37 予兆2
「スーシェ上級神官補佐」
イーリーンは突然上司に名前を呼ばれて体が硬直した。
「はいっ」
「収穫物の多くは既に価格と量が買い手との間で決まっている長期契約分だ。それは分かるな?」
「はい」
「各商会は、残りの必要量を需要の増減に応じて一般市場から購入している。今年の収穫量が昨年より減ると聞かされれば、必要量を確保するため慌てて市場からかき集めようとするだろう。すると、どうなると思う?」
イーリーンは、人々が市場に押し寄せ何とか食料を買おうとする姿を思い浮かべた。
そこには金ならいくらでも出すから食料を売れと叫ぶ買い手、金に目がくらみもっと高値になるんじゃないかと売り渋る売り手、価格が高騰し日々の食糧が買えなくなり途方に暮れる平民達の姿が思い浮かんだ。
だが、それと同時に神国には万が一のための備蓄がある事も知っていた。
「不足分は、備蓄分を放出すればよろしいのではないでしょうか?」
イーリーンは、再び上司の顔が曇ったのでまた失言だった事を悟った。
「近年、他国から流入する難民の数が増えている。その者らへの食糧援助で国家備蓄が相当減っているのだ。本来であれば今年の増収分は、減った在庫に当てる事も考えていたが、それが逆に減収になるのだぞ?」
「えっと、大変な騒動が発生しそうですね」
「その不満の行きつく先は?」
イーリーンは、そう言われて上司の顔を見た。
「食料担当のニューウェル様でしょうか?」
上司は何故かため息をついてから、私を見てきた。
「やっと理解できたか」
「も、申し訳ありません」
「特に収穫量が減った原因が我々にあると判明したら、私への不満が爆発して大神官様からお叱りを受けてしまうだろう。そんな事になったら次期大神官レースで一歩遅れを取ってしまうではないか。それだけは何が何でも避けねばならぬ。だが、その原因が他の特級神官のせいだとしたら?」
そこで言葉を切ると、上司はニヤリと笑みを浮かべた。
「こちらは傷を負わずに済むし、そいつは大神官レースから一歩後退するのだ」
「成程、そうなのですね」
イーリーンが納得すると、上司はその誰かが責めを負う姿を思い浮かべたのか口角が上がっていた。
「そのためには、どんな些細な事でも相手を攻撃するネタを集めねばならないのだよ」
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工業担当のテレンス・バウアーは、増産されたマジック・アイテムの売り上げ報告を見て多いに満足していた。
大量生産されるマジック・アイテムによりアンスリウムの人々の生活が向上し、それが神国ひいては私への称賛に変るだろう。
この状況なら次期大神官レースで自分が一歩リードだろうとほくそ笑んだ。
そんな愉悦に浸っていた時に、補佐官であるレイフ・バベッジが駆け込んできた。
「バベッジ、騒がしいぞ」
「す、すみません。ですが、大変な事態が発生しております」
バウアーは、せっかく良い気分になっていたのをぶち壊されて少しいら立ってきた。
「バベッジ、その大変な事態とは何だ?」
「はっ、マジック・アイテムの製作に必要な魔力鉱石の輸送が滞っております」
アンスリウム国内の魔力鉱石の鉱山は山岳地帯にあって、そこからマジック・アイテムで軽量化した荷馬車にて運ばれていた。
「うん、そうか」
山間部であればがけ崩れで道が塞がれたり、森林火災や洪水なんかも考えられる。
だが、そんな事態は簡単に復旧出来るのに、何故補佐官はそんなに慌てているのだ?
「それは態々報告を聞かなくてはならない事なのか?」
「はい、輸送の荷馬車が襲撃される事が頻発しているのです」
襲撃だと?
アンスリウムの人々はアマハヴァーラ神の教えを良く守り平穏に暮らしているし、食料も豊富でマジック・アイテムのお陰で生活も便利なのだ。
食い詰めて盗賊に落ちる馬鹿などいるはずもない。
それに魔力鉱石自体はあまり価値が高くない。
その鉱石は魔力伝導率の高い石に加工し、魔法使い達が魔力を込めて初めて価値のある魔法石になる。
そんな加工前の物など手に入れても、手間がかかるだけで誰も欲しがらないだろう。
いや、待て、他国から流入してくる難民なら考えられるか。
難民なら渉外担当のロドニー・センシブルの案件ではないのか?
「それは私が考えねばならない問題なのか?」
「それが、襲撃してくるのは魔獣のようなのです」
「・・・は?」
魔獣とは何だ? 動物とは違うのか?
