2 アリソン
アンスリウム地方は、他の地方ではありえない程土地が豊かで、豊富な水と豊かな実りをはぐくむ風のおかげで沢山の植物が育ち、動物が生まれていた。
神都アンスリウムは、そんな豊穣な土地の中心に神がこの地に降り立ったとされる聖なる石を囲むように大神殿が造られ、その周辺に信者が集まって出来た町だった。
大神殿はこの地の行政機関も兼ねていて、大神官を頂点とした神官達が国家運営を行う宗教国家だった。
アリソンは、そんな神都アンスリウムの外れも外れにある低所得層が住まう地区でお祖母ちゃんと2人暮らしをしていた。
私は、少し離れた所にある小さな畑から今日の夕飯用の食材を収穫すると、家路を急いだ。
そんな私に、近所の人達が笑顔で声をかけてきた。
「おやアリソン、それは今日の食材かい?」
「はい、そうです」
そう言って籠の中身を見せると、近所のおばさんが籠の中に野菜を入れてくれた。
「それじゃあ、これをあげるよ」
「わぁ、どうもありがとう」
「なあに、子供はちゃんと食べないと大きくならないからね」
そう言ったおばさんが私の胸をちらりと見たことを見逃さなかった。
私はまだ成長期なんだから、これからなのよ。
私がお祖母ちゃんと暮らす家に戻って来ると、早速採ってきた食材の皮をむき、細かく切ると鍋の中に入れていった。
そしてぐつぐつ煮込んでいるとお祖母ちゃんが帰って来た。
「アリソン、帰ったよ」
「あ、お祖母ちゃんおかえり、もうすぐ夕ご飯ができるよ」
「ありがとうねぇ」
お祖母ちゃんは、アンスリウムの環境を整えている神獣ガイア様のお世話をするため出かけていたのだ。
だが、そのお祖母ちゃんの顔色が優れなかった。
「お祖母ちゃん、どうかしたの?」
「それがねえ、大神殿の神官様から出入りを禁止されてしまったんだよ」
「え?」
神獣ガイア様に会うには神眼を発動して現れる神力だまりから神域に入る必要があるのだが、ガイア様の神力だまりは運が悪い事にアマハヴァーラ教の大神殿内にあった。
お祖母ちゃんはアマハヴァーラ教の神具の調整をする仕事で大神殿への出入りを許可されていたので、その仕事をする傍らガイア様の面倒を見る事が可能だったが、今後はそれが出来なくなるというのだ。
「え、それじゃあ、これからどうするの?」
「それなんだけどね。お前、これを受けてきなさい」
そう言ってお祖母ちゃんがテーブルの上に置いたのは、アマハヴァーラ教の下級神官見習いを募集する広告だった。
アリソンはそこに書いてある文字を声を出して読んでみた。
「下級神官見習いを求む、14歳以上16歳までの男女、住み込みで食事付き、小遣いあり、休暇申請も可能、1年後の期間満了後、下級神官への昇格試験資格付与」
「アリソンは丁度14歳だし、下級神官になってしまえばガイア様のお世話は問題ないわね」
「え、ちょっと待って、私は神眼が発現していないのよ。お世話なんて無理よ」
お祖母ちゃんが既に私が後を継ぐ前提で話を進めているので、慌てて遮った。
するとお祖母ちゃんは分かっているとでもいうように何度も頷くと、何かを引き出しから取り出した。
それは宝石が取り外された窪みがいくつもあるブレスレットのようなものだった。
「お祖母ちゃん、これは何?」
「これはほんの少しだけ神眼の発現を促すのよ。ほれ、これを左腕に付けてみなさい」
「う、うん」
私は半信半疑だったが、言われた通り左腕に付けてみた。
「ね、ねえ、お祖母ちゃん、ほんの少しじゃ意味ないんじゃないの?」
「なあに、そもそもリドル一族には神獣様からの加護があるので問題ないわよ」
するとお祖母ちゃんは椅子から立ち上がり私の裏に回ると、何やら呪文みたいなものを唱えながら私の頭に手を置いた。
