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冬ごもりの依頼と、心の温め方

 セレネフィアの冬は厳しく、人々は家の中に籠もりがちになる季節だった。日照時間も短くなり、灰色の空が続く日が多いせいか、工房『星見草』には、気分が落ち込んだり、体の不調を訴えたりする人の相談が、心なしか増えたように感じられた。


 ある寒い日の午後、工房の扉をゆっくりと開けて入ってきたのは、時計職人のエルマン老人だった。彼は暖炉のそばの椅子に腰を下ろすと、大きなため息をついた。

「いやはや、ルカくん。この歳になると、冬の寒さは骨身にしみてのぅ……。古傷の膝が痛んで、どうにも気鬱でいかんわい」

 彼の心には、身体的な痛みを示す鈍い灰色の染みと、それに伴う気分の落ち込みを示す、冷たく淀んだ水色の染みが広がっているのが見えた。


「それはお辛いですね、エルマンさん。何か温かいものでも淹れましょうか?」

 ルカが声をかけると、隣で本を読んでいたフィリアンネが顔を上げた。

「ルカ、もしよろしければ、私がエルフの森に伝わる方法を試してみましょうか? 体を温め、気の流れを良くする助けになるかもしれません」

「え、本当ですか? お願いできますか?」


 フィリアンネは、穏やかに頷くと、棚から数種類のハーブ(体を温めるジンジャーやシナモン、血行を促進するというローズマリーなど)を選び出し、手際よくお湯で煎じて、小さな桶に注いだ。そして、そのお湯にエルマン老人の足を浸すように勧める。いわゆる、ハーブを使った足湯だ。

「さあ、エルマンさん。しばし、これで温まってください」


 さらにフィリアンネは、老人の膝の周りを、エルフに伝わるという独特の手つきで、優しく、しかし的確に揉みほぐし始めた。それは単なるマッサージではなく、体の気の流れを整えるような、繊細な技術のようだった。


 最初は遠慮していたエルマン老人だったが、足元からじんわりと伝わる温かさと、フィリアンネの不思議と心地よい施術に、次第に表情が和らいでいった。

「おお……これは……なんとも、気持ちが良いもんじゃ……。膝の痛みも、なんだか和らいできたような……」

 老人の心の淀んだ水色の染みが、温かな湯気のようにふわりと軽くなり、顔色も心なしか良くなっている。


「それにしても、フィリアンネさんとやらは、不思議な力をお持ちじゃのう。ルカくんの師匠さんだと聞いたが……エルフというのは、皆、このような知恵を持っておるのかね?」

 すっかりリラックスしたエルマン老人は、フィリアンネに興味津々といった様子で尋ね始めた。フィリアンネは、穏やかな微笑みを浮かべながら、エルフの森の暮らしや、自然と共に生きる知恵について、少しだけ語って聞かせた。老人は、目を輝かせながら聞き入り、いつしか膝の痛みも忘れ、昔の職人仲間との思い出話などに花を咲かせ始めた。


 ルカは、暖炉のそばで和やかに語らう二人を眺めながら、心が温かくなるのを感じた。フィリアンネの存在が、この路地裏に新しい風と、世代を超えた繋がりをもたらしてくれている。


 ***


 また別の日には、工房が子供たちの元気な声で賑わった。冬の間、外で遊べずに退屈していた近所の子供たちが、珍しいエルフがいると聞きつけて、工房『星見草』に集まってきたのだ。


「エルフのお姉さん、魔法使えるのー?」

「空飛べる?」

「耳、なんで長いのー?」


 子供たちの遠慮のない質問攻めに、ルカは少しタジタジだったが、フィリアンネは少しも嫌な顔をせず、むしろ楽しんでいるようだった。

「ふふ、魔法は少しだけなら。空は飛べませんよ。この耳はね、森の小さな音を聞くためなのですよ」

 彼女は、子供たち一人一人の目を見て、優しく答えてあげる。


 そして、フィリアンネは、エルフの森に伝わるという古い遊び――木の葉や木の実を使った簡単なゲームや、動物の鳴き真似など――を披露したり、星々の神話や、森の精霊たちの不思議な物語を語って聞かせたりした。子供たちは、目をキラキラと輝かせ、夢中になって聞き入っている。彼らの心からは、純粋な好奇心と喜びを示す、色とりどりの光の染みが、シャボン玉のように弾けていた。


