ウブレ・ブランカ -PrequeL-
ほのかに耽美な煙をやおら吸入して、体の隅々まで行き渡らせる。先端から順繰りで黒ずんでいく。燃焼時の温度は華氏約一三〇〇から一五〇〇、吸引時には一八〇〇にまで上昇するらしい。飽きるまで味わってから吐き出す。即席麺を湯がくよりも短命な紫煙。ただでさえ重い税金がのしかかっているのだから気持ちだけでも延命させてやらなければ勿体無い。残り少ないヤニを名残惜しそうに吸い込んでからため息みたいな要領で吐き出して、穢れを知らない透明な空をキズモノにしてやった。
朝のキンと澄んだ空気が肌を撫でる。昇ったばかりの陽の光が鬱蒼とした平面駐車場を優しく照らす。オンボロのプロボックスに寄りかかって一服している女が伊座並美琴である。不機嫌そうな顔に。可愛らしくないツリ目。眼瞼の線を追加しても多少緩和された程度。サッと櫛で梳かして適当にゴムとアメピン結っただけの髪。加えて五フィート九インチの長身である。どうしてもキツい印象が拭えない。
「Смотри, сдержал свое обещание, желтая обезьянка . Теперь отдай мне свою награду」
「…………No, Нет . Вы не можете этого сделать .Это не то, что мы заказывали .Мы сказали вам 『Три ученых с блестящим образованием в области ядерной техники』」
眼前で二人の男が取引をしている。人身の。売り手はアディダスのトラックジャケットを羽織っている典型のスラブ人で、片手で数えられるほどには取り巻きも揃えている。対してやけに丁寧な西洋訛りのロシア語を操っている男の名を葦原大貴という。六フィートは優に超えており、スラブ人よりも頭一つデカいのが傍目からでもよく分かる。ハッキリとした目鼻立ちに緩めのパーマ、左の片方に控えめな十字架のピアスをつけている。
「Не шутите ! Думаю, их трое ! Все японские обезьяны слепые ? Да !?」
大貴とスラブ人の視線はかつて商品だったものに向けられていた。あたり一面に腐臭が漂う。大型バンにしなだれかかっているそれはかなりの時間が経過しており正確な判断は厳しいものの、肌の具合や抜けかかった毛髪からモンゴロイドであることは推察できた。
「Haha, если бы я не мог его увидеть, я бы уже купил его . Нет. Это не вопрос цифр . Мы сказали 『ученые 』.Никто не просил эти ...... куски мяса .Мы хотели сделать с ними 『business 』. Но мы не можем сделать это таким образом」
「Бизнес............Эй, эй, вы слышали это. Бизнес, говорят !」
スラブの連中が景気良く嘲笑う。この反応は連中からしたら当然のことであった。何せ眼前に現れた日本側のブローカーがたった二人の、だいたい高校生ぐらいの男女であったから。自分たちも随分と舐められたものだな、と。
「姐さん。帰ろう。ダメだ話が通じない。コイツらの相手してたら日が暮れちゃうよ」
「……そ。じゃ帰るなら早く車出して」
「叔父さんにはボクから言っとくよ。『モスクワ育ちのゴプニクにマトモな奴はいない』ってね。金輪際関わらないのが賢明だ。…………はぁ、Окей, окей . Ладно, хватит」
やたらに重たそうなショルダーバックを背負い直して、さてどうしたものかと顎に手を添える。ウオッカの酒精を撒き散らしながら有る事無い事論っては騒いでいる連中を頼るようでは今後の計画に支障をきたす。切れる場所で切っておかないとな、と思い回しながら大貴はスラブ人たちの方へ向き直って、ひどく面倒くさそうに会話を再開した。しばらくすると相手方が逆上した。咄嗟にレベデフを取り出した。脅して金だけ回収したいのだろう。さっきから彼にに食ってかかるのは癇癪持ちのようで怒号とも咆哮ともつかないような調子で口汚く罵ってくる。
「О, простите, пожалуйста, не делайте этого . Я не люблю пистолет」
なるべく穏便に、荒事を起こさぬようにと大貴は細心の注意を払いながら後始末に励んでいたが、それでも言い争いはガヤガヤとエスカレートし続け止まることを知らない。
「あー、ったくもう…………Hey, hört mal! Könnt ihr jetzt endlich damit aufhören? Sind alle Männer eigentlich nur Idioten!?」
拉致が明かないと美琴は悟ったので、唯一知っている世界共通語で割って入る。アルトの低音が乾燥した空気に響く。ドイツ語が理解できたのかは怪しいが、軽蔑の意図だけでも嗅ぎ分けたのだろうか。別の男が美琴に指差す。
「Пончик . От такого сосания не будет молока」
瞬間、閃光が煌めいた。スラブの一人の頭部が跳躍する。血溜まりが高級ホテルのカーペットみたく広がって、脳漿がヒュッと吹き上がる。大貴は極大の拳銃を握っていた。バックはいつの間にかフロントに移動しており、ファスナーは必要なだけ開けられている。