「それは何だ?」
「アンスリウムでは今まで目撃された事は無かったのですが、他の地域、例えばユッカでは魔樹が発生して人々を襲っております」
「魔樹って何だ? 木じゃないのか?」
「はい、魔石という活動するためのエネルギー源を体内に持つ魔物です。人間を好んで襲ってきます」
「なんでそんなものがアンスリウムに現れるのだ?」
バウアーが怒りを込めてそう叫ぶと、バベッジは真面目な顔をしていた。
「バウアー様、魔物は環境が悪化すると現れると言われています」
「アンスリウムの環境が悪化しているとでも言いたいのか?」
「思い出してください。疑神石を使う場合の弊害として環境が悪化すると言われてましたよね」
そこでバウアーは上級神官の1人がそのような事を言っていたのを、ようやく思い出した。
「あ、そう言えば、そんな事を言っていたな。では、その上級神官にこの魔獣の対策を考えさせれば良いではないか」
「それが、あの時発言した上級神官がどこにも居ないのです」
バウアーは、補佐官が言っている事が理解できなかった。
「お前は何を言っているのだ? あれだけ神官がいたんだ。誰か1人くらいは知っている者も居るだろう。その者に居場所を聞けばよいではないか」
「既に、あの時出席していた神官達には聞いております」
「なんだと?」
それで何で分からないんだ? いくら大神殿が大きいからといって、神官が消えてなくなるわけが無いだろう。
バウアーがまるで意味が分からないというように補佐官を見つめると、補佐官は顔を赤くした。
「ですから、先ほども申し上げている通り、誰も、あの上級神官の事は知らないと言ったのです」
「なんだと、どういう事だ?」
そんな事があり得るのか?
いや、待て、もしかして他派閥から送られてきた間者だった可能性は?
そしてこちらを次期大神官レースから追い落とすために、態とこちらの失点になる事をやらせたとしたら?
「くそっ、騙されたのか?」
「その可能性は高いと思われます。どうします? 生産を止めますか?」
バウアーはマジック・アイテムの生産を止めた場合の影響を考えて、直ぐに首を横にふった。
「そんな事をしたら、ますます私の評判が落ちてしまうではないか。そもそも人は、便利になった生活を不便に戻せると思うか? これはもう止められないのだ。他国には魔物が出るのだろう? どうやって対策しているのだ?」
バベッジは手に持った資料を捲ると、1枚の報告書を手にした。
「ええっと、騎士団で討伐するか、冒険者とかいう無頼漢に金を払って討伐させているようですね」
平和が続いたアンスリウムでの武力組織といえば強制懲罰部隊くらいだった。
他国のアマハヴァーラ教の神殿には神殿騎士が居るが、それはその国内で雇われていてアンスリウムとは関係が無かった。
そして強制懲罰部隊は大神官直轄なので、いかにバウアーが特級神官として特権を握っていても、あの部隊には命令出来なかった。
「輸送隊の護衛として、その冒険者とかいう無頼漢をアンスリウムに呼ぶ事は可能なのか?」
「彼らは金次第で動く連中のようです。他国の冒険者ギルドに高額で依頼を出せば、金欲しさにやって来るのではないでしょうか?」
「止むを得ん、近隣諸国の国境沿いにある冒険者ギルドに高額で依頼を出すのだ」
「分かりました」
バウアーの指示を受けて急いで実行しようと駆け出すバベッジを呼び止めた。
「待て、他の原因も探るのだ」
「え、他とは?」
バベッジは全く理解していないという顔をしていた。
「分からぬのか、全く、少しは頭を使え。他の特級神官の動きを調べて、今回の環境悪化の原因を他の特級神官に擦り付けられるか探るのだ。この際、多少の支出は大目に見る」
「はい、お任せ下さい」
そして集まった情報を精査すると、どうやら影響は農業生産にも及んでいるようだった。
「この報告書を見るとニューウェルの方も不作になっているようだな」
「はい、そのようです」
「奴の方は何か動きはあるか?」
「それが・・・」
補佐官が言いにくそうにしているので、バウアーはその先を促した。
「なんだ、申してみよ」
「はい、実はニューウェル様がバウアー様の周辺を調査しているようです」
「くそっ、奴め、気付きおったか」
「はい、不作になれば次の会議での恰好の攻撃材料になりますからね。その矛先を我々に向けるつもりだと思われます」
「ふん、考える事は同じか」
このままだと次の会議はニューウェルとの泥仕合になってしまう。
そうなったらお互い傷をなめ合いながら、次期大神官レースから仲良く脱落する事だろう。
そうなれば他の連中には、さぞ面白い見世物になるに違いない。
くそっ、そんな事は断じて許さん。
よし、こうなったら他の特級神官のすねの傷を見つけて塩を塗りたくってやる。




