、そこで馬車を止めて相手がやって来るのを待つことになった。
アロンドラは折りたたみ椅子に座り水筒に入れてきたお茶を飲みながら、一緒に来たギルド職員と一緒に相手が来るのを待っていると、ドライウォールの向こう側に何かが動くのが見えた。
「どうやら来たみたいね」
アロンドラがドライウォールに近づくと、空気の壁の向こう側からマーメイド独特の青髪青眼をした女性の顔が現れた。
「アロンドラさん、お待たせしたかしら?」
「いいえ、大丈夫ですよ。カンカさん」
そしてマーメイド達が持って来たのは、既に自分達では手に入れられない海中草や甲殻類等を差し出し、代わりにこちらから武器を渡すのだ。
マーメイド達はこの武器で魔魚と戦っていた。
取引が終わると、ドライウォール沿いに足の長い丸椅子を置いていった。
これはマーメイド達が座れるようにするためで彼女らが丸椅子に座ると、持って来た水筒から冷たいお茶を注いだ。
そして次の取引に関する打ち合わせをしていると、突然、物陰から分銅鎖が飛んできてカンカの首と両手に巻き付いた。
「きゃっ」
突然の事に驚いたカンカが丸椅子から落ちると、それに慌てた2人の護衛が手を差し出そうとしたところで、ナイフが飛んできて串刺しにされていた。
突然の事で固まっていると、アロンドラの脇をすり抜けて漆黒の鎧を着た兵士達がノームの中に逃げようとするカンカに襲い掛かっていた。
そして地面に押し倒されたカンカはアロンドラに振り返った。
「これは何の真似ですか?」
そう問われても、アロンドラも突然の事で何が何だか分からなかった。
それでも抗議しなければという焦りがあった。
「これは何事ですか? あ、その鎧、まさか貴方達はアマハヴァーラ教徒なの?」
すると少し遅れてやって来た指揮官らしき男が、地面に抑え込まれているマーメイドを見ると、次にこちらを見て態と笑みを浮かべた。
「協力感謝するぞ。おい、そいつを連行しろ」
その言葉は、此処に居る全員に商業ギルドがこの暴挙に加担しているかのような印象を与えていた。
拙い、ここで強く抗議しなくてはいらぬ誤解を与えてしまう。
アロンドラはアマハヴァーラ教徒の前に立ち、抗議の声を上げようとしたところで、手にちくりと刺す痛みを感じた。
すると突然体が痺れて声を発せなくなると、男達が立ち去った後でその場に崩れ落ちた。




