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ざわめく街と星見の丘へ

 ルカが感じていた不穏な予兆は、残念ながら気のせいではなかった。セレネフィアの街の空気は、日に日に重く、ざわついたものへと変わっていった。


 それは、些細なきっかけから始まることが多かった。


 例えば、市場でのこと。いつもは陽気な掛け声が飛び交う場所で、些細な値段の交渉から客と店主が掴み合い寸前の口論になったり、隣り合う店の店主同士が、縄張りを巡って罵り合いを始めたりする。ルカが【ハート・スコープ】で見ると、彼らの心には、元々あったかもしれない小さな不満や苛立ちの染みが、異常なほど赤黒く燃え上がり、相手への攻撃性を示す鋭い棘となって突き出ているのが見えた。そして、その興奮状態が、周囲の人々の心の染みにも伝播し、連鎖するように、市場全体の空気をピリピリとしたものに変えていく。


 職人街でも同様だった。普段なら互いの腕を認め合い、助け合ってきた職人たちが、仕事のやり方や納期を巡って、感情的な言い争いを繰り広げる場面を目にするようになった。長年の信頼関係を示す温かな色の染みに、不信感や嫉妬を示す冷たい亀裂のような染みが走り、それがみるみる広がっていく。


 「なんだか最近、みんなイライラしてませんか?」

 パンを届けに来たミーナも、心配そうにルカに話しかけてきた。

 「うちのお客さん同士でも、ちょっとしたことで言い合いになったりして……。なんだか、街の雰囲気がおかしい気がするんです」

 ミーナの心にも、周囲の不穏な空気を反映してか、心配を示す淡い紫色の靄がかかっているのが見えた。


 ルカは、これらの異変が、単なる偶然や人々の気分の問題ではないことを確信していた。『影』の影響――それは人々の心の弱さや負の感情につけ込み、それを増幅させ、他者へと伝播させていく、まるで精神的な伝染病のような性質を持っているのかもしれない。


(このまま放っておけば、街の人たちの絆が壊されてしまう……)


 ルカは焦燥感を覚えながらも、自分にできることをしようと努めた。工房を訪れる依頼人の心を癒やすのはもちろん、街中で見かける諍いの場面に遭遇すれば、さりげなく間に入り、心を落ち着かせるハーブの香りを漂わせたり(調和のハーブ入りのサシェを落としたふりをするなど)、穏やかな言葉で双方の話を聞こうとしたりした。しかし、それは対症療法に過ぎず、根本的な解決にはならない。異変の原因そのものを突き止めなければならない。


 ルカは、工房でフィリアンネが遺した星図とメモに再び向き合った。師から教わったエルフの古い知識を総動員し、星々の配置と遺跡の関連性を読み解こうと試みる。


(この星図……単なる天体の配置じゃない。エネルギーの流れ……気の経路のようなものも示しているのか?)


 集中して星図を見つめていると、特定の星々が地上のある一点――星見の丘の位置――に向かって、微かなエネルギーを送っているように見えた。そして、そのエネルギーの流れは、月の満ち欠けや、特定の星(ルカが以前確認した、穏やかな力を持つとされる青い星など)の位置によって、強まったり弱まったりするようだ。


(フィリアンネのメモにあった、遺跡で見られるという夜光苔……あれは、星のエネルギーを吸収して光る性質があるのかもしれない。そして、そのエネルギーがピークに達する時、遺跡は何らかの機能を発揮する……?)


 さらに、メモに記されたエルフの古い文字の断片。それは、ルカが以前図書館で見た、古代セレネフィア王国の碑文に使われていた文字とも似ているようで、異なる部分もある。フィリアンネは、この文字の解読も試みていたのだろうか。


 「……ルカさん、何か分かりましたか?」

 隣で一緒にメモを覗き込んでいたミーナが尋ねる。

 「いや、まだはっきりとは……。でも、この遺跡は、ただの古い建物じゃなくて、星の力と何か深い関係があるみたいだ。そして、フィリアンネも、その秘密を知っていたか、あるいは、探ろうとしていたんじゃないかな」


 その時、工房の扉が勢いよく開き、息を切らしたゴードンが飛び込んできた。

 「おい、ルカ! 大変だ!」

 「ゴードンさん? どうしたんですか、そんなに慌てて」

 「エルマンの爺さんが……! 倒れた!」


 ルカとミーナは顔を見合わせた。エルマン老人といえば、あの温厚な時計職人だ。


 三人が急いでエルマン老人の時計店に駆けつけると、老人は店の奥の椅子にぐったりと座り込み、顔面蒼白で、荒い息をついていた。傍らには、心配そうに介抱する近所の住民の姿がある。

 「エルマンさん、大丈夫ですか!?」

 ルカが駆け寄り、【ハート・スコープ】で彼の心を見る。そこには、極度の疲労を示す濃い灰色の染みと共に、過去の後悔(亡き妻への想い)を示す黒いインクの染みが、悪夢のように渦を巻き、さらに、得体の知れない恐怖を示す、冷たく震える黒い染みがまとわりついていた。


 「……ああ、ルカくんか……。すまんな、心配かけて……。昨夜、また……カミさんの夢を見てな……。いつもと違って、ひどく……恐ろしい夢だったんじゃ……。まるで、ワシを暗闇に引きずり込もうとするような……」

 老人は、弱々しい声で語った。


 ルカは、エルマン老人の心の染みにまとわりつく黒い震えが、最近他の依頼人にも見られた『影』の影響と同じものであることに気づき、ぞっとした。『影』は、人々の心の奥底にあるトラウマや後悔を悪夢として見せ、精神を蝕んでいくのかもしれない。


(もう、迷っている時間はない)


 ルカは決意を固めた。この街を蝕む異変の原因を突き止め、止めるために。そして、フィリアンネが何をしようとしていたのかを知るために。星見の丘の遺跡へ行かなければならない。


 「ゴードンさん、ミーナさん。僕は、星見の丘へ行こうと思います。この街の異変の原因は、おそらくあの遺跡と、『影』と呼ばれる存在に関係があるはずです」

 ルカは、二人に力強く告げた。


 「……そうか。お前さんがそう言うなら、何かあるんだろうな。よし、俺も行く。爺さんのこともある、放ってはおけん」

 ゴードンは、迷うことなく頷いた。彼の心には、仲間を守ろうとする強い決意の光が宿っている。


 「私もです! ルカさん一人じゃ危ないですし、私にできることがあれば、何でもします!」

 ミーナも、不安を振り払うように、きっぱりと言った。彼女の瞳には、ルカを支えたいという強い意志が輝いていた。


 「ありがとう、二人とも」

 ルカは、心強い仲間たちの存在に、胸が熱くなるのを感じた。


 エルマン老人には、ルカが調合した心を落ち着かせるハーブティーを飲んでもらい、近所の人々に後を託した。老人も、「気をつけてな、ルカくん……。あの丘には、古い言い伝えも多い……。何かあったら、わしに聞くといい……」と、弱々しながらもルカたちを気遣ってくれた。


 準備を整えたルカ、ミーナ、ゴードンの三人は、セレネフィアの街を見下ろす丘――星見の丘――へと、強い決意を胸に、歩き始めた。彼らの行く手には、未知の遺跡と、そこに潜むかもしれない秘密、そして『影』の脅威が待ち受けている。

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