AMT・オートマグⅢ。アメリカ生まれのボディーアーマーキラーであり、その異名に恥じぬ高威力を誇る。何を隠そう使用するキャリバーはオーソドックスな拳銃弾ではなくカービン弾。対象に桁違いの暴力を浴びせることが可能な優れものだ。
「Лучше не слишком злить сестрицу и меня」
マズルから白煙が立ち込める。一発分のカートリッジが血溜まりに浮かんでいる。スラブ人たちの顔色が赤みを帯びたものがスーッと引いていった。この様になってようやく彼らも対峙している相手がただの好青年でないことに気づいたのだろうか。さっきまで捲し立てて怒鳴っていた男が命乞いを始めた。やれ暴力反対だとか殺しはおかしいだろとか、そんな内容のロシア語を説得するような口調で発し続ける。
「О чем вы говорите ? Согласно вашему здравому смыслу, между живым человеком и трупом нет никакой разницы .Или это так ? Вы благородные и знатные белые русские ,поэтому можете сколько угодно убивать неполноценных азиатов вроде китайский и японский .Это гениально」
ニット帽を被った奴がバンからストックのないビチャズを慌ただしく引っ張り出そうとしているのを視認したので、大貴は何の躊躇いもなくトリガーを絞った。機関部に見事命中しただのガラクタと化した。大貴は一度その気になると付き合いの長い美琴でもそう簡単に止められなくなる節があったので、彼らの無事は今しがた散々舐めてかかった相手に取り上げられた形となる。
「あんまやりすぎないで。面倒……にはもうなってるけど、余計めんどくなるから」
「もちろん。一人は残す」
サブマシンガンごと転がってしまい尻餅をついていたニット帽の男が大貴にステゴロで襲いかかるも、柔術の要領で放り投げてしまった。体格の観点からしても元から彼らは美琴にさえ若干抜かされていたのだ。予定調和といったほうが正しいかもしれない。
「Русский, хлопотно」
とだけ言い放って、男に数回発砲して撃ち殺してしまった。血飛沫が上がり、肉片が舞う。
「Продолжим ?」
バックの空間に少なくなったマガジンを落とし、手で探ってフルロードのものに換装する。金属同士が擦れ合う。さっきまでの威勢とはどこへやら。スラブの一人は把握していたピストルを滑り落として、ただ口をバクバク開閉することしかできなかった。
「………………姐さん」
「暴れすぎ。あぁクソっ、ちょい足止めしたら逃げるよ」
遠方からエンジンノイズ。高速でこちらに近づいている。検非違使供がおいでなすった。距離的に応戦するしかない。鉄板入りのドアを遮蔽がわりに展開して待ち構える。上着をたくし上げてフラッシュバング・ホルスターを露出させる。ブラジャーの前中心に括り付けて拳銃本体を乳房で隠して持ち運ぶための秘匿携帯用品だ。引き抜いたのはノリンコ・CF07。新型のポリマーフレームが手に馴染む。
セーフティー解除。スライドを半分だけ引く。DPA92がチラリと覗く。
間髪入れずに警察車両の群れが出口を塞ぐ。勇敢にも、巡査たちがニューナンブM57Aたった一挺で美琴たちに照準を定める。
こんな鉄火場、何度だって切り抜けてきた。あえてバイタルを外して腕や脚などの、当たったら激痛で戦闘不能にはなるが命に別状のない箇所を。一人ずつ、着実に削る。その間大貴はタイヤを集中的に攻撃していた。ひたすらにカーカスを喰い破る。
一発だけ、もうほとんどまぐれみたいな弾丸が美琴の目がけて直進する。着弾寸前で頭を振って回避した。続けて射手にお返ししてやる。
キーを回してスターターを動かす。程なくしてエンジンが呼吸を始めた。そろそろ潮時だ。乗ってきたトヨタに美琴は勢いよく着席した。
「無線開けて!」
音を鳴らしてドアを閉じてから、グローブボックスを改造して備え付けた無線機のツマミを捻って警察のバンド帯に調整する。この国の警邏車は一部を除いてほとんどが旧式のアナログチャンネルであるから、周波数帯さえ合わせてやれば通信内容がダダ漏れなのだ。暗号化もされていない、平文の交信。ありがたいことにリアルタイムで追跡情報を喋ってくれるので、それを聞きながら一・四リッターデーゼルターボでかっ飛ばせば簡単に官憲から逃げ切れる。いつだってそうだった。だから多分、今回も。
「みこ姐」
飾り気のない車内がグラリと揺れる。このまま県境まで逃げ込めば美琴たちの勝利。増設した回転計はレッドゾーンに触れそうで触れないあたりを行ったり来たりして、入り組んだ経路を迷いなく突き進んで行くうちに赤色灯は聞こえなくなっていた。
「ん」
ソフトパッケージの封を開けてない方を指の腹で何度か叩いて、飛び出してきた一本を引っこ抜く。軽く口に挟んでジッポをパーカーのポケットから出す。蓋を親指と人差し指で保持してボトムを中指で弾いて風除けを退ける。同じ指でフリントを回して着火した。
「黒星って、いつ廃業する?」
なんてことないように問うてくる。
「できなくなるまで」
なのでこちらも同じテンションで返した。
少し経って、意を決したように。
「こんなことばかり続けてると、ボクらロクな死に方できなくなる!」
大貴の言い分にカチンときたので、紙巻きを口から離して肺いっぱいに溜め込んだ一酸化炭素を吹きかけてやった。
「大丈夫。負ける気ないから」
本編は誠心誠意執筆中です。
エタらせないためにも、ブックマークや高評価をお願いします。
あなたの力を貸してください。