すると私の中に電流が走ったような感覚があった。
「アリソン、右目に掌を当てて、神眼開眼と唱えるんだ」
アリソンは言われた通り右目を塞ぎ「神眼開眼」と唱えた。
「・・・お祖母ちゃん、何も変わらないわよ?」
「そりゃそうさ、ここには神力だまりが無いからね。ほら、これを使って右目を見てごらん」
アリソンは差し出された手鏡を手に取ると、自分の顔を見た。
するとアリソンの瞳は元々黄色なのに、右目が赤色に変わっていた。
「え、ええっ、お祖母ちゃん、右目が赤くなってるぅ」
「それが神眼さ、お前は神眼を発現したから神力だまりを感知できるはずだよ。神力だまりが視覚できれば神獣様が住まう神域に入って行けるわよ」
確かに出来るというのは分かったけど。
「これ、元に戻るの?」
「ああ、元に戻すには「解除」と唱えれば戻るよ」
アリソンは言われた通り「解除」と唱えて手鏡を見ると、右目が黄色に戻っていた。
「ふう、良かった」
「そんなに慌てなくても大丈夫だよ」
「でも、アマハヴァーラ教の強制懲罰部隊に赤い瞳を見られたら、私殺されちゃうのでしょう?」
お祖母ちゃんの話だと、私が赤ん坊の時リドル一族の里が焼かれ、たまたま里の傍まで来ていたお祖母ちゃんと懇意にしていたという隊商によって救い出されたそうだ。
「ええ、リドル一族とバレたら粛清の対象になるから、十分注意するんだよ」
アリソンは敵の総本山ともいうべき大神殿に行く事に戸惑いを覚えた。
「ねえ、お祖母ちゃん、私がアマハヴァーラ教の大神殿に行くのって、態々自分から罠に嵌りに行くようなものじゃないの?」
「大丈夫でしょう。まさか、リドル一族がアマハヴァーラ教の神官になっているなんて、誰も思わないわよ。それに多少危険があってもガイア様のお力にならなければ、人間は滅びてしまうのよ」
まあ、私達リドル一族はガイア様の面倒を見る事が使命なのは確かよね。
アマハヴァーラ教の下級神官見習いの受験日、私は募集広告を片手に大神殿に歩いて行った。
大神殿前ではまだ受付時間前だったせいか、アンスリウム中から集まったとおぼしき対象年齢の男女が沢山待っていた。
まだ時間があったので、目立たないように集団から少し離れた場所に移動して、集まった人達を観察してみた。
見た感じ大半が口減らしや働き口を求めてやって来た孤児や難民の子供みたいだが、中には裕福な商人の子供なんかも混じっていた。
そして裕福そうな子供が、得意そうな顔で叫ぶ声が聞こえてきた。
「全く、この世界で私達が暮らせるように環境を整えてくれたアマハヴァーラ神を崇め奉る由緒正しい神官見習い試験に、こんな底辺の連中ばかりやってくるなんて神への冒涜以外何物でもないわね」
私はその言葉を聞いて思わず笑いそうになった。
「アマハヴァーラという偽神が、この環境を整えている筈ないでしょう」
アリソンのその呟きが聞こえていたとは思えないが、その金髪少女はまるで獲物を見つけた肉食獣のような目を私に向けて近づいてきた。
その後ろには、まるで金魚の糞のような取り巻きがついてきていた。
気づかないふりをして逃げてしまおうかと思ったが、取り巻き達が私の逃げ道を塞いだのでそれも難しかった。
「ちょっと貴女。随分余裕のある顔をしているようだけど、どこかの神官様の関係者なのかしら?」
少女はそう言ってまるで値踏みでもするように、アリソンの頭のてっぺんからつま先までじろじろ見てきた。
「いいえ、私はただの職人の子供よ」
「はん、なあんだ。そうなのね」
アリソンの返事を聞くと、金髪少女は見下したような笑みを浮かべて戻って行った。
この時、アリソンは自分の呟きを他人に聞かれていた事に気付いていなかった。