 ルカは、子供たちの無邪気なエネルギーに触れて、心が洗われるような気持ちになった。同時に、子供たちに囲まれて、生き生きとした表情を見せるフィリアンネの姿を見て、彼女の心の奥底にある「育む喜び」のようなものが、少しずつ満たされてきているのかもしれないと感じ、嬉しく思った。


(フィリアンネも、少しずつ、元気になっているんだな……)


 もちろん、子供たちの有り余るエネルギーに、ルカやフィリアンネが少し振り回されて、工房の中がちょっとした騒ぎになることもあったが、それもまた、冬の日の温かい思い出となった。


 ***


 厳しい寒さが続く、ある大雪の日。朝、目を覚ますと、外は一面の銀世界。セレネフィアでは珍しいほどの大雪で、多くの店が臨時休業となり、パン屋『こむぎ亭』も例外ではなかった。


「うわー、すごい雪! これじゃ、パンを届けられないですね……」

 朝一番に工房の様子を見に来たミーナが、窓の外を見て驚きの声を上げた。


「そうだね。今日はゆっくり休んだ方がいいかも」

 ルカが言うと、ミーナは「じゃあ、せっかくなので、工房のお手伝いします!」と申し出てくれた。


 フィリアンネも交えて、三人で工房の中の整理をすることにした。棚に並べられたたくさんのハーブの瓶。種類ごとに分類し、ラベルを貼り直していく。フィリアンネが、それぞれのハーブの効能や、エルフの森での使われ方などを解説し、ミーナは熱心にメモを取る。ルカは、二人の会話を聞きながら、ハーブを丁寧に仕分けていく。


 静かで、穏やかな時間。外の雪景色とは対照的に、工房の中は温かく、優しい空気に満ちている。


 作業が一段落すると、ミーナが「雪だるま、作りませんか?」と提案した。

「雪だるま?」

 フィリアンネは、少し不思議そうな顔をしている。エルフの森には、雪は降っても「雪だるまを作る」という文化はないのかもしれない。

「ええ、雪を丸めて、重ねて作るんです! やってみましょうよ!」


 三人は、暖かい格好をして工房の外に出た。降り積もったばかりの、ふわふわの新雪。ミーナが手本を見せながら、雪を転がして大きな玉を作っていく。ルカもフィリアンネも、童心に返ったように夢中になって雪玉を作った。


「できたー!」

 三人の力を合わせて、工房の前には、少し不格好だけれど、愛嬌のある雪だるまが完成した。木の枝で腕をつけ、石で目を、ニンジン(ミーナが持ってきた)で鼻をつける。


「ふふ、面白いものですね、雪だるまというのは」

 フィリアンネが、珍しく声を上げて笑った。その笑顔は、まるで冬に咲いた花のようだ。


 雪だるまを囲んで笑い合う三人。ふと、ルカとミーナの視線が合った。雪に反射した光の中で、ミーナの頬がほんのり赤く染まっている。ルカも、自分の心臓が少しだけ速く打つのを感じた。


(ミーナ……)

(ルカさん……)


 言葉にはしないけれど、互いの胸の中にある温かい気持ちが、静かに伝わり合う。フィリアンネは、そんな二人の様子を、優しい、そして少しだけ悪戯っぽい微笑みを浮かべて見守っていた。


 大雪がもたらした、予期せぬ休日。それは、彼らにとって、心温まる、忘れられない一日となった。冬の寒さの中にも、確かな絆と、春の訪れを待つような、温かい心の温もりがあった。

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